顔合わせⅪ
「…………」
ミカエルが『ANGEL-CLASS』という名前を口にした直後。
学園長室は、完全な静寂に包まれた。
狩亜先輩だけは特に驚いた様子もなく腕を組んでいるが、それ以外の全員は似たような顔をしている。
口を開いたまま、固まっていた。
無理もない。
天使が特定の生徒だけを選び、直接指導する。
そんな制度は、赤城学園どころか、これまで代理戦争専門学園の歴史にも存在していない。
「……本気なんですか?」
最初に口を開いたのは勾坂先輩だった。
「もちろん」
ミカエルは即答した。
「少なくとも、天使が生徒へ直接授業をしてはいけないなんて決まりはないわ。今まで誰もやらなかった。それだけ」
「ですが、それを始めれば他校も黙っていないと思います」
「でしょうね」
ミカエルはあっさり認める。
「でも、それでいいのよ」
巨大な窓の向こうへ視線を向ける。
そこには赤城学園の広大な敷地が広がっていた。
「私は、日本を代理戦争で世界の頂点に立たせたい」
先ほどまでのふざけた雰囲気はない。
「今までと同じ方法を続けて、同じ順位を繰り返すつもりはない。変える必要があるなら、誰かが最初にやらなきゃいけないでしょう?」
ミカエルは振り返る。
「だったら、私がやる」
その赤い瞳が、俺たち八人を順番に見つめていく。
「あなたたちを育てる。普通の授業では届かない場所までね」
「…………」
「そして、十分な実力がついたと私が判断した時点で、ANGEL-CLASSは代理戦争の主力部隊として投入する」
その瞬間。
さっきまでとは違う重さが、部屋の中へ落ちた。
――戦場へ行く。
その意味は、この学園の誰もが知っている。
代理戦争で使われるのは実弾だ。
撃たれれば怪我をする。
場所が悪ければ――死ぬ。
「待ってください」
明日奈が口を開いた。
「それって……私たちは選抜試験を受けずに、代理戦争へ出るってことですか?」
「最終的にはね」
「無条件で?」
「そこは違うわ」
ミカエルの返事は早かった。
「特別クラスだからって、準備のできていない生徒を戦場へ投げ込むつもりはない。そんなのは育成じゃなくて、ただの使い捨てよ」
その言葉だけは、強かった。
「私が直接訓練して、能力、射撃、戦術、連携。その全部を見た上で、実戦に耐えられると判断した者を出す」
「……なるほど」
勾坂先輩が静かに頷いた。
「ただし」
ミカエルが人差し指を立てる。
「合格した後は、普通の生徒よりも遥かに多く戦場へ出てもらうことになる」
「…………」
「それが、特別に育てられる代わりにあなたたちが背負うものよ」
俺は思わず自分の手を見る。
つい数日前まで。
俺は学園最下位だった。
いや、今だってそうだ。
能力一つ使えない俺が。
代理戦争の主力候補?
現実味がなさすぎる。
「本当に……俺も入ってるんですよね?」
「あら」
ミカエルが笑った。
「まだ疑ってたの?」
「そりゃ疑いますよ」
「何度聞かれても同じよ。絢兎部一樹。あなたもANGEL-CLASSの一員」
「…………」
「嫌なら断ってもいいけど?」
その一言に、胸が跳ねた。
断る。
そうすれば、今まで通りだ。
学園最下位として。
能力なんて使えないと諦めて。
適当に授業を受けて。
戦場なんて自分には関係ないと思いながら過ごす。
――そんなの。
「……断りません」
気づけば、答えていた。
「そう」
ミカエルは満足そうに笑った。
「なら決まりね」
パンッ、と手を叩く。
「それじゃ、早速だけど授業を始めましょうか」
「今日からですか!?」
「思い立ったが吉日って言うでしょう?」
「準備とかないんですか?」
「あるわよ」
ミカエルが楽しそうに机の横へ移動する。
「じゃーん」
「…………」
何が「じゃーん」なのだろう。
机の脇に用意されていたケースを開くと、その中には何着もの制服が並べられていた。
いや。
制服と言っていいのだろうか。
「…………赤っ」
俺の口から、素直な感想が漏れた。
赤。
とにかく赤い。
現在着ている赤城学園の制服は、黒を基調として腕や襟元へ赤いラインが入っている。
対して、ミカエルが取り出した制服は真逆だった。
赤を基調として、襟や袖口へ黒と白が使われている。
胸元には赤城学園の校章。
そして左腕には、金糸で刻まれた文字。
――ANGEL。
「これがANGEL-CLASS専用制服」
ミカエルが胸を張る。
「今日から校内では、基本的にこれを着てもらうわ」
「目立ちますね……」
憐矢が真っ先にそこを指摘した。
「まあね」
「これで代理戦争へ行くんですか?」
「行かないわよ?」
「……え?」
憐矢が珍しく間の抜けた顔をした。
「こんな真っ赤な服で森林戦なんかしたら、『ここに撃ってください』って言ってるようなものじゃない」
「そこはちゃんと考えてたんですね」
「綺兎部君、私を何だと思ってるの?」
「さっき狩亜先輩に炎の矢を撃った人」
「忘れなさい」
無理だ。
「これはあくまで校内と訓練時の所属制服。代理戦争に出る時は、地形や作戦に合わせた戦闘装備へ着替えてもらうわ」
それなら納得できる。
「でも、ただ派手なだけじゃないのよ」
ミカエルが制服の襟元を指差した。
そこには、小さな機械が組み込まれている。
「ここにANGEL-CLASS専用の通信端末が入ってる。学園内はもちろん、訓練区域でも専用回線を使って連絡できるわ」
「専用回線?」
由愛が食いついた。
「暗号化されてるの?」
「もちろん」
「あとで見てもいい?」
「壊さないなら」
「分かったのよさ!」
由愛の場合、『見る』が分解を意味していないことを願おう。
「それから」
ミカエルは制服の内側を開く。
「生体情報を確認するセンサーも入ってる。心拍、体温、負傷時の異常をある程度こちらへ送れるようになってるわ」
「つまり、戦闘服ではないけど訓練用としても使えると?」
勾坂先輩が尋ねる。
「そういうこと」
「防弾性能は?」
憐矢の質問に、ミカエルは首を横に振った。
「ない」
きっぱり。
「多少の耐熱性や耐切創性は持たせてるけど、実弾を止められるような制服じゃないわ」
「ですよね」
「そこは勘違いしないで」
ミカエルの表情が少しだけ真剣になる。
「銃弾は銃弾。撃たれれば人間は傷つく。だから実戦では、必要に応じて防弾装備やヘルメットを使う」
その一言で、改めて感じる。
このクラスが目指している場所は、授業の延長ではない。
本当に戦場なのだ。
「ただまあ!」
ミカエルが急に明るい声へ戻る。
「制服としては格好いいでしょう?」
「切り替え早いですね……」
「どう?」
もう一度見る。
「…………まあ」
赤はかなり目立つ。
でも。
「格好いいと思います」
「でしょう!」
ミカエルが満面の笑みを浮かべた。
「由愛ちゃんも気に入った?」
なぜか真っ先に由愛へ尋ねる。
「…………」
返事がない。
「由愛ちゃん?」
「スゥ……スゥ……」
「…………」
寝ていた。
俺の膝の上で。
「おい、由愛……」
「長い話だったから寝ちゃったのね」
ミカエルは全く怒る様子もなく、むしろ嬉しそうに眺めている。
「可愛いから許す」
「基準それでいいんですか?」
「いいの」
そしてなぜか、ミカエルの視線が明日奈へ向いた。
「でも、綺兎部君の膝の上で寝かせたままでいいの?」
「……それ、なんで私に聞くんですか?」
明日奈の声が低い。
「なんとなく?」
「知りません!」
明日奈の頬が少し赤い。
「明日奈、顔赤いぞ」
「っ!」
「風邪か?」
「違うわよ!」
「でも――」
「イッキには関係ない!」
「なんで怒られるんだよ!?」
本気で心配したのに。
理不尽だ。
隣を見る。
「まあまあ」
憐矢が肩を叩いてくる。
「……それだけ?」
「ああ」
「もう少し励ませよ」
「十分だろ」
こいつ、本当に友達なのだろうか。
「それで」
勾坂先輩が話を戻す。
「今後、僕たちはどこへ集まればいいんですか?」
「明日からは毎朝ここへ来て」
ミカエルが即答する。
「この学園長室を、しばらくANGEL-CLASSのホームルームとして使うから」
「ここをですか?」
「広いし、空いてるし」
「学園長の仕事は?」
「するわよ!」
少し間があったのが気になる。
俺は窓の外へ目を向けた。
学園全体を一望できる景色。
こんな場所へ、毎日来ることになる。
数日前まで。
俺は学園の底辺だった。
何をしても意味がないと思っていた。
そんな俺が今は、学園長本人から選ばれた特別クラスの一員になっている。
「…………」
不意に。
頭の奥へ、思い出したくない光景が浮かんだ。
胸の奥が締め付けられる。
気を抜けば、何かが込み上げてきそうだった。
「……っ」
俺はそれを誤魔化すように、膝の上で眠っている由愛の頭へ手を置いた。
柔らかい髪を、ゆっくり撫でる。
何も知らずに眠っている由愛を見ていると、不思議と呼吸が落ち着いた。
「ちょっ……イッキ!」
明日奈の声。
「由愛の頭、そんなに撫でないの!」
「なんでだよ」
「なんでも!」
言い返そうとして。
明日奈と目が合った。
「…………」
明日奈の表情が変わる。
「……なんで、そんな顔してるのよ」
「え?」
そんな顔?
俺はどんな顔をしているのだろう。
自分では分からない。
「別に、何でもない」
「…………そう」
明日奈は、それ以上何も言わなかった。
多分。
何かを察してくれたのだろう。
それから少しして、俺は由愛の肩を軽く揺らした。
「由愛、起きろ」
「んぅ……」
「制服着るぞ」
「…………眠いのよさ」
「俺の新しい制服姿、見たくないのか?」
「…………」
由愛の目が開いた。
「見る!」
「現金だな、お前」
由愛を膝から降ろす。
ミカエルから自分用の制服を受け取ると、男子は隣の控室へ、女子は反対側の更衣室へ移動した。
数分後。
「…………どう?」
一足先に着替え終わった俺は、学園長室へ戻っていた。
赤を基調としたジャケット。
黒いパンツ。
白と黒のラインが入った襟元。
そして左腕には金色の『ANGEL』。
最後に赤と黒を組み合わせたネクタイを整える。
「結構、格好いいと思うんだけど……」
言い始めた時は自信があった。
でも、全員に見られていると急に恥ずかしくなってくる。
「…………」
やっぱり赤い。
滅茶苦茶目立つ。
「イッキ!」
由愛が目を輝かせる。
「すっごく格好いいのよさ!」
「お、おう」
「やっぱりイッキは格好いいの!」
「そこまで言われると恥ずかしいんだけど」
「だからお嫁さんになるのよさ!」
「そこへ繋げるな!」
勾坂先輩が笑う。
栖偽先輩も僅かに表情を緩め、普段ほとんど無表情の斬時先輩ですら、ほんの少し口元が動いた。
狩亜先輩も、小さく笑っている。
「……なんか」
俺は周囲を見る。
「由愛って凄いな」
「何が?」
「お前が喋るだけで、あの人たちまで笑うから」
「私が可愛いからなのよ!」
「自分で言うな」
「でも可愛いでしょう?」
「まあ、それは否定しない」
「えへへ」
由愛が嬉しそうに笑う。
「あぁ……やっぱり可愛い」
ミカエルが由愛の前へしゃがみ込んだ。
「由愛ちゃんには、小柄な体格に合わせて少しだけサイズを調整した制服を用意してあるからね」
「本当?」
「もちろん」
「ありがとう、ミカエルちゃん!」
「…………ちゃん?」
「ミカエルちゃん!」
由愛が満面の笑みで言う。
「だぁい好きなのよさ!」
「…………」
ミカエルが固まった。
「学園長?」
「……今の、もう一回言って」
「ミカエルちゃん大好き!」
「…………可愛い」
ミカエルは胸元を押さえた。
倒れこそしなかったものの、完全にやられている。
「学園長、しっかりしてください」
勾坂先輩が呆れている。
「だって可愛いんだもの!」
「だからって仕事を忘れないでください」
「忘れてないわよ!」
そう言いながら、ミカエルは由愛の頭を撫でている。
「……由愛」
「なぁに?」
「お前、天使まで手懐けたな」
「私、何もしてないのよ?」
「それが一番怖い」
俺がそう言うと、部屋の中に小さな笑い声が広がった。
少し前まで、お互いのことすらほとんど知らなかった八人。
学年も。
得意分野も。
性格も。
何もかも違う。
そんな俺たちが、今日から同じクラスになる。
――ANGEL-CLASS。
天使ミカエルが直接育成する、赤城学園初の特別クラス。
この時の俺はまだ知らなかった。
この名前が。
俺たち八人が。
やがて世界中の代理戦争に、大きな影響を与える存在になっていくことを。




