第一章第八話『命と愛』
その人の〝死〟を想像しただけで、思わず涙が溢れてくるような感覚には覚えがあった。
胸が抉られるように痛い。
そして……寂しい。
何度名前を呼んでも目を開けようとしない彼を前にしていると、死、のひと文字が脳裏にこびりついて離れなくなる。
猜。わたしの恩人。わたしの大切な人。どうして、こんなことに……。
「どうして……あなたは、なんでこんなひどいことをするの?」
この体になってから…二度目の人生が始まってから初めて味わう悲しみに、心臓の代わりに宝玉がキシキシと苦痛を感じているかのよう。
逃げ出したくなる気持ちと、絶対に逃げてはならないという気持ちが心の中でいがみあっている。
汗ばむ額に黒い前髪が張りつくさまとは裏腹に、彼の体はどんどん冷たくなっていくのがわかった。
今にも呻き声をあげそうなほどの苦悶の表情を浮かべて、息も絶え絶えに横たわる姿が、あまりにも痛々しい。
狼狽しているわたしを訝しむかのようにして、猜をこんな目にあわせた銀髪の天國人は冷たくこう言い放った。
「安心して、ミリア。そいつは毒なんかじゃ死なないよ」
「安心……?なにを言っているの!?」
冷たい炎のような眼差しに、人の心を凍らせるかのような物言い。絶対に許せない。
「さぁミリア、もう一度顔を見せて」
この男のせいで、猜が苦しんでいる……。彼だけじゃない。桜の木をたくさん燃やされて、相模の人たちも悲しんでいる。美美だって、今頃きっと困っているはず。
「そいつのことは動く死体だとでも思っておけばいい。兵を呼んで持ち帰らせたら、〝回収〟しよう」
死体??
猜は死体なんかじゃない。わたしのようなノングラでもないはず。
まだ、生きてるんだよ。
「地國は空気が悪い。とくにここは地獄の香りが色濃い。何日もこんな場所にいて、君の体が心配だ。僕が全ての責任をとる。早く、俺たちの〝家〟に……帰ろう」
ここは、地獄なんかじゃない。
綺麗な桜があって、命を助けてくれた猜と赤虎がいて、わたしに服を選んでくれた美美だっている。
地國にも優しくない人はいたけれど、それでも、すべての人が悪だなんて思えなかった。
「許さない……わたし、あなたを許さない」
「ミリア」
この男が何か発言するたびに、動くたびに、わたしの中のイライラがどんどん膨らんでいく。燃えるような怒りも憎しみも、〝生まれ直して〟から初めての体験だった。
「わたしはあなたを許さない!猜も死なせはしない!そこをどいて!!早く帰って!あなたの国に、あなたひとりで帰ってよ!!!!」
「待て……僕は、君の」
「猜はまだ死んでなんかいない!生きているんだよ!!!!死体なんかじゃない!」
それは数日前に、猜がわたしに言ってくれた言葉。わたしの心を救ってくれた、大切な言葉。
「地國だって、地獄なんかじゃない!!!!」
「っ……それは」
こんな悪意の塊みたいな男と、話しているだけ無駄だ。
わたしはうまく動かない体を必死で踏ん張らせながら、片腕でどうにか猜の体を持ち上げようと試みる。彼がさっきまでわたしにそうしてくれていたみたいに、体を背負ってアジトまで逃げるために。
でも……成人男性の体は想像以上に重かった。
損傷した義足と外れかけている左の義手が邪魔をしているのか、思うように体勢を整えられない。あっという間にバランスを崩して、わたしは思わず尻餅をついて倒れ込んでしまう。悔しい。
背負いかけていた猜の体が投げ出されて、無性に泣きたくなった。なんて無力なの。せっかく、何日もかけて新しい手足を作ってもらったのに……。
「っ……」
「ミリア!!!」
わたしが地面に痛めつけられるのとほぼ同時に、男が駆け寄ってきた。気持ち悪い。
「さ、触らないで!」
「落ち着いて聞いてくれ、ミリア。僕は」
「触らないでって言ってるでしょ!!!」
残った右腕で彼を突き放そうと、ありったけの力をこめて彼を押し除けようとした。でも……
「ごめん」
彼は一言謝って、そのままわたしを強く抱きしめた。
「!?!」
「本当にごめん、ミリア」
ぎゅっと強く抱きしめられると同時に、全身がゾワゾワとするような感覚で動けなくなる。
今すぐに腕を振り解きたいのに、猜を助けたいのに、体の中心が麻痺したみたいに動けない。わたしの中に、不快感と安心感の両方が芽生えているような不思議な感覚。
それと同時に……左肩がムズムズして、なんだか〝ないはずの腕と手と指〟がぬるま湯に浸かっているかのような温もりがあった。
これは、一体なに……?
「僕は……約束を守れなかった」
「ど、どういうことなの?あなたは誰なの?」
「……今の君に伝えても、混乱させるだけだろう」
「は、離して……」
「ミリア、いいから帰ろう。僕がすべて間違っていた」
「離してよ!!!!!」
左腕のおかしな感覚に気をとられながらも、力いっぱい男を跳ね除けようとした瞬間。
「……!?!」
わたしの肩から〝突然生えてきた〟、〝石のように硬い、腕に似た赤いもの〟が、男の首を強く締め上げていた。
殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺してやる……そんな、強すぎる殺意が激流のように流れ込んでくる。
「や、め……」
咄嗟のことに反応できなかったのか、男は無力にも首を絞められながら苦しんでいる。
わたしの怒りが、わたしの意思に反して、わたしの感情を超えた場所で彼への〝殺意〟を具現化しているような光景がそこにあった。
「な、何これ……」
「ミリ、ア、」
義手の接続を受け入れなかった左肩から、自分の腕のようなものが再生していて、しかも目の前の男を殺そうとしている光景はあまりに異質で。
〝彼を許さない〟という気持ちは本物だったはずなのに、いざ彼を殺そうとしている自分の腕のようなものを見ていると、もはや恐怖や不安のほうが大きかった。
どうしたらいい。このままじゃわたしは、〝二度目の生でも人殺しに……〟……。
開きかけた記憶の扉を、閉めたくて閉めたくてたまらない。思い出してはいけない。首を絞められて端正な顔立ちを歪ませている目の前の男にさえ、なんだか不思議な気持ちが湧き上がってきていてあまりにも、不快。
思い出してはいけない。絶対に。
それなのに……わたしは、聞いてしまった。
「あなたは……誰なの」
首を絞めながらも相手が誰かと問いかける、殺人鬼のような物言いに我ながら疲れをおぼえながら。
わたしの新しい左腕らしき赤いものに込められた力が、少しずつゆるんでいる。
焦げ臭い一陣の風が、わたしと男の間を駆け抜けた瞬間。
解放されて息ができるようになった男は、わたしの問いにまっすぐな瞳でこう答えた。
「僕……は、天國の現国王、シン。そして君は、僕の妻になるはずだった女性だ」




