8話 送り火の誓い、届かぬ花束
「これから君を現世に帰す儀式を始める」
伊佐貫トンネルの出口。そう告げたカズラは、テキパキと準備を始めた。そこら辺に鬱蒼と生い茂る雑草や、木の枝を無造作に引き抜いていく。
「本当なら、もっと燃えやすい物があれば良いのだがな……」
そうぼやきながら、地面にそれらを積み上げて小さな山を作った。
「……これで何をするんだ?」
「燃やすんだ」
カズラが掌にぼうっと青い炎を灯してみせる。
「それ! さっきのヤバいおっさんを焼き殺した炎じゃねーか!」
「殺してはいない。あれは、最初から生きてすらいないと言っただろう」
「いや、でも炭になってたし……」
カイトは、さっきまで男の形をしていた消し炭が散乱している地面をチラリと見た。
「あれは怨念の澱にすぎない。本体は別の場所にいる。消したところで、またどこかで湧いて出てくるさ」
「な、なんで……」
「未練を残して死んだ者が、居場所を求めて彷徨い続ける。そして、自らの欠落を埋めようと、死者も生者も見境なしに引き込もうとするんだ。カイト、よくあれの誘いを断ったな。あの老人の時のように、流されてしまうのかと思ったぞ」
「あのおじいさんは、別に誘ったりしてねえよ。ただ……話がしてみたかったんだ。悪意とか、感じなかったし」
「そうか……」
カズラは小さく頷くと、積み上げた草木に手をかざした。
「これで、本当に帰れるのか?」
「送り火と同じだ。盆が終われば先祖の霊を火で送り出すだろう。生者である君も『花火』でここに誘われた。ならば、帰りもまた火が道標となる」
そういうものか、とカイトは納得した。火が消えないよう風向きを気にしながら、カズラが種火を灯す。カズラの青い炎は、草木に燃え移るにつれて次第に赤く変化し、勢いよく燃え上がった。
「さあ、火の中へ」
「え!? 入るのか!? 火の中に!?」
「いいから早くしろ。火が消えてしまう」
カズラに急かされ、カイトは恐る恐る足を炎へ向けた。だが、しばらく炎を見つめた後、踏み出しかけた足を元の位置に戻した。
「何をしている? 早く……」
「カズラ」
初めて、その名前を正しく呼んだ。
「ここで言わなかったら『未練』になりそうだから、言っておく」
カズラを真っ直ぐに見据え、カイトは一言ずつ言葉を紡いだ。
「俺、ヒナの墓参りに行ってくる。『祀り』をしてやれなくてごめんって、謝ってくるよ」
「……そうか」
「それから、ありがとう。助かった」
言い終えると、カイトは迷うことなく一歩踏み出し、炎の中へと消えていった。
一人残されたカズラは、空へと昇っていく煙を、ただ静かに眺めていた。
*
カイトは今、自宅の自室で缶詰になっていた。一学期の成績が悲惨だった報いで、夏休み中は毎日二時間の強制勉強を強いられているのだ。
「何が『夏休みの友』だよ。こんなの友達じゃねーし……」
机の上に広げられているのは、学校から課された分厚い問題集だ。厚さは三センチを超えている。
項垂れていると、部屋の扉がノックされた。
「カイト、入るわよ」
入ってきたのは母だった。手にはお盆を持っており、氷の入ったグラスとお茶が鎮座している。
「進み具合はどう?」
背後からページを覗き込んだ母の目が、途端に吊り上がった。
「何よこれ! もう一時間も経ってるのに、一ページも終わってないじゃない!」
開かれているのは数学。カイトが最も苦手とする教科だ。
「だって、むずいんだもん……」
「文句を言わない! あんな成績で高校受験なんて望めません!」
「……別に行きたい高校なんてねーし」
「ダメよ、それじゃ! こうなったら勉強時間、二時間じゃなくて三時間に増やすわよ」
「え!? 冗談じゃない! 部活だってあるんだぞ!」
「サボってばかりのくせに何を言ってるの。遊びたいだけでしょ? この間だって、どれだけ大勢の人にご迷惑をおかけしたか……」
ため息交じりに母が持ち出したのは、つい先日、カイトが「きさらぎ駅」に迷い込んだ日のことだ。
カイトにとってはせいぜい一、二時間程度の感覚だったが、現実世界では六時間以上が経過しており、帰宅した時には既に朝だった。両親が警察へ捜索願を出しただけでなく、消防まで出動するほどの大沙汰になっていたのだ。
「っていうか、本当にあんたあの時どこに行ってたの?」
「別に……どこにも行ってねーよ。電車で居眠りして、寝過ごしただけ」
異界に迷い込んで、狐の眷属や片足の老人に出会っていた……などと言えるわけがない。事情を知らない母は、しつこく質問攻めにしてくる。
「えー? でも、あんたが乗った電車と、降りた電車の時間が全然合わないじゃない」
カイトが乗ったのは夜の九時頃の電車だ。対して、カイトが駅から出てきたのは翌朝の始発電車。その空白の時間、どこで何をしていたのかと母の疑念は尽きない。
「知るかよ。お茶置きに来ただけなら、さっさと出てけよ」
ぶっきらぼうに言い放ち、追い出すように母を部屋から出した。母は廊下で不満を漏らしながら去っていく。
一人になると、再び問題集を睨みつけた。だが、睨んだところで解けないものは解けない。鼻の下にシャープペンを挟み、学習椅子の背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。小学校入学時に買った椅子は、中学三年生になったカイトにはもう、窮屈すぎるほど小さい。
完全に勉強に飽きたカイトは、おもむろにスマホを手に取り、アルバムアプリを開いた。
最近撮った写真は、花火大会の風景と──あの異界で撮った、いくつかの写真。
「あ……ヒナの墓参り、まだ行ってねーや」
あの時、カズラに宣言した言葉を思い出し、カイトは検索アプリの入力欄に「花 値段」と、文字を打ち込んだ。
*
カイトはなんとか今日の分の宿題を片付け、家を飛び出した。手には、薄紫と白のトルコキキョウを束ねた花束がある。
花束なんて買ったことのないカイトには、仏前に供える花の知識なんて到底なかった。結局、店員に事情を話して選んでもらったのだ。最初こそ「好きな子へのプレゼントかな」と微笑んでいた店員の顔が、カイトの話を聞くうちに、言葉を選びかねるような表情に変わったのは言うまでもない。
「花って、高いんだな……」
カイトは財布の中を覗いた。なけなしの三千円が、一瞬で消えてしまった。中学生の小遣いにとって、花はあまりに高価な買い物だった。
花を抱え、ヒナの家へと向かう。本当は墓参りがしたかったが、ヒナがどこに眠っているのか分からなかった。だから、まずは仏前に線香を上げさせてもらおうと考えたのだ。
ベージュの外壁が特徴的な二階建ての家。子供の頃は、まるで自分の家のように通っていた場所だ。だが今のカイトには、ただ通り過ぎることしかできない、遠い場所になっていた。小学校に上がってから一度も訪れていなかったという事実が、知らずにいた「現実」の重さを突きつけてくる。
手入れをされていないのか、庭は荒れ放題だった。その庭を通り過ぎ、真っ直ぐ玄関へ向かった。
意を決して、玄関のインターホンを押す。パタパタと足音がして、「はーい」という軽快な声が聞こえた。
「どちらさま?」
扉を開けたのは、ショートヘアのすらりとした女性だった。どことなくヒナに面影が似ている。年齢からして、ヒナの母親だろう。
「あ……あの、お久しぶりです。ヒナの友達のカイトです。今日は、その……ヒナに線香を上げさせてもらいたくて……」
しどろもどろに言葉を紡ぐ。緊張のあまりうまく話せないカイトを見て、女性の表情が一変した。
「……何しに来たの!?」
「え……? せ、線香を……」
女性は目を吊り上げ、まるで般若のような形相で怒り出した。あまりの変貌ぶりに、カイトの頭は真っ白になる。
「あんたなんかに線香なんて上げられて、ヒナが喜ぶわけないでしょ!? 帰って!!」
金切り声が鼓膜を刺す。思わず耳を塞ぎたくなるような拒絶だった。
「お母さん、どうしたの!?」
奥から若い女性が現れ、カイトは息を呑んだ。一瞬、ヒナ本人が現れたのかと思うほどそっくりだった。
「人殺しが来たのよ!!」
「え……っ!?」
女性の叫びに、カイトはびくりと体を強張らせた。若い女性も驚いたようにカイトを見る。
「帰れ!! あんたたちのせいでヒナは死んだのよ! あんたたちが殺したようなもんよ!!」
「お母さん、落ち着いて!」
若い女性は、狂乱する母親をなだめようとするが、火がついた感情は収まらない。彼女は強引に母親を家の中へと連れ戻した。
唖然として立ち尽くしていると、再び扉が開き、若い女性が出てきた。
「カイト君……よね? ヒナと仲の良かった」
「は、はい……」
「私のこと、覚えてるかな? ヒナの姉のリナです」
そういえば、ヒナには歳の離れた姉がいた。今のリナは、かつてのカズラが化けていた、成長したヒナによく似ていた。
「はい、覚えてます」
「……さっきはお母さんがごめんね」
「いや、突然来た俺が悪いんです。恨まれてて当然ですよね。あの日……俺が、一緒にいたわけだから」
「お花、ありがとう。でも……せっかくだけど、今回は帰ってもらっていいかな。お母さんがあの状態だと、ね」
カイトは俯きながら頷いた。深々と頭を下げ、立ち去ろうとする。リナはカイトの謝罪には触れなかった。彼女もまた、内心ではカイトたちを許してはいないのだろう。
「カイト君。こう言ったらなんだけど……ヒナが亡くなった、神社の井戸に行ってみるのはどうかな? 命日には私たちも家族で行くのよ。せっかくのお花だし……ね?」
それは彼女なりの気遣いだったのかもしれない。だがカイトには、仏前にも、墓の場所にも近づかせたくないという拒絶の裏返しに聞こえた。
それを察したカイトは、最後にもう一度頭を下げて、ヒナの家を後にした。
次回「きさらぎ駅編」最終話
7月17日金曜日 19時更新




