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第17話 戻れと言う手紙

本格的な冬が近づいてきた辺境伯邸では、使用人たちが慌ただしく立ち働いていた。


アリシアは使用人棟の長い廊下で、倉庫から運び出された冬用の厚手毛布の枚数と、各部屋への割り当てリストを照合していた。

ほつれがあるものは修繕へ回し、足りない分は明日の商人の訪問時に追加発注する。頭の中の帳簿を整理しながらペンを動かしていると、執事のハインツが足早に近づいてきた。


「アリシア様。王都から、早馬で書状が届きました」


ハインツの顔は、いつになく険しかった。

差し出された分厚い封筒には、見覚えのある紋章が赤い蝋で押印されている。

グレイフェルト伯爵家。元夫、レオハルトからの手紙だった。


「……ありがとうございます。後ほど確認いたします」


アリシアは表情を変えることなく手紙を受け取り、毛布の確認作業を最後まで終わらせた。

私情で実務を滞らせることはしない。すべてを片付けた後、彼女は自室の小さな机の前に座り、静かに封を切った。


便箋には、レオハルトの流麗だがどこか神経質な文字が並んでいた。


『アリシア、君がいなくなってから、屋敷の者たちが君のやり方を理解しておらず、少々混乱が生じている。

君も辺境のような厳しい土地で、さぞ苦労していることだろう。

もし君がこれまでの態度を反省し、私に謝罪するのなら、もう一度この家に戻ることを許してもいい。グレイフェルト家には、君の家政能力が必要だ』


そこまで読んで、アリシアは呆れを通り越して冷たい息を吐いた。

要するに、屋敷が回らなくなって困っているから、便利な道具として戻ってこいというわけだ。

さらに、続く一文が彼女の視線を釘付けにした。


『ただし、君が連れ出したあの孤児たちは置いてくることだ。跡継ぎの問題を抱える我が家にとって、得体の知れない子どもは邪魔でしかない。身寄りのない子どもを預かる施設など、探せばいくらでもあるだろう』


ピシッ、と。

便箋の端を握るアリシアの指に力が入り、上質な紙が嫌な音を立てて歪んだ。


震えが止まらなかった。

悲しいのではない。傷ついたのでもない。

ただ、純粋で圧倒的な激怒が、彼女の全身の血を沸騰させていた。


あの男は、エミルとリリィのことを「得体の知れない孤児」と呼び、施設に捨ててこいと平然と書き記したのだ。

同じ人間とは思えない。アリシアは妻であった過去を心底恥じていた。


(……この男だけは、絶対に許さない)


便箋を破り捨てたい衝動に駆られた。

感情のままに罵倒の言葉を書き連ね、王都へ送りつけてやりたかった。


だが、彼女は深く、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。

インクの染みがついた自分の指先を見つめる。


怒りで我を忘れれば、足元をすくわれる。

彼女の武器は涙でも罵声でもない。紙と、ペンと、揺るぐことのない事実だ。

アリシアは手紙を綺麗に折りたたみ、立ち上がった。



* * *



「ヴィルヘルム様。お忙しいところ申し訳ありません」


執務室の扉を叩くと、ヴィルヘルムは書類から顔を上げ、静かに「入れ」と促した。

アリシアは真っ直ぐに彼の机の前に進み出ると、先ほどのレオハルトの手紙を差し出した。


「王都の元夫から、このような手紙が届きました」


ヴィルヘルムは眉一つ動かさず、無言で手紙に目を通した。

数秒後、彼は鼻で短く笑った。底冷えのするような、冷酷な嘲笑だった。


「救いようのない愚か者だな」


ヴィルヘルムは手紙を机に放り投げた。


「自分の足元が崩れ落ちていることにも気づかず、人間を便利な道具としか見ていない。罪のない子供までも」


「はい。到底、受け入れられる内容ではありません」


アリシアは背筋を伸ばし、ヴィルヘルムの灰色がかった青い瞳を見据えた。


「私は、彼に返書を出します。ですが、単なる私信として送れば、彼は私が意地を張っているだけだと勘違いし、再度手紙を寄越すか、強引な手段に出る可能性があります。それを防ぐために……どうか、お願いがございます」



* * *



数時間後、王都へ向かう早馬の使者に、一通の分厚い封書が託された。


宛先は、王都グレイフェルト伯爵家。

だが、その封筒の裏に押されていたのは、アリシア個人のささやかな印ではない。


剣と盾を交差させた、武門の誇り高き紋章。

グランベル辺境伯家の、公式な赤い封蝋だった。


アリシアが書き上げた返書の文面は、感情を一切排した、冷徹な法務文書のような仕上がりになっていた。


『貴殿からの帰還の要求は、明確に拒絶する。

エミルおよびリリィの両名は、神殿福祉局の正式な保護手続きの下、現在グランベル辺境伯邸にて安全に保護・養育されている。

また、私に対して行われた横領の虚偽告発、および婚姻契約に基づく持参金の未返還については、今後、法的な手続きを通じて厳正に争う用意がある。

以後、私個人への手紙は一切受け付けない。用件がある場合は、辺境伯家を通じた公式な書面のみでの対応とする』


ただの元妻の強がりではない。

これは、強大な力を持つグランベル辺境伯家の庇護下にある者からの、宣戦布告に等しい拒絶状だった。


ヴィルヘルムは、アリシアが起草したこの文面を一読すると、「簡潔で良い」とだけ言い、自らの手で重々しい封蝋を押し付けてくれたのだ。


『涙ではなく、証拠を』


前回の約束通り、アリシアは自分と子どもたちを守るために、最も確実で破壊力のある「記録」を王都へと放った。



* * *



王都、中央官庁街の一角。

山のように積まれた書類の束に囲まれた薄暗い執務室で、一人の男が疲れたように眉間を揉んでいた。


王都監査院、上級監査官のアルベルト・カイル。

三十代半ばの彼は、神経質そうに細められた目と、几帳面に整えられた制服が特徴的な男だった。


「アルベルト様。各関所を通過した公式文書の控えが届いております」


若い部下が置いていった書類の束を、アルベルトは機械的な手つきで確認していく。

不正なお金の流れや、貴族たちの不審な動きは、往々にしてこうした書面のやり取りの履歴に現れるものだ。


パラパラと紙を捲っていたアルベルトの手が、不意にピタリと止まった。


「……グランベル辺境伯、だと?」


アルベルトの声が、微かに震えていた。

その記録には、東の辺境から王都のグレイフェルト伯爵家宛てに、辺境伯の公式な封蝋が押された書状が届けられたと記されていた。


グランベル辺境伯、ヴィルヘルム。

王太后の実家筋という強大な血筋を持ちながら、中央の政治を嫌悪し、十五年もの間、王都に対して公式な書面などただの一度も出してこなかった男。


その彼が、わざわざ公式の封蝋を使って、一介の伯爵家へ書状を送ってきた。

これは単なる挨拶や世間話であるはずがない。


「ヴィルヘルム殿……。十五年ぶりに、王都へ向けて牙を剥かれたか」


アルベルトは、手元の記録用紙を強く握りしめた。

彼の脳裏に、十五年前の冷たい地下牢の記憶が蘇る。


無実の罪を着せられ、震えながら死んでいった若い侍従、ルカ・グレーゲン。

当時、下っ端の役人に過ぎなかったアルベルトは、ローヴェル子爵家の少女の「嘘の涙」に騙される大人たちを前に、何もすることができなかった。


ルカの無実を信じて奔走していた若き日のヴィルヘルムに、力になれず申し訳ないと頭を下げることしかできなかったのだ。


あの日から、アルベルトはずっと後悔を抱えて生きてきた。

二度と、嘘の涙で無実の者が裁かれることのないように。

その執念だけで、彼は監査院という組織の中で地位を築き、王都に蔓延る腐敗の証拠を密かに集め続けてきた。


「グレイフェルト伯爵家、か。……あの家の新しい夫人は確か、ローヴェル子爵家の……」


アルベルトの鋭い目が、書類の束の奥へと向けられる。

点と点が、彼の中で繋がり始めていた。


なぜ、あの嘘を憎む辺境伯が、今になってグレイフェルト家へ公式な書状を送ったのか。

その裏に、どんな真実が隠されているのか。


アルベルトは椅子から立ち上がり、窓の外の灰色の空を見上げた。


十五年前、ルカを救うために間に合わなかった男。

その後悔を胸に秘めた監査官が、静かに、しかし確かな決意を持って動き始めようとしていた。

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