71 温室完成記念の夜会
71 温室完成記念の夜会-1
温室を見学して、旅の目的は十分に果たされた。
これ以上長居をして、あの抜け目のない大使に何を巻き込まれるかわかったものではない。マイクはとにかく、雪が深くなって道が凍りつく前に、一刻も早くケイトを連れて帰りたかった。
「では、明日、図書館を見学したら帰るとするか」
「ええ? 図書館は一日じゃ回りきれないと思うけれど……」
ケイトが名残惜しそうに唇を尖らせたその時、タイミングを見計らったかのように、大使からの使いが部屋へとやって来た。
恭しく差し出された手紙には、端正な文字でこう綴られていた。
【「温室完成記念の夜会」を開きますので、ぜひ、ご出席ください。ドレスは急ぎこちらで用意いたしました。以前、防寒着をお仕立てした際の採寸が大変役に立ちました】
「温室完成記念の夜会ですって!」
ケイトが弾んだ声で手紙を読み上げた。その瞳はすでに好奇心でキラキラと輝いている。
「いいわね、マイク。温室が完成したお祝いをするのね!」
(よくない! あの狸親父め……!)
マイクは頭のなかで大使の顔を思い浮かべ、激しく罵った。彼の眉間には、これ以上ないほど深い皺が刻まれる。
「……聞いてないぞ」
「そりゃ、そうでしょ。今、連絡が来たところなんだから」
「そういう意味じゃない」
マイクはケイトの手からひったくるように手紙を受け取ると、『夜会』という二文字を穴が開くほど睨みつけた。
「どう考えても、ただ温室の完成を祝うだけの夜会じゃないだろう」
「どうして?」
ケイトが不思議そうに小首をかしげる。
「だって今日見た温室、とてもよくできていたでしょう? こんなに冬が厳しい地方でも、年中新鮮な薬草を育てられるようになったのよ。国を挙げてお祝いするのも当然じゃない?」
「いや、確かに温室は立派だったが……」
(そういう話じゃない! あの大使、最初からこれを狙ってやがったな!)
思い返せば、この国に到着してすぐに防寒着を仕立てさせられた際、なぜかコートを作るだけとは思えないほど、体の隅々まで細かく採寸されていたのだ。
今にして思えば、すべてはこの夜会のドレスを極秘裏に用意するためだったのだ。
「コートを作るだけにしては、採寸が細かすぎると思っていたんだ」
「確かに冬が厳しい地域だから、隙間ができないようにしてくれたのね」
ケイトは至極納得したように、一人で感心してうなずいている。
その様子を見ていた精霊のリンベルが、ふわふわと宙を舞ってマイクの肩へと移り、その耳元へ小さな顔を寄せた。
「ケイト、鈍い」
「……ああ。知っている」
マイクも声を潜め、深く重いため息とともに答えた。
「二人とも、さっきから何をこそこそ話しているの?」
「なんでもない」
「ケイト、温室好き。インプット」
「そうよ。本当に素敵な温室だったわ」
ケイトが一点の曇りもない笑顔を浮かべると、リンベルは「やっぱり駄目だ」と諦めたように首を振り、マイクと視線を交わした。何を言っても今のケイトには通じないと、リンベルもよく理解していた。
その頃、ノウス王国の貴族たちの間では、「温室完成記念の夜会」の話題でもちきりだった。
これまでなかなか日程が発表されず、社交界の面々はやきもきしていたのだ。何やら『重要な招待客』の都合を待っているのではないかと噂されていたが、真相ははっきりしなかった。
しかし、待たされている間に、噂は成長しいつのまにか真実へと変貌していく。
「大使が、外国から途方もなく優秀な人材を連れ帰ったそうよ」
「まあ。どのような方なのです?」
「薬草の知識に秀でているだけでなく、内政や行政にも明るく、さらには冒険者としても数々の高い実績を持っているそうですわ」
「それほど有能な方が……!?」
「しかも、まだ大変お若いのですって」
ここまでは、おおむね間違っていなかった。
ところが、情報を伝達する過程で、誰かが決定的な勘違いをした。あるいは、年頃の娘を持つ親たちが、都合よく解釈したのだ。
「大使が連れてきたのは、恐ろしく有能な『若い男性』らしい」
その一言が、王都の令嬢たちの間を疾風のごとく駆け巡った。
「ご結婚はされているのかしら?」
「婚約者はいらっしゃるの?」
「外国の方なら、こちらの貴族との縁談も考えておられるのではなくて?」
「王家主催の夜会へ主賓として招かれるほどの方ですもの。きっと身分も申し分ないわ」
令嬢本人よりも、母親たちのほうが色めき立ち、熱心だった。
少しでも娘を目立たせようと、急遽新しいドレスを仕立てさせる者や、必死にダンスの練習をやり直させる者が続出した。中には、大使館へ遠回しに「その御方の好みの女性のタイプは?」と問い合わせる猛者まで現れる始末。
肝心の名前すら誰も知らないまま、噂の中の「有能な若い男性」は、日に日に理想化され、完璧な白馬の王子様へと育っていった。
まさか、大使が連れてきた最大の逸材が、温室の薬草を前にして「すごいわ!」と目を輝かせていた小柄な女性だとは、この時の貴族たちの誰も、夢にも思っていなかったのである。
そして迎えた夜会当日の朝。
宿舎には、いつも以上に上機嫌で顔の筋肉を緩ませた大使が、自ら二人を迎えにやって来た。
「お迎えに上がりました。さあ、こちらへ」
至れり尽くせりの案内で、ケイトとマイクは王城へと向かった。
夜会は夜であるにもかかわらず、主役であるケイトは朝から身支度や作法、ヘアメイクの準備に追われることになる。
ケイトが支度部屋にこもっている間、手持ち無沙汰になったマイクは、会場となる大広間を歩き回り、庭の警備状況を鋭い目で検分した。
鋭い眼光を放ちながら私服で城内をチェックするマイクの姿を見て、通りすがる近衛騎士や使用人たちは、「警備状況を確認している、どこか他所の腕利きの騎士だろう」と勘違いし、誰も彼に不審者として声をかけることはなかった。
やがて、長い時間をかけてケイトの準備が完了した。
マイクが待合室に呼ばれると、そこには満足げな大使と、見慣れない一人の端正な青年が立っていた。
「マイク殿、ご紹介しましょう。こちらは、我が国のブライト侯爵家の嫡男、ラドクリフです。わたしの甥にあたります。本日のケイト様のエスコートを任せようと思い、連れてまいりました」
「初めまして、ケイト様。ラドクリフです。本日はあなたのような素晴らしい方をエスコートできて光栄です」
「あら、ご丁寧に恐れ入ります。ケイトです。よろしくお願いします」
「ラドクリフ。インプット」と声が響いた。
「あ?」とラドクリフが飛び上がった。
天井からリンベルが、ふよふよと降りて来た。
「わたしがテイムしたリンベルちゃんです」
「よろしくね」とリンベルは挨拶するとまた上に上がって行った。
「一緒に行きます。おとなしいし賢いから」とケイトがにこやかに言った。
ラドクリフは一瞬ひるんだが、すぐに気を取り直した。
それから二人は、にこやかに挨拶を交わしたが、ラドクリフの視線はリンベルの方へさまよっていた。
マイクは一歩前に出ると、低い声で威圧するように言った。
「大使。エスコートなら、護衛である俺がやります。お心遣いはありがたいが、結構だ」
「いえいえ、マイク殿。本日の夜会はケイト様が事実上の主役。エスコートは我が国の高位貴族が務めるのが礼儀というものです。本当は王子殿下をと考えたのですが、それではケイト様が目立ちすぎてご負担になるかと案じ、急遽この甥に手伝わせることに。どうかご理解いただきたい」
理路整然とした大使の言葉にマイクがなおも言い返そうとした時、ケイトがその袖を引いた。
「マイク、同じ会場にいるんだから大丈夫よ。ね?」
「……チッ」
ケイトにそう言われては拒否できない。マイクは盛大なため息をつくと、不承不承ながらもその提案を承知した。
時は少しさかのぼり、支度部屋に入ったケイトは、目の前に用意されていたドレスを見て歓声を上げていた。
「まあ……! なんて素敵なの……!」
それは、深みのある高貴な赤を基調にした、冬の夜会にこれ以上なくふさわしい生地のドレスだった。襟元と袖口には繊細な銀の刺繍が施され、そして何より、美しく広がる裾の部分には、昨日温室で見せてもらったばかりの『薬草の葉と小花』の意匠が、精緻な銀糸で見事に描かれていたのだ。
「これ、温室で育てられている薬草の模様だわ」
ケイトが愛おしそうに、そっと指先で刺繍の模様に触れる。
「温室完成記念の夜会だから、それに合わせてくれたのね。なんて粋な計らいかしら」
その言葉を聞いた周囲の侍女たちは、顔を見合わせてクスリと微笑んだ。
「大使閣下が、デザインの細部に至るまで『ぜひこちらの意匠で』と、職人に何度も細かく指示を出されていたそうです」
「大使ったら、本当に気の利くいい人ね!」
「大使、気が利く」とリンベルが言うと侍女たちもうなずいた。
ケイトはただただ、その心遣いに素直に感激していた。
「ケイト、やっぱり、ものすごく鈍い」
「リンベル、何か言った?」
「ドレス、きれい。インプット。……ケイト、がんばれ」
「ふふ、そうね。とっても綺麗。頑張って着こなさなきゃね」
鏡に映る自分の姿を見て、ケイトは満足そうに微笑んだ。
この夜会が始まれば、会場で自分を待ち構えているのが、決して「温室の完成を純粋に喜ぶ関係者」ばかりではないということをケイトはまだ知らなかった。
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次回、水曜日に更新します。




