第一章第七話『ふたりの罪人』
火の手が迫る桜並木を足早に駆け抜けながら、先の爆撃についてふと考える。
あの爆風と銃撃音は、戦時中に嫌というほど聞いた天國のそれと同じものだ。
しかし、先日和平条約が結ばれて戦争は終わったはず……天國人が地國へと兵士を送り込み、爆弾を落とすために開けたという〝天穴〟(てんけつ)もまた、終戦と同時に塞がれた〝はず〟だ。
そこまで考えたところで、俺は奇妙な違和感をおぼえる。何かがおかしい。
(そういえば……すでに天穴が塞がれていたはずのあのタイミングで、どうやってミリアは地國に落ちてこられたんだ……?)
地國をすっぽりと覆うほどに巨大な天空の大地、天國。階段もエレベーターも存在しない天國と地國間を移動するとしたら、天穴を通る以外にルートはない。
唯一の通り道である天穴が塞がれている以上、本来は、天國の住人が地國へ足を踏み外して落ちることさえできないはずなのだ。
もしも他に落下する可能性があるとしたら、始めから天穴は塞がれてなどいなかったか、あるいはミリアが意図的に天穴をこじ開けられたうえで落とされたか……。
当の本人が手足を切り落とすほどの仕打ちを受けている現状を鑑みると、俺の想像の範疇を超えた何事かが、天空で起きていても不思議ではない。
「猜、どうしたの?」
背負われながらの移動で疲労したのか、ミリアは手足を力なくだらんとさせている。表情も少し苦しそうだ。爆風に乗って届く熱や煙に、体力を消耗しているように見える。つい先ほどまで四肢を失っていた以上、ある意味当然の状態か。
「俺は大丈夫だよ。ミリア、どうにか耐えてくれ。もうすぐ並木を抜ける。すぐにアジトに合流して……」
思考を巡らせながらの移動は、気配を察する力を鈍らせていたようだ。叫び声にも似たミリアの呼び声に反応して、五感が即座に戦闘体制へと切り替わる。
「猜!!!!!」
「!」
誰かが、いる。おそらく、敵。
俺たちが向かおうとしている先……相模の街を背に、燃え盛る桜並木の中で、こちらをじっと見つめている一人の男が視界に入った。
そいつは何をするでもなく、俺とミリアの前に突っ立っている。顔はよく見えないが、右目の白い眼帯だけは暗闇に浮いてはっきり見える。
左目から注がれる視線は氷のように冷たく、殺意が火になって燃えているかのよう。逃げ惑う人々には目もくれず、俺と、俺が背負っているミリアを凝視しているだけの存在。
違和感の塊のような、異質な人影がそこにあった。
「だ、誰……?」
ミリアは怯えているようだ。無理もない。彼の手には、天國人が使う銃剣が握られている。戦時中に何度も何度も見たそのシルエットは、見間違いようもない。
しかし……その軍服姿とは裏腹に、彼には戦う意思があるのか不明だった。殺意や敵意を感じないわけではないが、彼は本当にただこちらを〝見ている〟だけ。携えた銃剣を構えることすらしていない。
極力冷静に、俺はこの得体の知れない〝客人らしき何者か〟に声をかけることにした。なんだか、そうしなければいけない気がしていた。
「……天國人か?」
もしも本当に彼が天國人だとしたら、先の爆撃に合わせて降下してきた軍人の可能性が高い。要は、敵だ。
「……聞こえていないのか?」
ミリアが無言のまま背中にしがみついて、俺に街への移動を促している。
桜の花は燃え滓になって風に吹かれて飛んでゆく。まるで、立ちすくむ男の眼前でその戦意を煽るかのように。
「……」
確かに……彼女がどのような経緯で手足を斬られて地國へ落とされたのかわからない以上、今は無闇に天國人と接触するべきではない。もしかしたらこいつが、ミリアを痛めつけた張本人の可能性だってあるわけだ。
だが、もしもこの男が敵意を持って地國へ攻め入ってきた軍人だった場合には……俺にはこいつを屠る義務がある。
空賊としてではなく、地國に生きる人として。あるいは、〝地國の人間として認められるために〟、それが必要な行為だと感じていた。
だがミリアを背負ったままでは戦えない。ひとまず懐刀を確認しようとした瞬間、
「……久しいな」
男が口を開いた。
聞き覚えのあるような、ないような、脳を揺さぶられるような落ち着いた声色。だが、誰かはわからない。
「……まさか、ここでお前に会うとは思わなかったよ」
俺たちを見定めるような目つきのまま、男がゆっくり近づいてくる。背後から迫る火の手は消火され始めたのか、空気の熱さが和らいでいた。それだけに、俺にはこの男の冷たい目が妙に不快に感じられていた。
「……誰だ?俺はお前を知らないが」
「知ってるさ。忘れているだけだろう。その左目にある、異物のせいで」
「!!」
この男は、俺がノングラであることを知っている。
眼帯の下に埋め込まれた、眼球代わりの宝玉について知っている……。
動悸が早くなるのを感じた。偽物の鼓動が、俺の中で警報のように危険を知らせていた。
(落ち着け、ミリアに知られなければまずはいい)
考えられる可能性は三つ。
こいつは俺がノングラになるより前の、欠落した記憶の関係者。
あるいは、私欲のために宝玉を探して俺のもとにやってきた天國人。
もしくは、適当なことを言って揺さぶりをかけてきた暇人だ。
(どのみち敵以外はありえねーな……)
「ミリア、ちょっと降りてくれ」
殺さずに捕らえて口を割らせる他ない。あるいは、殺してでもミリアから遠ざける。そう決めて、背中から彼女を降ろそうとしたその瞬間。男の表情が変わった。
「ミリア……?ミリアなのか?」
フードの下のミリアの顔を見た直後から、彼は明らかに狼狽している。信じられない、絶対にありえないとでも言いたげな顔だ。
「……本物なのか?もっと顔を、ミリア……こっちに……」
冷静を装おうとしていることは伝わるものの、頬まで伸びた亜麻色の髪が逆立って、彼は今にも発狂しそうに見えた。
ミリアと、同じ髪の色。天國人がもつ、朝焼けのように淡い銀白の髪。
敵というにはどこか哀れで心許ない姿で、彼は狼狽えながらも俺とミリアのほうへにじり寄ってくる。
あまりの豹変度合いに呆気にとられた俺は、つい出遅れてしまった。
「ミ……ミリアに近寄るな。お前は誰だ?」
「あなた、誰?猜に何かしたら許さない!」
俺に負けず劣らず、ミリアも威勢よく男に警戒心をぶつけていた。先ほどまで背負われてぐったりしていたとは思えないほど、あまりにも強気な態度をとっている。
しかも彼女は、自分ではなく俺の身を案じているようだった。美美といいミリアといい、梅処といい……女という生き物の優しさを感じる。
ただこの歯向かい方から察するに、ミリアは本当にこの男を知らないのだろう。
だが本当にミリアを知っているらしい男の態度をふまえると、彼はミリアがノングラになったときに失われた記憶に、深く関係した人物であることはわかる。
知らないのではなく、忘れているだけ……俺自身にも覚えがありすぎる状態だ。
つまりこの男は俺の過去を知りながら、生前のミリアのことも知っている……ということになる。
あまりにも危険な存在。やはり、戦うほか選択肢はないだろう。ただ……
「ミリア……ミリア……僕を許してくれ……」
まるで花を優しく撫でるかのように、泣きそうな顔でミリアに縋りつくこの男を、いきなり斬ろうという気持ちにはとてもなれなかった。
俺は、この感覚を知っている。
もしかするとこの男は、生前のミリアの特別な存在だったのではないだろうか。少なくとも男から、ミリア個人にたいする殺意や悪意は微塵も感じられなかった。
だが、それはそれ、これはこれだ。
ミリアの身の安全と俺自身の進退、そして天國からの侵略という現状を鑑みれば、こいつとわかりあう未来はおそらくない。
俺は彼の髪の隙間からのぞく赤い瞳に、覚えがないかどうか必死に過去を手繰ろうとした。
だが……呼び起こされる記憶は、ノイズのかかった断片的な映像ばかり。昔のことを思い出そうとすると、いつも〝こう〟なんだ。
いずれにせよ戦う必要がある以上は、まずは懐刀に手を伸ばす。即座に殺気を感知したのか、男が素早くこちらを見た。
「ふん…………お前はここで、猜と名乗っているのか。〝罪を背負う者〟という意味だな。お似合いだよ」
男は笑っている。さすがに驚いた。
〝罪を背負う者〟。
梅処が俺につけたこの偽名の意味を知る人間はほとんどいない。もう使われることのない、古い文字を用いたかりそめの名だ。
漢字に聡い地國人ならともかく、天國人はなおさらその意味を知りようもないはずだった。一体、なぜ俺の名の意味を知っている……?
次々に投げ込まれる情報の渦に、俺も整理が追いつかなくなっている。
「……。ミリア、こんな怪しいやつに耳を貸さなくていい」
ミリアにさえも、俺がノングラであることを知られることは大きなリスクだ。
だが……俺が止めるまでもなく、ミリアは怒りを露わにして男に楯突こうとしていた。おそらく、彼の話をまったく信じていないのだろう。
「わたし、もう天國には関わりたくない。あなたたちは、わたしを殺そうとしたんでしょう?」
「違う!僕は君を……」
「猜が助けてくれなかったら……わたし……あのまま死んでいたよ」
「わかってる……でも君と僕は」
「今何を言われても、謝られても、天國人のことをわたしはもう信じられない。あなたが誰であろうと関係ない」
「……ミリア」
「手足を全部斬られて突き落とされたわたしの気持ちが、あなたにわかる?」
「……僕は」
「わたしを助けてくれた猜のほうが、わたしを傷つけた天國人のあなたよりずっと信じられる」
「ミリア……違う……僕は……」
「どこかへ行って!二度とわたしと猜の前に現れないで!!」
剣幕に圧倒されたのか、ミリアの前で男は力なく項垂れた。最後まで言い返すことも、ミリアを強引に制することもできず、ただ悲しそうに彼女を見つめる姿が桜吹雪に吹かれている。
上質な誂えなのであろう、天國の軍服も虚しく風に揺れていた。
ミリアはというと、肩で息をしながら男に憎悪の表情を向けていた。憎くて、悲しくて、辛くてたまらない、やり場のないフラストレーションを力一杯彼にぶつけたのだろう。
背後では火消しの声と激しい水温が鳴り響き、炎の気配もだいぶ薄れつつある。
他の兵士の気配もない。
街は着実に事態を収束させつつあるが、そのなかでただこの男だけが、相模の地に不穏な気配を放つ異物になりつつある。
やがて長い長い沈黙の後で、男はゆっくり口を開く。
「……僕がここに来たのは、君を探すためだ。殺すためじゃない。さっきの爆発も、天穴をこじ開けたときの余波だ。どうか、僕と天國に帰ってくれないか。ミリア」
男が、震えながら手を差し出す。
真摯な物言いに、この男は本心を言っていると直感した。俺にとっては敵かもしれないが、この男自身はきっとミリアの敵ではないのだろう。
ただ……彼の言うとおり、本当に天穴が先ほど開けられたのだとしたら、やはりミリアが落ちてきたタイミングには違和感がある。他にも、天國から地國へと落下する方法があるのだろうか。今は考えていても仕方がない。
「絶、対、に、嫌」
ミリアは強い不信感をあらわにして、男の申し出を一刀両断した。そこに迷いや躊躇いはいっさい感じられず、確固たる意思で天國という場所を拒絶しているような態度だ。
「『絶対に嫌』か。久々に聞いたよ。ふふ、僕は、君がそうやって怒ってるときの君の声が大好きだった」
断られることを想定していたのか、意外にも男は落ちついている。しかも、反応が若干気色悪い。大好き??
(こいつ、マゾか?)
ミリアも〝心底理解できない〟とでもいいたげな表情で男を睨んでいた。
「僕は、君に忘れられている理由がどうしてもわからない。が、こちらも後で詳しい事情を説明しよう。無茶なことを言っているのはわかっている……だが、今度こそ絶対に君を守ると誓うよ。その無骨な義肢だって、もっといいものに作り替えてみせるから」
「絶対に嫌!!!!!」
…俺の義肢に文句をつけられたことは腹が立つが、それ以上にミリアの〝断固拒否〟の姿勢が勇ましく、思わず俺は笑いそうになった。
素直な性格だとは思っていたが、俺の想像以上にミリアは気が強いみたいだ。
ただ……ここで、警戒を怠った自分に非がある。後悔しても後の祭りだ。
「ならば、仕方ないな。僕には、地獄に君を置いておくことなんてできない」
「何する気?」
「この男が邪魔だ。排除したい」
男がそう言い放つと同時に、俺の体を銃剣の切先が貫く。
鋭い痛みよりも先に、全身に苦味のような不快感が広がった。
「僕の銃剣には毒が仕込まれている。お前のような死に損ないでも、殺しようはいくらでもある」
一度目の死を迎えたあのときのように、誰かに名前を呼ばれ続けたまま、どんどん意識が遠のくなかで……甘く焦げた桜の香りだけが、いつまでも脳の中にこびりついていた。
苦くて、甘い、血液の代わりに蜜を流し込まれているような感覚に満たされる。
「猜!猜!うそ……!」
「っ……ミリ、ア」
(逃げろ、早く)
ミリアを逃してやりたい気持ちが、喉の奥で空回りし続ける。
「猜!嫌だよ!目を覚まして!!!ねぇ!!」
ミリアが泣きながら縋りついてくる姿を最後に、俺の意識と視界はシャットダウンされた。




