顔合わせⅤ
『突然だけど、これから名前を呼ぶ生徒は至急、学園長室まで来るように』
唐突に、校内放送からミカエルの声が響いた。
『これは絶対に守ってね。来なかったら私も困るし、呼ばれた本人にもかなり大きな損が出るから。まあ、逃したいなら逃してもいいけど――たぶん、ものすっごく後悔すると思うよ?』
「…………」
学園内の空気が変わった。
学園長自ら、生徒を名指しで呼び出す。
それがどれだけ異例のことなのか、この赤城学園にいる生徒なら誰でも理解していた。
赤城学園が設立されてから、学園長であるミカエルが個人的に生徒を呼び出したことなど一度もない。
それは赤城だけではなく、他の代理戦争専門学園でも同じだった。
天使は学園を管理し、必要であれば教育方針や授業そのものへ口を出すことはある。
だが、特定の生徒だけに手を差し伸べることはしない。
理由は単純だ。
天使から直接目を掛けられた時点で、その生徒は周囲から『特別扱いされている』と見られてしまう。
この学園では、生徒は自分自身の実力で順位を上げ、代理戦争への出場権を勝ち取らなければならない。
射撃。
格闘。
戦術。
情報処理。
そして天使から与えられた能力。
何千、何万という生徒たちが、自分の才能と努力を競いながら上を目指している。
そこへ学園を管理する天使自身が介入すれば、それまで積み重ねてきた努力そのものが不公平だと受け取られかねない。
だからこそ、天使は生徒個人へ必要以上に干渉しない。
それが、この学園における暗黙の了解だった。
――そのはずだった。
『じゃあ、名前を呼ぶね』
ミカエルの声が続く。
『三年――勾坂優斗』
ざわっ、と校内が揺れた。
『同じく三年、栖偽南斗』
二人目。
『二年――斬時燿平。揮移狩亜』
さらに二人。
そして。
『一年――氷川由愛。鷹野目憐矢。天野明日奈』
「…………俺?」
すぐ近くにいた憐矢が、珍しく目を見開いた。
ただでさえ細い目が僅かに開いている。
それだけで、こいつがどれだけ驚いているのか分かった。
「なんで……俺なんだ?」
憐矢自身にも、まるで心当たりがないらしい。
周囲を見れば、他の生徒たちがこちらを見ていた。
羨望。
疑問。
嫉妬。
中には、露骨な敵意まで混じっている。
当然だ。
これまで誰一人として受けたことのない、学園長直々の呼び出し。
それを受けた時点で、周囲から見れば俺たちは『特別な何か』を持っていることになる。
『そして、一年最後の一人は――』
ミカエルが、そこで言葉を切った。
「……」
数秒。
ほんの数秒だった。
だが、学園全体が異様なほど静まり返ったせいで、その沈黙がやけに長く感じられる。
そして――。
『絢兎部一樹』
「…………え?」
一瞬、自分の名前だと理解できなかった。
『以上八名。二十分以内に学園長室まで来ること。できれば走ってきてね。それじゃ――』
ブツッ、と放送が切れ――。
『……なんで私、あんな堅苦しい感じで喋らなきゃいけないの?』
「…………」
切れていなかった。
校内に設置されたすべてのスピーカーから、ミカエルの声がそのまま流れ続けている。
『もっと普通でいいじゃん。ねえ、枢木葬鬼先生?』
『フルネームで俺を呼ぶな。気色悪い』
今度は聞き慣れた低い男の声。
枢木先生だった。
『それに、お前は一応この学園の最高責任者だろうが。全校放送くらい、少しは学園長らしくしろ』
『えぇー、嫌だよ。私はもっと気楽にやりたいの。少しくらいいいじゃない』
『よくない。ったく……これだからお転婆な天使は面倒なんだよ』
『お転婆って何よ。失礼ね』
『事実だろうが』
学園中の生徒が沈黙している。
さっきまでの緊張感はどこへ消えたのだろう。
『…………ん?』
枢木先生の声が止まった。
『どうしたの?』
『お前……マイク切ったか?』
『…………』
『…………』
数秒の沈黙。
その瞬間、赤城学園にいる全生徒の心が一つになった気がした。
――切ってないな。
『…………忘れてた』
『お前なぁ……』
『てへっ』
『てへっ、じゃねぇんだよ、ミカエル!』
『きゃー、枢木ちゃんが怒ったぁー!』
『誰が枢木ちゃんだ! さっさと切れ!』
『はいはい――』
ブツッ!!
今度こそ、本当に放送が切れた。
「…………」
「…………」
静寂。
さっきとは別の意味で、学園中が静まり返っていた。
「……学園長って、あんな人だったんだな」
俺が呟くと、憐矢が小さく頷く。
「……知らなかった」
多分、全校生徒が今、同じことを思っている。
だが。
「一樹」
「……ん?」
「お前の名前も呼ばれたぞ」
「……そうだな」
「俺たち、学園長室に行かないといけない」
「……そうだな」
「一緒に行くか?」
「……そうだな」
憐矢が俺を見る。
そして少し考えたあと――。
「明日奈のことが好きか?」
「……そうだな」
「本当か?」
「……そうだな」
「…………」
憐矢がため息をついた。
「駄目だな、こいつ」
「……そうだな」
「もうそれしか言えないのか」
「……そうだな」
「ほら、行くぞ」
腕を掴まれた。
「二十分以内だ。遅れたら何を言われるか分からない」
「……そうだな」
「一樹」
「何だよ」
「戻った」
「俺は最初から正常だ!」
「そうか」
「絶対信じてないだろ!」
さっきまで明日奈とぶつかっていたことも、今だけは頭の隅へ追いやられていた。
学園長が、学園始まって以来初めて八人の生徒を名指しで呼び出した。
その八人の中に。
学園順位最下位で、天使の力すら使えない俺がいる。
理由が分からない。
どうして俺なのかも分からない。
ただ一つだけ確かなのは――。
これから向かう場所で、何かが始まろうとしているということだった。
「行くぞ、一樹」
「ああ」
俺と憐矢は大講堂へ向かう途中だった廊下から進路を変え、教員棟へと向かった。
目的地は、その最上階。
赤城学園の広大な敷地を一望することのできる――学園長室。
そこで何が待っているのか。
この時の俺は、まだ何も知らなかった。




