66 寒さに慣れましょう
66 寒さに慣れましょう
次の町へ着くころには、空気はすっかり張り詰め、吐く息が白くなるほど冷え込んでいた。
「寒いね」
ケイトは首をすくめ、新調したばかりの防寒着の襟をぐっと引き上げた。
その様子を見ていた大使が、満足そうに深くうなずく。
「ケイトさん、この地においては『寒いね』ではなくてですね……『冷たいね』、と言うのですよ」
「冷たいね? ……冷たいね。なるほど、冷たいね!」
言葉の響きを確かめるように何度か繰り返したケイトは、納得したように大使に笑顔を向けた。
「ここからさらに北へ進みますと、このくらいの寒さは日常茶飯事になります。今のうちに身体を慣らしておいた方がよろしいでしょう。ですから、この町には二泊することにいたします。無理をせず、のんびりと過ごしてください」
「なるほど、身体を寒さに馴染ませるわけか」
マイクもどんよりとした北国の空を見上げる。
「確かに、この先はもっと過酷な寒さになりそうだしな」
「ええ。我が国は北に位置しておりますから。これからが本番ですよ」
大使の言葉に引き締まる思いを抱きながら、三人はゆっくりと町を歩き始めた。
新調した防寒着は、見た目こそ厚ぼったくて重そうだったが、実際に着てみると驚くほど身体に馴染む。
「これ、本当に暖かいね」
ケイトが感心したように、防寒着の袖をぎゅっと握りしめた。
「それに、こんなにしっかりしているのに動きやすいし、全然重くないの」
「仕立て屋の腕がいいんだろうな」
マイクもぐるりと肩を回し、その着心地を確かめるように呟いた。
「大使、いい店を紹介してくれてありがとう。助かったよ」
「お気に召していただけて何よりです。旅の基本はまず足元と衣服ですからね」
大使は嬉しそうに目元を和ませた。
「それでは、わたしは少し役所へ行って、仕事をして参ります。お二人とも、ごゆっくり」
大使と別れた二人は、異国情緒あふれる石畳の町をあてもなく歩いた。
しばらく行くと、ショーウィンドウに色とりどりの帽子を飾っている、お洒落な店が目に入った。
ウィンドウの向こうには、ふわふわした毛皮の帽子や、耳当てがついた実用的なものまで、たくさんの帽子が並んでいる。
「わあ、暖かそう……それに、すごくかわいい」
ケイトは思わず足を止め、ガラスに顔を近づけるようにしてウインドウを覗き込んだ。
その様子に気づいた店主が、カランカランと小気味よい鈴の音を響かせてドアを開けた。
「いらっしゃい、お嬢さん。寒そうだし、中で試していきなよ」
気さくな店主に勧められ、ケイトは白い毛皮のついた帽子をそっと被ってみた。
「どうかしら……?」
耳まで優しく包み込まれ、遮られた風の代わりに極上の温もりが広がる。
「暖かい……!」
「うん、よく似合ってる」
隣で見ていたマイクが、褒めた。
「そうですか……?」
直球の言葉に、ケイトは少し照れくさそうに頬を緩める。
「おじさん、これにします!」
「じゃあ、俺も一つもらおうか」
マイクもケイトの帽子に合わせるように、色違いの落ち着いた色の帽子を選んだ。
店主は満足そうに、真新しい帽子を被った二人を見比べた。
「いやいや、実にお似合いの二人だねぇ。帽子も喜んでるよ」
その言葉に、ケイトは「あ……」と少し頬を赤くして視線を泳がせる。一方のマイクは、何も言わずに照れ隠しで帽子を深くかぶり直した。
店を出ると、先ほどよりも一段と強い風が吹き抜けた。
ひゅっと鳴る風の音に、ケイトは思わず両手をこすり合わせる。
「うう、手が冷たい……」
防寒着と帽子は完璧だったが、手袋はまだ持っていなかったのだ。外気に晒された彼女の白い指先は、またたく間に赤く染まっていく。
それを見たマイクが、歩みをふと緩めた。
「ケイト」
「なに?」
「俺の手、温かいぞ」
そう言うと、彼はごく自然な動作で、大きな右手を差し出してきた。
「え……?」
「手袋代わりだ」
あまりにも大真面目な顔で言うものだから、ケイトは一瞬呆気にとられ、それから思わず吹き出してしまった。
「ふふっ、そんな手袋ある?」
「期間限定、現品限りだ」
「変なの」
くすくすと言いながらも、ケイトはその温もりに誘われるように、そっと自分の小さな手を重ねた。
「……? あったかい……」
「だろ!」
マイクの手はゴツゴツとして大きくて、不思議なくらい温かかった。
冷え切っていたケイトの指先に、彼の体温がじんわりと染み込んでいく。
「本当だ……魔法みたい」
「言っただろ。俺は嘘はつかない」
二人はそのまま、どちらからともなく指を絡ませ、並んで歩き出した。
ただ手を繋いで歩くだけなのに、不思議と身体だけでなく、胸の奥までぽかぽかと温かくなっていくようだった。
しばらく心地よい沈黙の中で歩いていると、一軒の趣ある革製品の店が目に入った。
見れば、店先には暖かそうな毛皮付きの手袋がずらりと並んでいる。
「あっ」
ケイトが足を止めた。
「手袋、あるね」
「……そうだな」
マイクのトーンがわずかに下がった気がしたが、ケイトは嬉しそうに店へ入っていく。
店内に入ると、人の良さそうな店主が次々と自慢の品を見せてくれた。
「いらっしゃい。こちらは内側に羊毛を編み込んであります。で、こっちの高級なやつは、革の内側に極上の毛皮を直接縫い付けてあるんですよ。防寒性は保証します」
ケイトはいくつか試着し、自分の手にぴったり馴染む、淡い茶色の手袋を選んだ。
指をグーパーと動かしてみる。
「これ、すごく動かしやすいし、それに本当に暖かい!」
「お兄さんもどうぞ。この先へ行くなら、これから手袋なしは本当にきついですよ」
店主に勧められ、マイクは少しだけ名残惜しそうな視線をケイトに向けた後、「……そうだな」と一組の黒い手袋を選んだ。
店を出ると、ケイトは嬉しそうに新しい淡茶の手袋をはめ、何度も手を開いたり閉じたりしてはしゃいでいた。
「うん、本当に暖かい!」
満面の笑みを浮かべるケイト。
しかし、その様子を隣で見つめていたマイクは、小さく「はぁ……」とため息をついた。
「どうしたの? マイク」
「いや、なんでもない」
「?」
不思議そうに首を傾げるケイトに、マイクはこれ以上ないほど大真面目な顔で告げた。
「……俺の手袋が、早くもお役御免になったな、と思ってな」
ケイトは一瞬きょとんとしてマイクの顔を見つめ――それから、堪えきれずにお腹を抱えて吹き出した。
「あはははっ!」
「おい、笑うな。こっちは大真面目だ」
「だって! そんなことで本気でがっかりする人、初めて見たんだもん!」
「俺は結構、あの期間限定の仕事を気に入ってたんだがな」
拗ねたように視線を逸らすマイクが可笑しくて愛おしくて、ケイトは涙を浮かべながら彼の手をそっと引き、覗き込んだ。
「ふふ、大丈夫だよ。また手が寒くなったら……その時は、お願いするね?」
その一言を聞いた瞬間、マイクの不満げだった表情が、目に見えてパッと明るくなった。
「……ああ、任せろ。いつでも引き受ける」
「ふふっ、期待してるね」
(仲良し、インプット)マイクはリンベルの代わりに心の中でそう呟き、満足感に浸りながら、「さて、どこかで暖かいものでも食べよう」と、美味そうな湯気を立てるレストランを探して、再びケイトと歩き出した。
リンベルはケイトのカバンの中に大人しく収まっていた。




