60 ノウス王国へ
60 ノウス王国へ
ロバート王太子がダンジョンへ通い始めた頃、ケイトとマイクは、ノウス王国へ向かう馬車に乗り込んだ。
正直なところ、ケイトは荷物を全部収納へ放り込んで出発するつもりだった。
だが、大家さんやギルドの厚意を無下にするのも申し訳ないと思った。
それで、最低限の着替えや日用品を鞄へ詰め込み、薬師修行の資料を収納に入れて行くことにした。
それ以外の準備らしい準備といえば、行列に並んだ買った蒸しケーキ――前に古着屋のおかみに貰って美味しかった。
それから、いつもの店で買ったクレープ。
その二つを大事に収納へしまったことくらいだった。
「いつもの味も大事だな」マイクも同じ意見だった。
「そうそう」ケイトも真面目な顔で答えた。
「旅先で美味しい物を食べるのは大事だけどね」
「それも否定しない。大事だ」マイクも負けずに真面目に答えた。
「美味しい。大事。インプット」
リンベルも肩の上でこくりとうなずく。
「インプット。美味しい物」
「リンベルまで」
マイクは苦笑した。
そんな風に話しながら揺られているうちに、一行は最初の宿場町へ到着した。
夕方だった。空は茜色に染まり、建物の屋根が赤く輝いている。
馬車から降りたケイトは、大きく背伸びをした。
「んーっ!」
背中がぽきぽき鳴る。
「やっぱり少し固まるね」
「スプリング付きでも一日乗ればそうなるさ」
マイクも肩を回している。
「ちょっと散歩しよう」
「賛成だ」
二人は町を歩いた。宿場町は旅人で賑わっていた。
行商人が最後の商いに声を張り上げる。
どこからか焼いた肉の匂いが流れてきた。
そのまま歩いていると、町の中心にある広場へ出る。
そこには一本の大きな木が立っていた。
幹は大人が何人も手を繋がないと囲めないほど太い。
枝は大きく広がり、町全体を見守っているようだった。
ケイトは足を止めて見上げた。
「大きいね」
「あぁ」
マイクも見上げる。
「この木は町ができる前からここにあったようだな」
「それって、この木を大事に思ってるってこと?」
「そういうことだろうな」
マイクは木肌に手を当てた。
「ここまで大きくなるには長い年月が必要だ」
ケイトも幹を触った。
「これは雷かな?」
幹の裂け目をマイクはこう言った。
「木がお話できたら、いろいろ知ってるでしょうね」
「旅人の話とか」
「町ができた頃の話とか」
「昔の恋人たちの話とか」
「それ聞きたい」
ケイトが笑った。
その時だった。
「インプット。木」
リンベルがふわりと飛び上がった。
ぐんぐん高度を上げる。
やがて枝と枝の間を縫うように飛び始めた。
夕日を浴びた体が赤く染まり、まるで小さな火の鳥のようだった。
「楽しそうだな」
マイクが目を細める。
「うん」
ケイトも自然と笑顔になった。
しばらくそうして過ごしたあと、一行は宿へ戻った。
夕食は大きな皿いっぱいの煮込み料理だった。
トマトの香りが湯気と一緒に立ちのぼる。
柔らかく煮込まれた豚肉がごろごろ入っていた。
スプーンを入れると、肉がほろりと崩れる。
口に運べば、濃厚な旨味が広がった。
「美味しい!」
ケイトは思わず声を上げた。
向かいではマイクが黙々と食べている。
そして、「おかわり」と早かった。
「美味しいよね」とケイトが笑う。
案内役の大使は恐縮したように頭を下げた。
「粗末な物で申し訳ありません」
「そんなことないですよ」
ケイトは慌てて首を振った。
「スープがすごく美味しいです」
「肉も美味い」
マイクも真面目な顔で言う。
大使はほっとしたように笑った。
「そう言っていただけると安心します」
食事を終え、部屋へ戻る。
部屋は清潔で居心地がよかった。
ベッドへ腰掛けたケイトは、ぽすりと倒れ込む。
柔らかいと思った。
そしておなかが満たされていた。
(ほんとに冒険者っていいわね)
視察へ行っていた頃を思い出す。
あの頃は食事の時間も仕事だった。
人が多くて気を使い、話を聞いて望まれたように相槌を打った。
何を食べたかさえ覚えていないこともあった。
でも今は違う。
見たいものを見に行ける。
歩きたい場所を歩いて回る。
美味しい物を「美味しい」と言いながら食べる。
それだけで楽しい。
肩の上にリンベルが降りてきた。
「ケイト」
「なあに?」
「旅は楽しいね。インプット」
ケイトは思わず笑った。
「そうだね」
窓の外では遠くで旅人たちの笑い声が聞こえる。
まだ旅は始まったばかりだ。
知らない町と知らない景色。
知らない食べ物。
そして、まだ見ぬノウス王国。温室が待っている。
「明日も楽しみだね」
「うん。インプット」
リンベルの返事を聞きながら、ケイトはゆっくりと眠りへ落ちていった。




