【2話】おばあちゃん大好き!?
早めに2話を書きました。
ミアは学生証を見つめる。
「如月美亜……って、私だけど私じゃないし」
住所も書かれている。
「ここ行けば、何か分かるよね」
でも地図アプリはない。
「……そうだった。スマホ意味ないじゃん」
近くの人に恐る恐る聞く。
「すみません。この住所ってどこですか?」
「ああ、如月さんのお宅でしたら、この通りをまっすぐですよ」
「助かった……」
教えられた住所を頼りに歩き続ける。
「あ、ここ……?」
目の前にあったのは、大きな門を構えた立派なお屋敷だった。
「え、ウソでしょ……。」
思わず学生証と表札を見比べる。
『如月』
間違いない。
「この家……私の家?」
ミアはごくりと唾を飲み込む。
「ドラマでしか見たことないんだけど……。」
恐る恐る門をくぐる。
砂利を踏む音だけが静かな庭に響いた。
手入れの行き届いた松の木や季節の花が並び、奥には重厚な造りの屋敷が建っている。
「帰りたい……。」
そう小さくつぶやきながらも、ミアは一歩、また一歩と玄関へ向かった。
恐る恐る玄関の引き戸を開ける。
「し、失礼します……。」
中は広い土間になっていた。
静まり返った屋敷の奥へ視線を向けると、一人の老婆が座っていた。
白髪をきちんと結い上げ、背筋はまっすぐ。
年老いているはずなのに、その眼差しだけは鋭く、思わず目をそらしたくなる。
老婆はミアを見ると、静かに口を開いた。
「……今日は少し、お帰りが遅うございましたね。」
その一言だけだった。
怒っているわけでもない。
優しいわけでもない。
淡々とした声なのに、不思議と背筋が伸びる。
「え、あ……」
ミアは返事ができない。
(なにこの人……めっちゃ怖いんだけど。)
玄関には、重苦しい沈黙だけが流れていた。
老婆は静かに立ち上がった。
「さあ、お着替えなさい。」
「夕餉の支度はできております。」
「……はい。」
ミアは思わず返事をする。
「冷める前にいらっしゃい。」
それだけ言うと、老婆は奥の居間へと姿を消した。
「えっと……。」
屋敷の中を見回す。
(部屋なんて分かんないんだけど……。)
襖が並ぶ長い廊下。
どれも同じように見える。
「……とりあえず、開けてみる?」
ミアは恐る恐る一つ目の襖に手を掛けた。
「……違う。」
物置のような部屋だった。
二つ目を開ける。
そこには、可愛らしい花柄の座布団や小さな机、本棚が置かれ、窓際には小さな鏡台があった。
「……ここ?」
机の上には教科書とノート。
棚には何冊かの小説。
壁には女学校の鞄が掛けられている。
「たぶん、この部屋だよね。」
ミアはほっと胸をなで下ろした。
鏡台の前に立つと、袴姿の自分が映る。
「何回見ても、私なんだよね……。」
小さくため息をつき、箪笥を開けてみる。
中にはきれいに畳まれた着物や袴が並び、その横には洋服も数着掛けられていた。
「部屋着……かな?」
淡い色のブラウスに、動きやすそうなスカート。
「これなら着られそう。」
ミアは袴を脱ぎ、慣れない手つきで洋服に着替える。
鏡を見ると、さっきまでの女学生とは少し違う、年頃の少女が映っていた。
「よし……少しは落ち着いた。」
深呼吸をひとつして、ミアは部屋を後にした。
食堂へ入ると、老婆はすでに席についていた。
湯気の立つ料理が静かに並べられている。
老婆はミアの姿を見るなり、少しだけ眉を上げた。
「……あら。」
「お出かけですか?」
「え?」
ミアは自分の服を見下ろす。
「これ、部屋着じゃないの?」
老婆は静かに首を横へ振る。
「それは外出着でございます。」
「えぇっ!?」
思わず声が裏返る。
(うそでしょ!)
(めっちゃ部屋着っぽかったんだけど!)
老婆はため息をひとつつく。
「まあ、構いません。」
「先にお食事をいただきましょう。」
「……はい。」
ミアは恥ずかしそうに頬をかきながら席に着く。
卓上には湯気の立つ蕎麦が二人分並んでいた。
「わぁ、お蕎麦だ。」
思わず顔がほころぶ。
「いただきます。」
ミアは手を合わせると、蕎麦を勢いよくすすった。
「おいしっ!」
思わず笑みがこぼれる。
「こんなにおいしい蕎麦、初めて食べたかも。」
老婆は箸を止め、じっとミアを見つめた。
「……美亜。」
「はい?」
「今日は、ずいぶんとお変わりになりましたね。」
「え?」
「言葉遣いも、食べ方も……まるで別人のようです。」
ミアの箸が止まる。
(やばい……。)
「え、えっと……。」
どう答えればいいのか分からない。
しばらく考えた末、苦笑いを浮かべた。
「実は……今日、少し倒れちゃって。」
「そのせいか、頭がぼんやりしてるみたい。」
老婆は静かに頷いた。
「そうでしたか。」
それ以上は追及しない。
代わりに、穏やかな声で言った。
「無理はなさいませんように。」
「明日、先生にも診ていただきましょう。」
ミアは胸をなで下ろした。
(助かった……。)
食事が終わるころには、どこか張りつめていた空気も少しだけ和らいでいた。
ミアは最後の一口を飲み込むと、ほっと息をつく。
「ごちそうさまでした。」
老婆も静かに箸を置いた。
しばらくの沈黙。
器が片付けられる音だけが、食堂に響く。
そして老婆は、ふと視線を上げた。
「美亜。」
その声は、さっきよりも少しだけ低い。
「はい。」
ミアは思わず背筋を正す。
老婆は一拍置いてから、淡々と言った。
「後で、私の部屋にいらっしゃい。」
「……え?」
ミアの胸が一瞬ざわつく。
(なんか……急に重くない?)
老婆はそれ以上説明せず、席を立った。
「お話があります。」
そう言い残し、廊下へと消えていく。
残されたミアは、ぽつんと座ったまま天井を見上げた。
「……何の話だろ。」
さっきまでの温かい蕎麦の余韻が、少しだけ遠のいた気がした。
自分の部屋に戻ったミアは、畳の上にどさりと座り込んだ。
「はぁ……疲れた。」
慣れない服、慣れない家、慣れない空気。
(これ、夢じゃないよね……?)
頬をつねる。
「いった……。」
現実だった。
しばらくぼんやり天井を見上げていたが、やがて小さく息を吐く。
「……行くか。」
ゆっくりと立ち上がり、廊下へ出る。
静かな屋敷の中を歩き、老婆の部屋へ向かう。
襖の前で一度だけ息を整える。
「失礼します。」
襖を開ける。
中は先ほどよりもさらに静かだった。
整えられた座卓、その向こうに老婆が一人座っている。
ミアも向かいに腰を下ろす。
二人は、しばらく何も言わなかった。
ただ、視線だけが交わる。
老婆はまっすぐにミアを見ている。
逃げ場のないほど、静かで、鋭い視線だった。
ミアは思わず視線をそらしそうになるが、なんとか耐える。
(なにこの圧……)
沈黙が、少し長く続いたあと。
老婆はようやく口を開いた。
「美亜。」
老婆は、じっとミアを見つめたまま、しばらく黙っていた。
部屋の中には、時計の音さえ聞こえそうなほどの静けさが落ちる。
やがて老婆は、はっきりとした声で言った。
「……あなたは、誰ですか?」
その一言は、あまりにも穏やかだった。
なのに、ミアの胸の奥に冷たいものが落ちる。
「え……?」
思わず聞き返してしまう。
老婆の表情は変わらない。
怒っているわけでも、疑っているわけでもない。
ただ、確かめている目だった。
「美亜は、蕎麦を食べる時にあのように音を立てません。」
「言葉遣いも、歩き方も、目の動かし方も……」
淡々とした声が続く。
ミアは息を飲んだまま動けない。
「今ここにいるあなたは、誰ですか?」
沈黙が、さらに重くなる。
ミアは一度、唇を噛んだ。
(どう言えばいいの、これ……)
信じてもらえないかもしれない。
そんなの分かってる。
それでも、このまま黙っている方がもっと怖かった。
「……あのさ。」
小さく息を吐いて、ミアは視線を上げる。
「信じてもらえないかもしれないけど……」
老婆は何も言わず、ただ待っている。
その目は、急かしもしないし、否定もしない。
ミアは覚悟を決めたように、ゆっくりと言葉を続けた。
「私……この人じゃないの。」
「朝まで普通に現代にいて……友達と喫茶店に行ってて……」
「気づいたらここにいて……」
言いながら、自分でも何を言っているのか分からなくなる。
「スマホもないし、知らない街だし……」
「それで、気づいたらこの身体で……この家にいて……」
声が少し震える。
「ほんとに、それだけなんだよ。」
言い終えた瞬間、部屋がまた静かになる。
ミアは視線を落としたまま、拳をぎゅっと握っていた。
(やっぱり、変だよね……)
そう思った、その時だった。
老婆はしばらく目を閉じていた。
静かな沈黙のあと、ゆっくりと口を開く。
「……神隠しにあったのですね。」
その言葉は、驚くほど落ち着いていた。
ミアは顔を上げる。
「え……かみかくし?」
老婆は小さく頷いた。
「この世には、説明のつかぬこともございます。」
淡々とした声だったが、否定する響きはなかった。
むしろ、最初から“そういうこともある”と知っているような口ぶりだった。
ミアは言葉を失う。
「……信じるの?」
思わずそう聞いてしまう。
老婆は少しだけ視線を落とし、静かに答えた。
「信じるも何も……」
「今ここに、それが起きているのですから。」
その一言で、空気が変わった。
老婆の言葉を聞いた瞬間、ミアの胸の奥で何かがほどけた。
(……あ、やばい)
そう思ったときにはもう遅かった。
視界がにじむ。
「……っ」
堪えようとしたけれど、涙が勝手にあふれてくる。
「ちょ、ちょっと……何これ……」
声にならない声が漏れる。
次の瞬間、ミアは立ち上がっていた。
「ごめん……」
そう言うのが精一杯だった。
そして、そのまま老婆に抱きついた。
畳の上で、ぎゅっと縋るように。
老婆は一瞬だけ目を見開く。
けれど、すぐに何も言わず、ゆっくりと腕を動かした。
細く、けれど確かな力でミアを包み込む。
拒むことも、驚きを大げさに見せることもない。
ただ当然のように、受け止める。
ミアの肩が小さく震える。
「わけわかんないよ……」
「怖いし、意味わかんないし……」
言葉が途切れ途切れにこぼれていく。
老婆は何も言わない。
ただ背中を、ゆっくりと一度だけ撫でた。
それだけで、ミアの涙はさらに止まらなくなった。
しばらくして、ミアの呼吸が少しずつ落ち着いていく。
肩の震えもゆっくりと収まり、嗚咽が途切れたころ。
老婆は何も急かさず、ただ静かに待っていた。
やがてミアが小さく身を離すと、老婆は一度だけ頷いた。
「……もうよろしいですか。」
「うん……」
鼻声で、か細く答える。
老婆は手ぬぐいをそっと差し出した。
ミアはそれを受け取り、顔を拭う。
まだ目元は赤いままだった。
老婆は静かに立ち上がると、落ち着いた声で言った。
「今日はもうお休みなさい。」
「え……」
ミアが顔を上げる。
老婆は続ける。
「明日も、学校があります。」
その言葉はあまりにも自然で、あまりにも“いつも通り”だった。
(学校……?)
さっきまでの混乱が、少しだけ現実に引き戻される。
「……うん。」
ミアは小さくうなずいた。
老婆はそれ以上何も言わず、部屋の灯りを少しだけ落とす。
「ゆっくりお休みなさい。」
その一言だけを残し、部屋を出ていった。
静けさが戻る。
ミアはひとり、布団の端に座ったまま、小さく息を吐いた。
「……明日も学校かぁ。」
少しだけ苦笑いして、横になった。
布団に横になりながら、ミアは今日一日のことをぼんやりと思い返していた。
喫茶店で友達と笑っていたこと。
突然のめまい。
目を覚ましたら、知らない時代。
そして、あのおばあさん。
(怖そうだったけど……)
(でも、ちゃんと話を聞いてくれた)
信じてくれたわけじゃないのかもしれない。
それでも、否定はされなかった。
それだけで、少しだけ息がしやすくなる。
「……なんとかなるのかな」
天井を見つめながら、小さくつぶやく。
まぶたが重くなっていく。
思考がゆっくりと途切れていく。
(明日は……学校、か)
その言葉を最後に、意識は静かに沈んでいった。
読んでいただきありがとうございます!
今回、おばあさんが口にした「神隠し」は、昔の日本で原因の分からない失踪や不思議な出来事を説明するために使われていた言葉です。現代のように科学で説明できないことは、「神様や異界に連れて行かれたのでは」と考えられることがありました。
また、ミアが部屋着だと思って着た洋服は、当時では外出着という設定です。大正時代は洋装が少しずつ広まってきた頃で、まだ和服が普段着の人も多く、現代とは服装の感覚も大きく違っていました。
これからも、物語と一緒に大正時代の文化も楽しんでいただけたら嬉しいです!




