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学園生活Ⅲ

「お前たちは、どうしてこうも俺にストレスを溜めさせるんだ……」


 集合地点へ到着した俺たち三人を見るなり、枢木先生は深いため息を吐いた。


 片手には、さっき俺たちの頭上を撃ち抜いたと思われる狙撃銃。


 銃口は地面へ向けられているが、それだけでも妙な威圧感がある。


「このままだと、そのうち本当に射線を外す気すら失くしそうだ。少しくらい俺の言うことを聞け」


「嫌ですよ」


「即答するな、一樹」


「だって先生の授業、説明が難しいんですよ。聞いてても途中から何言ってるのか分からなくなるし」


「それはお前が聞いてないからだ」


「いや、でも狙撃って結局、慣れも大きいんじゃないですか? だから俺は、俺なりのやり方で覚えてるだけです」


「その結果が学園最下位だろうが」


「ぐっ……」


 痛いところを突かれた。


 すると、俺の隣にいた憐矢まで平然と口を開く。


「俺は先生の話を聞かなくても、ある程度はできますから」


「鷹野目。お前はできるから余計に腹が立つんだ」


「そうですか」


「少しは反省しろ」


 枢木先生の額に青筋が浮かぶ。


 そして最後に明日奈へ視線を向けた。


「天野。お前も――」


「私に命令するつもり?」


「…………」


「次に変な命令したら撃ち返すわよ」


「お前ら本当に生徒か?」


 枢木先生が額を押さえた。


「なんで毎年、俺の担当にはこういう自由気ままな馬鹿ばかり集まってくるんだ……」


 そして、ぼそりと呟く。


「あの野郎……わざと俺のところへ問題児を集めてるんじゃないだろうな」


 枢木葬鬼。


 二十四歳。


 身長百七十五センチ。


 細身ではあるが、無駄な脂肪のほとんどない引き締まった身体をしている。


 狙撃手として必要な持久力と安定性を徹底的に鍛えた結果らしく、他の教官たちからも「無駄のない身体」と評されるほどだ。


 性格にはかなり問題があるけど。


 そんな枢木先生が「あの野郎」と呼んでいる相手が誰なのか。


 ここにいる生徒なら、だいたい分かっていた。


「先生」


「何だ、一樹」


「学園を管理してる天使の悪口なんて言って大丈夫なんですか?」


「知らん」


「知らんって……」


「毎年毎年、俺のところに問題児を押しつけてくるような天使なんざ知らん」


「問題児って酷くない?」


 俺がそう言った――その時だった。


「そんなに酷いこと言われてたのね、私」


「…………」


 女の声。


 しかも、すぐ近くから聞こえた。


「意外と傷つくわよ? 信頼してる人からそんなこと言われると」


「ショックが大きいねぇ……」


 枢木先生は、まだ気づいていない。


「こっちは毎年毎年、面倒なのを押しつけられてるんだ。文句の一つくらい――」


「じゃあ来年から担当変えてあげようか?」


「ああ。そうしてくれると助かる――」


 そこでようやく先生の言葉が止まった。


「…………」


 ゆっくり振り返る。


「って、ミカエル!? なんでここにいるんだよ!」


 いつからいたんだ。


 誰も気づかなかった。


 いや。


 もしかすると、憐矢だけは気づいていたのかもしれない。


 森の中から、一人の女性がゆっくりとこちらへ歩いてくる。


 長い赤髪。


 それに合わせるような、膝下まで伸びた赤いワンピース。


 戦闘訓練場とは到底思えないほどラフな格好だ。


 森の緑の中では、とにかく赤が目立つ。


 ここが本当の戦場なら、真っ先に狙われてもおかしくない。


 なのに本人はまるで気にしていない。


 当然だ。


 この人にとって、人間の銃弾なんて大した脅威じゃないのだから。


 彼女の名前は――ミカエル。


 赤城学園の学園長。


 そして、この学園を管理する天使そのものだ。


「失礼ね」


 ミカエル学園長は腰に手を当てた。


「私だって、たまには生徒たちの授業くらい見に来るわよ」


「だったら普通に来い。気配を消して近づくな」


「あら。気づかなかったの?」


「気づくか!」


「腕が鈍ったんじゃない?」


「撃つぞ」


「撃ってみる?」


「…………やめとく」


 先生が目を逸らした。


 珍しい。


 この人が引いた。


「それと葬鬼」


「何だよ」


「少しくらい敬語使ったら?」


「嫌だね」


「私は一応、あなたの上司で、この学園の学園長なんだけど?」


「知るか。昔から人に悪戯ばっかり仕掛けてきた天使相手に、今さら敬語なんか使えるか」


「昔のことをいつまで引きずってるのよ」


 どうやら、この二人は俺たちが思っている以上に昔からの知り合いらしい。


 そんな二人の会話を聞いていると、明日奈が珍しく丁寧な口調で尋ねた。


「ミカエル学園長」


「なあに、天野さん?」


「今日は、どうしてこの授業を?」


「明日奈が敬語……」


 思わず口から漏れた。


「何よ」


「いや、何でもない」


 睨まれたので黙る。


 ミカエル学園長は小さく笑ってから答えた。


「半分は気まぐれかな」


「半分?」


「ええ。それと――少しだけ見ておきたい子がいるの」


「見ておきたい子?」


 明日奈が周りを見回した。


「このクラスにですか?」


「そうよ」


「誰なんです?」


「それは秘密」


 学園長は人差し指を唇へ当てる。


「今ここで名前を出したら、その子が特別扱いされてるみたいになるでしょう?」


「まあ……そうですね」


「変に注目されたり、妬まれたりしても困るしね」


 誰のことだろう。


 俺たちのクラスに、学園長がわざわざ観察しに来るほど特別な奴なんていただろうか。


 憐矢は確かに優秀だ。


 明日奈だって上位にいる。


 他にも学園ランキングで上位に入る奴はいる。


 けど、それだけなら学園長本人が見に来るほどでもないはずだ。


 俺?


 いやいや。


 学園最下位だぞ。


 ある意味では珍しいかもしれないけど。


「それより葬鬼」


「何だ」


「授業、始めないの?」


「お前が来たから止まったんだろうが」


「人のせいにしないの」


「…………」


「それと、さっきみたいに私の悪口を生徒の前で言ったら――」


 学園長が笑う。


「減給するから」


「横暴だろ!」


「嫌なら真面目に働いて」


「ミカエル、それはないだろ……」


「ほら。昔みたいにちゃんと返事は?」


「はいはい」


「昔はもっと可愛かったのになぁ」


「うるさい」


 そう言うと、ミカエル学園長は少し離れた木の幹に背を預けた。


「じゃあ見学させてもらうわね」


 枢木先生は露骨に嫌そうな顔をしたあと、俺たちへ向き直る。


「……いいか、お前ら」


 声が変わった。


 教師の顔だ。


「ミカエルがいるからといって、普段と違うことをする必要はない。いつも通りやれ」


 先生が狙撃銃を肩へ担ぐ。


「ふざけた奴には――」


「撃つんですか?」


「近くに撃つ」


「十分怖いですよ!」


「なら真面目にやれ」


 こうして、今日の狙撃訓練が始まった。


 ただし、いきなり銃を撃つわけではない。


 まずは基礎体力訓練。


 森林内を約二キロ走る。


 一見すれば、ただのランニングだ。


 だが――。


「重っ……」


 背中には十キロ以上の装備。


 予備弾薬。


 水。


 簡易的な野営装備。


 その他、実戦を想定した荷物が詰め込まれている。


 しかも走るのは平坦な道じゃない。


 第二狙撃場の森林。


 木の根が地面から飛び出し、急な坂道も多い。


 登ったと思えば下る。


 下ったと思えば、また登る。


 場所によってはぬかるんでいる。


 当然、途中でペースを落とす生徒も出始める。


 だけど――。


「…………」


 俺は明日奈と憐矢のすぐ横を走っていた。


 呼吸はまだ乱れていない。


 脚も重くない。


「一樹」


「ん?」


 明日奈が俺を見る。


「……あんた、ちゃんと走れるのね」


「どういう意味だよ」


「普段が普段だから」


「失礼だな」


「確かに珍しい」


 憐矢まで言ってきた。


「一樹が真面目に走っている」


「お前ら俺を何だと思ってるんだ?」


「嵐でも来るんじゃないか?」


「そこまで!?」


 俺は呆れながら走り続ける。


「だって今日は学園長が見てるんだぞ」


 少し後方。


 訓練区域を見渡せる場所に、ミカエル学園長の姿が見える。


「そりゃ真面目にやるだろ」


「…………」


「…………」


 二人が呆れた顔をした。


「何だよ」


「動機が不純ね」


「結果的に真面目にやってるんだからいいだろ」


「まあ……でも」


 明日奈が俺の走り方を見る。


「思ってたより体力あるのね」


「お?」


「普段はすぐ手を抜くから、もっと体力ないと思ってた」


「明日奈が俺を褒めた……」


「褒めてない」


「いや、今のは褒めただろ!」


「珍しく真面目だから評価しただけ」


「同じじゃないか」


「違うわよ」


 それでも。


 明日奈からそう言われるのは、悪い気はしない。


「俺、褒められて伸びるタイプだからな。もっと普段から褒めてくれれば真面目にやるかもしれないぞ?」


「調子に乗るんじゃないわよ」


「えぇ……」


「今日だけ真面目にやる、とか言い出しそうだから先に言っておくけど」


「…………」


「普段から真面目にやりなさい」


「じゃあ今日は学園長が見てるから真面目に――」


「普段から!」


 明日奈の顔が少し赤くなる。


「分かった分かった!」


 そんなやり取りをしている間に、二キロの走破訓練は終了した。


 少し休憩を挟み――。


 いよいよ、本来の授業が始まる。


 狙撃訓練。


 訓練区域の一角には、複数の狙撃銃が専用ラックに並べられていた。


「今日はどれにするか……」


 憐矢が顎へ手を当てる。


「迷うな」


 その目が、ほんの少しだけ開いていた。


 憐矢は普段、ちゃんと前が見えているのか心配になるほど目が細い。


 ところが銃を選ぶ時だけ、少しだけ目が開く。


 以前、理由を聞いたことがある。


『なんで銃を選ぶ時だけ目開くの?』


 すると返ってきた答えは――。


『銃選びで、その日の命中精度が変わるから』


 だった。


 銃身。


 重量。


 引き金の感触。


 スコープ。


 僅かな個体差まで確認しているらしい。


 狙撃に関してだけは、本当に細かい男だ。


「私はこれかな」


 明日奈が一本の狙撃銃を手に取る。


「いつも同じ重い銃ばっかり使ってたら、それしか扱えなくなるしね」


 そして俺を見る。


「一樹」


「何?」


「勝負の条件、まだちゃんと決めてなかったわよね」


「ああ」


「能力は?」


「なし」


 俺は即答した。


「俺、使えないし」


「まあ、それが公平ね」


 明日奈も素直に頷く。


「じゃあ、天使の能力による強化は禁止。銃は?」


「そこは好きなものを使おう」


「同じ銃じゃなくていいの?」


「ああ」


 俺は並んでいる銃へ手を伸ばす。


「せっかく勝負するなら、自分が一番使いやすい銃で勝負したい」


 そして――。


 一本の狙撃銃を持ち上げた。


「あんた……またそれ?」


「悪いか?」


「悪くはないけど……」


 明日奈が露骨に嫌そうな顔をする。


「それ、誰も使いたがらないので有名じゃない」


「だからいいんだよ」


 俺が選んだのは、授業でいつも使っている一丁。


 他の銃と比べて癖が強い。


 重量のバランスが独特で、引き金にも僅かな癖がある。


 そのせいで、多くの生徒から敬遠されている。


 でも――。


 俺は入学してから、ずっとこいつを使ってきた。


「俺と同じだよ」


「何が?」


「こいつも、みんなから選ばれない」


「…………」


「だから、余り者同士ってこと」


 そう言って銃を軽く持ち上げる。


「使い続けてたら、今じゃこいつが一番手に馴染むんだ」


「銃に感情移入する人、初めて見た」


「いいだろ。俺とこいつは一心同体なんだから」


「はいはい」


 明日奈がため息を吐く。


「負けたあとで、その銃のせいにはしないでよ?」


「するわけないだろ!」


「ならいいけど」


 明日奈は憐矢を見る。


「憐矢は?」


「…………」


 まだ選んでいる。


「長いわね」


「今日は良いのがない」


「贅沢ね」


「仕方ない」


 憐矢はしばらく悩んだあと、最も多く用意されている標準型の狙撃銃を手に取った。


「今日はこれでいい」


「普通のやつ?」


「ああ。一番癖がない」


 憐矢は銃を受け取ると、安全確認を行い、各部を確認していく。


「これなら問題ない」


「じゃあ決まりね」


 明日奈が自分の銃を肩に掛ける。


「一樹。勝負するわよ」


「おう」


「今になって逃げないでよ?」


「逃げるわけないだろ」


「さっき授業から逃げようとしてたのは誰?」


「それはそれ、これはこれ!」


「便利な言葉ね」


「男には引けない時があるんだよ」


「さっき憐矢に言われたこと、そのまま使ってない?」


「…………気のせいだ」


 こうして俺たちは、射撃位置へと移動した。


 今回の射程は――一キロ。


 森を切り開いて作られた射線の遥か先。


 そこには生徒一人につき一つ、小さな金属製の標的が設置されている。


 大きさはアルミ缶程度。


 肉眼では、ほとんど見えない。


 スコープを使ってようやく位置を確認できるほどだ。


 実戦では、相手が静止しているとは限らない。


 そう考えれば、これくらいできなければ狙撃手として戦場には立てない。


「さて」


 明日奈がその場に伏せ、射撃姿勢を確認する。


「一樹。どっちからやる?」


「明日奈から」


「即答ね」


「お願い」


「何でよ。公平に決めればいいじゃない」


「いや、本当に明日奈からお願いしたい」


「…………」


 明日奈が怪訝そうに俺を見る。


「何か企んでないでしょうね?」


「企んでない」


「怪しい」


「頼むって。先にやってくれた方が俺としては助かるんだよ」


「どうして?」


「それは……」


 俺は少しだけ言葉に詰まる。


「とにかく!」


「何よ、それ」


 明日奈はしばらく俺を見つめたあと、ため息を吐いた。


「まあいいわ」


「本当?」


「先でも後でも、私には関係ないし」


 明日奈はスコープを覗き込む。


「私からやってあげる」


「よし」


 明日奈は狙撃も得意な部類に入る。


 ただし――。


 憐矢ほどではない。


 狙撃だけで憐矢と正面から勝負すれば、おそらく明日奈でも勝つのは難しい。


 だからこそ。


 明日奈がこの勝負を受けた理由は単純だ。


 相手が――俺だから。


「言っておくけど」


 明日奈が頬を銃床へ添えたまま言う。


「手加減しないからね」


「望むところだよ」


「一か月間――」


 スコープの向こうへ意識を集中させる。


「ちゃんと『明日奈様』って呼ばせてあげる」


「絶対に嫌だ!」


 俺の声が森の中に響いた。


 少し離れた場所。


 木に背を預けながらその様子を見ていたミカエル学園長は、何も言わず――。


 ただ、俺の方だけを静かに見つめていた。

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