第37話 正式監護者アリシア、断罪確定
王都法務院の重厚な扉は固く閉ざされ、広間には息苦しいほどの静寂が満ちていた。
先ほどまで響き渡っていたセレスティアの狂乱の叫びは、両脇を固める法務兵と、上位法務官が広げた王家の紋章入りの布告書を前に、完全に沈黙させられていた。
「これより、王命による裁定を布告する」
法務官の厳格な声が、冷たい石造りの壁に反響する。
「セレスティア・モルフォード。あなたは己の保身と強欲のために、実の子を過酷な環境へ遺棄し、監査院および調達委員会を欺く数々の偽造と不正に関与した。その罪は、極めて重い」
アリシアは告発人席で背筋を伸ばし、その言葉を一つも漏らさず聞いていた。
セレスティアは床にへたり込み、幽鬼のように虚ろな目で宙を見つめている。彼女がまとっていた「可哀想な被害者」の化けの皮は、もはや跡形もない。そこにあるのは、己の罪を突きつけられた、一人の罪人だけだった。
「よって、あなたに以下の処分を下す。
一、子の親としての法的権限の一部停止、ならびに監護権の停止。
二、亡き夫ジェラルド・モルフォード氏の遺産に関する、すべての財産管理権の剥奪。
三、社交界からの永久追放。
四、北部修道院における、厳格な監督下での幽閉」
その言葉が落ちた瞬間、セレスティアの肩が、ビクッと跳ねた。
北部修道院。罪を犯した貴族が送られ、二度と華やかな王都の土を踏むことの叶わぬ、冷たく厳しい場所だ。
「なお、子どもたちへの面会は一切禁ずる。彼らが成人し、かつ本人が強く望んだ場合に限り、特例として許可するものとする」
「……あ、ああ……」
セレスティアの口から、掠れた悲鳴のような音が漏れた。
金も、地位も、美貌を飾るドレスも。そして、最後の命綱であったはずの子どもたちすらも。彼女は己の強欲によって、そのすべてを、永遠に失ったのだ。
「連れて行け」
法務官の冷たい合図で、二人の法務兵がセレスティアの両腕を掴み、強引に立ち上がらせた。
「いや……いやぁっ! 離して! 私は、私は悪くないわ! 全部、全部あの男が……!」
往生際悪く叫びながら出口へと引きずられていく彼女の前に、一人の長身の男が、静かに歩み出た。
ヴィルヘルム・グランベル。
彼は、冷たい灰色がかった青い瞳で、暴れるセレスティアを真っ直ぐに見下ろした。
「……な、によ……」
その圧倒的な威圧感に、セレスティアは息を呑んで怯んだ。
「ルカ・グレーゲンの無実は、今日、記録の上で証明された」
ヴィルヘルムの、地を這うような低い声が響いた。
セレスティアの喉が、ヒュッと鳴る。先ほど法廷で突きつけられた、十五年前の金の流れ。一の位まで違わぬ、あの数字。それが、まだ彼女の耳にこびりついていた。
「お前が無垢な涙で葬った男の名は、今日この日、お前の偽証よりも上に、永く記される。……お前が忘れても、紙は忘れん」
ヴィルヘルムの目には、もはや怒りすらなかった。ただ、氷のような、絶対的な冷たさだけがあった。
「踏まれた者は、覚えている。十五年経とうと、決して忘れはしない。それを、お前は今日、思い知ったはずだ」
「あっ……あぁ……」
過去の罪が、亡霊のように今の己を引きずり下ろしたのだと、彼女はついに悟ったのだろうか。
ガタガタと震え出したセレスティアは、もはや一言も発せぬまま、法務兵に引きずられるようにして、重い扉の向こうへと消えていった。
バタン、と鈍い音が響き、彼女の存在は、法廷から完全に締め出された。
長い戦いが、終わった。
* * *
広間に残されたのは、粛然とした空気だけだった。
上位法務官はコホンと一つ咳払いをし、今度はアリシアの方へと向き直った。
「続いて、保護されている二名の子どもたちについて、法的な裁定を言い渡す。アリシア・ヴェルディーニ殿」
「はい」
アリシアは静かに立ち上がり、法務官の前へ進み出た。
「各種の公的記録、ならびに神殿福祉局からの聴取意見書を精査した結果、あなたが両名に適切な養育環境を提供し、その心身の保護に尽力していることを、高く評価する。よって本日付をもって、あなたをエミル、リリィ両名の『正式監護者』として認定する」
その瞬間、アリシアの胸の奥で、長く張り詰めていた糸が、ふっと解けた。
これでもう、誰も、あの子たちを彼女から引き離すことはできない。大人の都合で、冷たい雨の中に放り出されることも、二度とない。
「ただし、亡きジェラルド氏の信託財産については、規定通り、商業ギルドの管理下に置くものとする」
法務官が、念を押すように書類を読み上げる。
「一括での引き出しは認めない。あなたは正式監護者として、養育費および教育費に限り、定期的な支給を受け取り、年に一度、その支出記録を監査院へ提出する義務を負う。相違ないか」
「望むところです」
アリシアは、実務者としての揺るぎない誇りを胸に、はっきりと頷いた。
大金を手に贅沢をするつもりなど、毛頭ない。帳簿を管理し、一文の狂いもなく支出を記録する。それは彼女にとって、何の苦にもならない、ただの日常の仕事だ。
すべては、あの子たちの未来を守るために。
そして、アリシアは心の中で、もうこの場にはいない一人の女へ、静かに告げた。
――あなたが捨てたものを、私が拾いました。
大切に、育てます。
それは、血の繋がりを越えて、彼女が法の上でも正式に、彼らの『母』となった瞬間だった。
* * *
すべてが終わり、王都法務院を出た時、空は澄み切った冬晴れだった。
冷たい風が頬を撫でる中、アリシアは隣を歩くヴィルヘルムを見上げた。
公的な場を離れた今、彼女の胸には、彼への深い感謝が、自然と湧き上がっていた。
「……ヴィル」
周囲に人がいないことを確かめ、アリシアは先日許されたその名を、静かに口にした。
ヴィルヘルムが足を止め、彼女を見下ろす。
「どうした」
「ありがとうございます。あなたの力がなければ、ルカ様の名誉も、あの子たちの未来も、取り戻すことはできませんでした」
「私の方こそ、君の記録に救われた。……これで、ようやく王都の因縁が、終わる」
ヴィルヘルムは短く息を吐き、遠く北の空を見つめた。
十五年、胸の奥でくすぶり続けた澱が、ようやく晴れたのだ。
「帰ろう、アリシア。私たちの領地へ」
「はい」
二人は頷き合い、王都から辺境へと向かう馬車に乗り込んだ。
法の上でも、彼女は母になった。過去の罪人を断罪し、すべての手続きを終え、奪われたものは、確かに取り戻した。
それは、紛れもない勝利だった。
けれど、馬車の揺れに身を任せながら、アリシアの胸の片隅には、晴れぬ翳りが残っていた。
辺境伯邸で待っている、エミル。
あの子は、真実を証言した。その結果、実の母セレスティアが罪に問われ、二度と会えぬ修道院へ送られたと知れば――賢く、優しいあの子は、間違いなく、自分自身を激しく責めるだろう。
大人を裁く戦いは、紙と証拠で勝てた。
だが、傷ついた子どもの心を救い、本当の意味で『家族』になるための戦いは、まだ、終わっていない。
(待っていてね。エミル、リリィ)
アリシアは、膝の上で、両手を強く握りしめた。
辺境には、まだ――一番難しい戦いが、残っていた。




