72 温室完成記念の夜会-2
72 温室完成記念の夜会-2
夜会が始まると、マイクはあっという間に令嬢たちに囲まれた。
「マイク様は、どちらのご出身でいらっしゃいますの?」
「冒険者として、ずいぶんご活躍だとうかがいましたわ」
「滞在中、王都をご案内させていただけませんこと?」
「雪景色の美しい庭園がございますの。ぜひ、ご一緒に――」
ひとりが話しかければ、別の令嬢が負けじと声を重ねる。
大使が優秀な人材を連れてくる――その話が、なぜか「若く有能な男性がやって来る」と貴族の間に伝わっていたらしい。
端正な顔立ちに、鍛えられた長身。正装をして黙って立っていれば、マイクは令嬢たちの期待を裏切らないどころか、十分すぎるほど魅力的に見えた。
「いえ、俺は……」
マイクが口を開いても、令嬢たちは止まらない。
「まあ、そのお衣装、とてもお似合いですわ」
「ダンスはお得意?」
「よろしければ、次の曲をわたくしと――」
助けを求めるようにマイクはケイトを見た。
しかし、そのときケイトはラドクリフに手を差し出されていた。
「ケイトさん、一曲お願いできますか?」
「はい。よろしくお願いします」
ケイトがその手を取ると、ラドクリフは満足そうに微笑み、彼女を広間の中央へと導いた。
今夜のケイトは、深い赤色のドレスを身にまとっていた。
襟元と袖口には繊細な銀の刺繍が施され、そして何より、美しく広がる裾の部分には、昨日温室で見せてもらったばかりの『薬草の葉と小花』の意匠が、精緻な銀糸で見事に描かれていたのだ。
「とてもお似合いです」
音楽に合わせて踊りながら、ラドクリフが言った。
「ありがとうございます。でも、少し落ち着きません。こんな立派なドレスを着るのは久しぶりなので」
「そうは見えませんよ。ダンスにも慣れていらっしゃる」
「昔、覚えただけです」
ケイトはそう答え、軽やかに足を運んだ。
かつて視察や晩餐会へ出ていた頃、必要に迫られて身につけた作法だった。楽しい思い出ばかりではないが、一度覚えたことは身体が忘れていない。
「やはり、大使がおっしゃるとおりですね」
「大使が?」
「ええ。ケイトさんは言葉も堪能で、外交の場でも頼りになる方だと。これから我が国にとって、大きな力になってくださるだろうと話していました」
「ずいぶん高く評価してくださったんですね」
「実際、そのとおりなのでしょう?」
「どうでしょう。まだこちらでは、何もしていませんから」
ケイトは困ったように笑った。
曲が終わると、ラドクリフはケイトを王子の前へ案内した。
王子の視線はリンベルへ向かっていた。
「殿下、こちらがケイトさんです」
王子は礼儀正しい笑顔を浮かべた。
「遠路、よく我が国へ来てくれた。温室の薬草に大変興味を持っているそうだね」
「はい。これほど寒い土地で薬草を育てる工夫は、たいへん興味深いものでございました。実際に拝見できて光栄です」
「外国の言葉にも明るいとうかがっている」
「いくつか学びました」
「そうか。それは心強い」
王子は感心したようにうなずいたものの、そこで会話は途切れた。
ノウス王国は、もともと外国との交流が少ない。
外交に通じ、複数の言葉を話せるというケイトの能力が、どれほど得難いものなのか、実感できる者は多くなかった。
その後もラドクリフは、ケイトを高位貴族たちに紹介して回った。
「こちらが大使から報告のあったケイトさんです。薬師としての知識に優れ、外国語にも堪能で――」
「ほう、薬師ですか」
「温室の薬草をご覧になったそうですな」
「何か薬をお作りになったのですか?」
「いいえ。昨日、王都へ到着したばかりですので、まだ何も」
「そうですか」
それを聞いた貴族の関心は、目に見えて薄れた。
薬師としての実績がノウス王国で知られているわけではない。温泉の町で源泉を復活させたことも、まだ王都には詳しく伝わっていない。
「今後の活躍に期待しておりますよ」
「何か成果を上げられましたら、ぜひお聞かせください」
貴族たちは形式的な笑みを残し、挨拶が済むと、それぞれ親しい相手のもとへ去っていった。
王子も別の客に呼ばれた。
やがてラドクリフまで知人に声をかけられ、申し訳なさそうにケイトを見る。
「すみません。少しだけ席を外します」
「お気になさらないでください」
「すぐ戻りますから」
しかし、ラドクリフが戻るより先に、大使が国王に呼ばれた。
「ケイトさん、申し訳ありません。陛下がお呼びなので」
「はい。行ってらっしゃい」
こうして、ケイトは広い夜会の会場で、ぽつんとひとりになった。
「まあ、いいか」
「一人は気楽」とリンベルが言った。
周囲から人がいなくなったことを、ケイトはさほど気にしなかった。
むしろ、ようやく自由になれた。
ケイトはさっそく、壁際に並べられた料理へ向かった。
温室完成を祝う夜会だけあって、料理にも温室で採れた野菜や香草が使われている。薄く切った肉に緑色の香草ソースを添えたものや、小さな器に盛られた根菜の煮込み、温室で実ったという赤い果実を使った料理もあった。
「これ、美味しい」
一口大のパイを食べると、中には柔らかな白身魚と刻んだキノコが詰められていた。
さくさくした生地のあとから、濃厚な旨味が広がる。
ケイトはもう一つ取った。
「こっちも気になる」
次に手を伸ばしたのは、薄切りの鹿肉を香草と一緒にパイで包んだ料理だった。肉は驚くほど柔らかく、少し酸味のあるソースがよく合っている。
「夜会って、いいわね」
誰に聞かせるでもなく、満足そうにつぶやいた。
挨拶をして、少し踊れば、あとは美味しい料理を好きなだけ楽しめる。
ケイトが三つ目の料理を選びながら、何気なく広間の向こうへ目を向けると、そこには相変わらず令嬢たちに囲まれているマイクがいた。
最初より人数が増えているような気さえする。
淡い青のドレスを着た令嬢が、マイクの腕にそっと手を添えていた。
その隣では、華やかな赤いドレスの令嬢が顔を寄せ、楽しそうに話しかけている。別の令嬢は扇で口元を隠しながら、マイクを見上げて笑っていた。
マイク自身は、少しも楽しそうではなかった。
けれど、離れた場所にいるケイトには、彼の表情まではよく見えない。
「……人気者ね」
先ほどまで美味しかったはずの料理が、急に喉を通りにくくなった。
口の中に残った香草の香りまで、妙に強く感じる。
(どうしたんだろう)
食べすぎただろうか。
それとも、慣れないドレスで身体を締めつけているせいだろうか。
ケイトは手にしていた皿を見つめた。
まだ食べたいと思って取った料理が残っている。だが、急に食欲がなくなってしまった。
もう一度、マイクを見る。
今度は黄色いドレスの令嬢が、次の曲を踊ってほしいと頼んでいるようだった。
マイクが何か断っている。
すると別の令嬢が、すかさず前へ出た。
胸の奥が、もやもやする。
ケイトは眉を寄せ、そっと胸元へ手を当てた。
「……本当に、どうしたのかしら」
そのとき、令嬢たちの輪が動いた。
マイクが何度も頭を下げ、狭い隙間をすり抜けるようにして人垣から出てくる。そのまま、誰かに呼び止められる前に大股で広間を横切り、まっすぐケイトのところへやって来た。
「やっと抜け出せた……」
ケイトの前まで来ると、マイクは深々と息を吐いた。
「大変そうだったね」
「見ていたなら助けてくれ」
「私にどうやって助けろっていうの?」
「隣に立って、こいつは俺と一緒に来たと言ってくれればよかった」
「一緒に来たのは本当だけど、それで令嬢たちが離れるかしら」
「少なくとも、俺には心に決めた相手がいるように見えるだろ」
「……そうなの?」
ケイトはマイクを見上げた。
マイクは何か言いかけたが、結局、諦めたように小さく息を吐いた。
「ケイトは、本当にケイトだな」
「なに、それ」
「いや。こっちの話だ」
ちょうど曲が終わり、新しい音楽が始まろうとしていた。
マイクは居住まいを正すと、ケイトの前へ片手を差し出した。
「踊ってくれないか? 目立とう」
ケイトはなぜか急に気分がよくなった。
胸の奥に溜まっていた重たいものが、するりと消えていく。
「はい、思い切り」
ケイトが手を重ねると、マイクはほっとしたように笑った。
マイクの手がケイトの腰へ添えられた。普段より近い距離に彼の顔があり、ケイトは少し落ち着かなくなる。
(あれ? 前はなんともなかったのに)
音楽が始まる。
リンベルが、マイクの肩に止まった。
マイクはケイトの手を取り、最初の一歩を踏み出したと思ったら、二人は大股で中央へ出た。
二人は音楽に合わせて回った。リンベルも翼をばたばたと動かす。
赤色のドレスの裾がふわりと広がり、マイクの正装の裾と重なる。
先ほどまで彼を囲んでいた令嬢たちがこちらを見ていることに、ケイトは気づいた。
けれど、もう気分は悪くならなかった。
「ねえ、マイク」
「なんだ?」
「さっき、令嬢に腕を触られていたでしょう」
「触られた?」
「青いドレスの人」
「ああ……そうだったかもしれない」
「ずいぶん親しそうだった」
マイクの口元が、ゆっくりと緩んだ。
「何がおかしいの?」
「いや、別に」
「笑ってるじゃない」
「ケイトが見ていたんだなと思って」
「見える場所にいたからよ」
「そうか」
「それだけだからね」
「ああ、それでいい」
何がそれでいいのか、ケイトにはわからなかった。
ただ、マイクはひどく機嫌がよさそうだった。
「ちなみに、赤いドレスの令嬢は、明日王都を案内したいと言っていた」
「そう」
「断った」
「どうして?」
「ケイトと温室へ行くからだ」
「明日は温室に行く予定だった?」
「今、決めた」
ケイトは思わず吹き出した。
「なに、それ」
「温室が駄目なら町を歩こう。何か美味い物を探してもいい」
「それはいいね」
「だろ?」
マイクの手に導かれ、ケイトはもう一度くるりと回る。
戻ってきたケイトを、マイクはしっかり受け止めた。
その瞬間、二人の距離が先ほどより近くなる。
ケイトが顔を上げると、マイクはまっすぐ彼女を見つめていた。
「ケイト」
「なに?」
「次の曲も俺と踊ってくれ」
「また?」
「ああ。もう誰にも捕まりたくない」
「それなら仕方ないわね」
ケイトは笑った。
けれど、本当は仕方なくなどなかった。
マイクのそばにいれば、胸の奥の不快なもやもやはきれいに消えていく。それどころか、温かく、くすぐったい何かが少しずつ広がっていた。
やがて一曲が終わり、二人は足を止めた。
けれど、重ねた手はどちらからも離さなかった。
「ところでケイト」
「なに?」
「料理は美味かったか?」
ケイトは壁際の料理を振り返った。
「美味しかった。でも、途中で急に食欲がなくなったの」
「具合が悪いのか?」
マイクの顔から笑みが消え、心配そうにケイトを覗き込む。
けれど、ケイトは首をかしげてから言った。
「もう治ったみたい」
「本当か?」
「うん。お腹が空いてきた」
「それならよかった」
マイクは心から安心したように笑った。
「踊ったら腹が減ったな。俺も何か食べたい」
「白身魚とキノコのパイが美味しかったよ」
「じゃあ、それを食べよう」
「鹿肉の料理も美味しかった」
「それも食べる」
「赤い果実を使った料理も気になるの」
「全部食べればいい」
「そうだね」
二人は手をつないだまま、料理の並ぶテーブルへ向かった。
少し離れた場所では、マイクを取り囲んでいた令嬢たちが、口惜しそうにその後ろ姿を見送っている。
だがケイトは、もう彼女たちを気にしなかった。
マイクの皿へおすすめの料理を次々と載せながら、いつものように美味しいものを一緒に食べられることが、何よりもうれしいと思っていた。




