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学園生活Ⅱ

「憐矢……俺、明日奈に喧嘩売っちゃったよ。どうすればいい?」


 迷彩服に腕を通しながら、俺は深く、長いため息を吐いた。


 さっきまでの勢いはどこへやら。


 冷静になって考えてみれば、俺はとんでもない相手に勝負を挑んでしまった気がする。


「一樹」


「はい」


「お前は、もう少し考えてから行動しろ」


「…………はい」


 憐矢は迷彩服の袖を整えながら、淡々と言葉を続ける。


「少しくらい自分の実力を弁えてから口にするべきだ。お前、自分が学園順位最下位なのは分かってるだろ?」


「改めて言われると傷つくな……」


「事実だ」


「もうちょっと優しく言えない?」


「無理だ」


 即答だった。


「それを分かったうえで明日奈に勝負を挑んだんだ。今さら後悔したところで意味はない」


「それはそうだけど……」


「男なら、自分で口にしたことくらいやり通せ」


 憐矢がこちらを見る。


 細い目のせいで表情は分かりづらい。


 けれど、声だけはいつもより少し真剣だった。


「それだけの覚悟がないなら、最初から約束なんてするな。分かったか?」


「…………分かったよ」


 相変わらず冷たい。


 もう少しくらい慰めてくれたっていいと思う。


 でも――。


 こいつが本当に冷たい人間じゃないことくらい、俺は昔から知っている。


 憐矢とは、もう三年くらいの付き合いになる。


 中学校へ入学した頃から一緒につるむようになり、気づけば明日奈もその中にいた。


 今となっては、三人でいるのが当たり前だ。


「……昔が懐かしいなぁ」


 思わず口から漏れた。


「……そうだな」


 憐矢が短く返す。


 たったそれだけ。


 でも――。


「…………」


 俺は思わず憐矢の顔を見た。


 中学の頃なんて、こいつとの会話はもっと酷かった。


『ああ』


『うん』


『そうか』


 ほとんどそれだけで会話を終わらせようとしていた男だ。


 それが今では、こんなに長々と説教までしてくれる。


 しかも、さっきなんて自分から「勝負に混ぜろ」とまで言った。


 もしかして――。


 憐矢って、昔と比べるとものすごくお喋りになってるんじゃないか?


「…………ふふっ」


「何だ」


「いや」


「何で笑ってる」


「何でもないよ」


「一樹」


「本当に何でもないって」


 どうしても笑いが込み上げてくる。


 そんな俺を、憐矢は訝しげに見つめていた。


「……気持ち悪いぞ」


「そこまで言う?」


「着替え終わったなら行くぞ。もうすぐ授業が始まる」


「はいはい」


 二人とも着替えを終え、待機室の奥にある扉へ向かう。


 入ってきた扉とは反対側。


 そこを開けば――。


「うわぁ……」


 目の前には、鬱蒼とした森林が広がっていた。


 人工的に整備された訓練場とは思えないほど木々が密集しており、奥へ行けば行くほど薄暗い。


 ここから先が、第二狙撃場。


 長距離狙撃を想定した森林訓練区域だ。


「ここに来ると、本当に嫌になる……」


「まだ何も始まってないだろ」


「始まる前から嫌なんだよ」


 そして、扉を出たすぐ先には――。


「あんたたち遅い!」


「…………」


 仁王立ちしている明日奈がいた。


「何してたのよ!」


「ちょっと話してただけだよ」


「一樹が変だった」


 憐矢が淡々と言う。


「一樹が変なのは元からでしょ?」


「待って」


 俺はすぐに割って入った。


「本人を目の前にして普通に悪口言うのやめてくれる? 意外と傷つくんだけど」


「そんなことより」


「スルー!?」


 明日奈は完全に俺を無視し、狙撃場の奥へ視線を向けた。


「勝負なんだけど、使う銃は同じものにする?」


「ああ……まあ、その方が公平なんじゃない?」


「それと――」


 明日奈が俺を見る。


「能力は?」


「…………能力?」


「使っていいの?」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は黙った。


「それは流石に不公平じゃないか?」


 代わりに憐矢が答える。


「一樹はまだ使えないんだぞ」


「あっ」


 明日奈が思い出したような顔をした。


「そうだったわね」


「忘れるなよ!」


「でも不思議よね。一樹も能力さえ使えるようになれば、少なくとも今よりはまともに戦えるはずなのに」


「余計な一言が多いんだよ!」


「どうして使えないんだろうね?」


「俺が一番知りたいよ!」


 能力。


 この学園にいる人間なら、知らない者はいない。


 ――天使から与えられる、超常の力。


 この世界に天使が姿を現したのは、そう遠い昔のことではない。


 確認されている数は百を超える。


 彼女たちが現れたことで、世界は大きく変わった。


 天使は、それぞれ異なる特殊な力を持っている。


 炎。


 氷。


 風。


 雷。


 人間の常識では説明できない力。


 そして天使には、その力の一部を人間へ与えることができた。


 何もない空間から炎を生み出す。


 一瞬で物体を凍結させる。


 常人ではあり得ない現象を、人間自身が引き起こせるようになった。


 世界は、その力を戦争そのものを終わらせるために利用した。


 長年、争いが続いていた地域でさえ例外ではない。


 天使と、その力を与えられた人間たちが介入することで、それまで何年、何十年とかけても終わらなかった紛争が、短期間で制圧されていった。


 当然、それに抵抗する者もいた。


 武装組織。


 テロリスト。


 新たな存在を認めようとしない者たち。


 だが、その抵抗は天使たちの圧倒的な力の前では長く続かなかった。


 やがて、国家同士が大規模な軍隊をぶつけ合う戦争は姿を消した。


 そして、その代わりとして生まれたのが――代理戦争。


 同時に、天使たちは各国へ派遣され、その力を扱う人間を育成するための教育機関が作られた。


 日本に存在する九つの代理戦争専門学園も、その一つだ。


 それぞれの学園には一人の天使が深く関わっている。


 そして、その天使が持つ力こそが、学園を象徴する色になる。


 赤城学園の色は――赤。


 この学園を管理する天使が司るのは、炎。


 だから赤城学園の生徒たちが与えられる能力も、基本的には炎に関係するものになる。


 単純に火を生み出すだけではない。


 武器へ炎を纏わせる。


 弾丸へ力を付与し、着弾地点を燃焼させる。


 場合によっては、特殊な弾薬そのものを爆発させることもできる。


 戦闘において、その恩恵は絶大だ。


 そして――。


「俺以外は、みんな使えるんだよな……」


 俺は小さく呟いた。


 そう。


 赤城学園に所属する生徒は、基本的に天使の力を扱うことができる。


 なのに――。


 俺だけが使えない。


 入学時からずっと。


 入学して二ヶ月。


 何度試しても。


 どんな訓練をしても。


 俺には何も起こらなかった。


 最初こそ教官たちも異常事態だと騒いでいた。


 だが、二ヶ月も経てばそれすら日常になる。


 そして今では――。


 能力を使えない俺は、学園順位最下位。


「なんで俺だけ使えないんだろうな……」


「そんなの私たちが知るわけないじゃない」


 明日奈があっさり言う。


「もしかしたら、一生使えないんじゃない?」


「縁起でもないこと言うなよ!」


「でも、もし本当にそうなったらどうするの?」


「…………」


「この学園に、ずっと居られるのかしら」


 その言葉だけは、笑って流せなかった。


「……ここから出ていったら」


 自分でも思ったより低い声が出た。


「俺に居場所なんてないだろ」


 少しだけ沈黙が落ちた。


「…………」


 すると明日奈が、何でもないことのように言った。


「だったら、うちに来れば?」


「……は?」


「私の家の仕事、手伝えばいいじゃない」


「お前の家?」


「そう。人手が増えれば、お母さんたちも少しくらい休めるだろうし」


 明日奈の実家はIT関連企業を経営している。


 しかも、小さな会社ではない。


 テレビCMでも名前を聞く程度には有名な企業だ。


 つまり明日奈は――いわゆるお嬢様である。


 本人にそんな上品さがあるかは別として。


「いや、俺が行っても役に立たないだろ。仕事とか絶対覚えられないぞ」


「…………」


 明日奈が少し考えた。


「それもそうね」


「否定してくれよ!」


「憐矢なら普通に働けそうだけど」


 今度は憐矢を見る。


「どう? 将来うちで働く?」


「嫌だ」


「即答!?」


「お前の家の仕事なんてしたくない」


「憐矢、たまに俺より酷いよな」


「事実を言っただけだ」


 そう答えた憐矢だったが――。


 ふと、表情が変わった。


「…………」


 細い目が、さらに細くなる。


 視線の先。


 森林の奥。


 さっきまでの会話が嘘だったかのように、憐矢から一瞬で気の抜けた雰囲気が消えた。


「憐矢?」


 明日奈もそれに気づいたらしい。


「どうしたの?」


「…………」


 返事はない。


 憐矢はただ森を見ている。


 俺には何も見えない。


 木。


 草。


 薄暗い森林。


 それだけだ。


 だが次の瞬間。


 憐矢が叫んだ。


「伏せろ!」


「っ!?」


 声の緊迫感だけで身体が動いた。


 俺と明日奈がほぼ同時に地面へ伏せる。


 その直後――。


 ドンッ!!


 森林の奥から、重い銃声が響いた。


「うわっ!?」


 何かが頭上を猛烈な速度で通過する。


 肉眼では捉えられない。


 ただ、空気を切り裂く音だけが耳元を抜けていった。


 次の瞬間。


 ガンッ!!


 背後から金属音。


 振り返る。


 今まで俺たちがいた待合室。


 その扉を固定している金具に弾丸が直撃していた。


 そして――。


 ボッ!


「…………」


 着弾地点から炎が立ち上がった。


 明らかに普通の銃弾じゃない。


 炎の能力が付与された弾丸。


「……またかよ」


 俺は地面に伏せたままため息を吐いた。


「あの教師……また俺たちを撃ってきやがった」


「だから俺、この授業嫌なんだよ……」


 本当に。


 何もしていないのに撃ってくる教師がいる学校って何なんだ。


「それにしても」


 明日奈が身体を起こしながら憐矢を見る。


「よく気づいたわね」


「…………」


「私たちが狙われてるって、いつ分かったの? 能力?」


「いや」


 憐矢は森の奥を警戒したまま首を振った。


「能力は使ってない」


「じゃあ何よ」


「……狙われている気配がした」


「気配?」


「殺気、と言った方が近いかもしれない」


「…………」


 俺と明日奈は顔を見合わせた。


「いやいや」


 俺が首を振る。


「そんな漫画みたいなこと普通できないからな?」


「私も無理ね」


「俺も説明できない」


 本人ですら分かっていないらしい。


「まあでも、助かったよ」


 俺は憐矢を見る。


「ありがとう」


「礼を言われるようなことはしてない」


「相変わらずだなぁ」


 それにしても――。


 俺は弾丸が飛んできた森の奥を睨んだ。


「よくも撃ってくれたな……枢木先生」


 俺たちの狙撃訓練を担当している教官。


 枢木葬鬼。


 生徒相手でも容赦なく発砲してくる、とんでもない教師だ。


 性格はともかく、その狙撃技術だけは本物。


 日本国内でも指折りと言われている。


 そして――。


 この男は、俺のことが大嫌いだ。


 理由は簡単。


 俺が授業を真面目に受けないから。


 教官が説明していても聞いていない。


 集中力も続かない。


 訓練になれば、とりあえず銃を構えて撃つだけ。


 そんな俺の態度が心底気に入らないらしい。


 おかげで俺が狙撃訓練へ来るたび――。


『一樹。伏せろ』


『何でですか?』


 パァンッ!!


『うわぁぁぁぁ!?』


 大体こんな感じになる。


 すると。


『そこの三人』


 森林内に設置されているスピーカーから、低い男の声が流れた。


 聞き間違えるはずがない。


『いつまでそこにいるつもりだ』


「…………」


『早く集合地点まで来い。授業を始めるぞ』


 枢木先生の声だった。


「撃っといてよく普通に授業始められるな……」


 俺が呆れていると――。


 ドンッ!!


 また銃声。


 少し離れた木の幹に弾丸が突き刺さり、炎が上がる。


「行けってことね」


「言葉で十分だろ!」


「俺もあの教師は少し苦手だ……」


 憐矢が珍しくそんなことを言った。


「私は嫌い」


 明日奈が即答する。


「一樹よりムカつくわ」


「…………え?」


 思わず明日奈を見る。


 胸の奥に、ほんの僅かな喜びが生まれた。


「俺よりムカつく奴……いたんだ」


 以前、明日奈から直接言われたことがある。


『一樹が一番ムカつく』


 地味に傷ついていた。


 だけど――。


「でも」


 明日奈が俺を見る。


 にっこり笑った。


「二番目は一樹だけどね」


「…………やっぱりそうなるんだ」


「当たり前でしょ?」


「……でも、まあ」


「何?」


「いや。何でもない」


 満面の笑みで酷いことを言いやがる。


 本当に嫌な女だ。


 昔からずっと――。


「…………」


 いや。


 昔に比べれば、明日奈も少しは――。


 そこまで考えて。


 俺は、その先を飲み込んだ。


「一樹、行くぞ」


「ああ!」


「早くしなさい。また撃たれるわよ」


「誰のせいでもないのに撃たれるの理不尽すぎるだろ!」


 俺たちは三人並んで走り出した。


 鬱蒼とした森の中。


 この先にある第二狙撃場の集合地点へ。


 そして――。


 俺と明日奈の勝負が始まろうとしていた。

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