47 スタニス王子の冒険者登録
47 スタニス王子の冒険者登録
王宮の第一執務室は、今日も今日とて戦場のような騒がしさだった。
並べられた長机の上には、天井に届きそうなほどの書類の山が幾つも聳え立ち、その間を文官たちが血相を変えて走り回っている。
そこにケイトが姿をあらわす。すると文官が寄って来た。
「ケイトさん!」
「この案件なんですが!」
「前例が見つからなくて、判断に困っていまして!」
『ケイト、有能。インプット。みんな働いている。インプット』
ひっきりなしに文官たちが詰め寄ってくる。まるで臨時の相談窓口だ。
ケイトは笑顔で机に腰を下ろすと、彼らの相談に答えた。
「そちらは第三王領の水利権確保と同じ扱いで通してください」
「はいっ」
「そっちの案件は添付書類が二枚足りません」
「あちゃー、やっぱりですか……」
「これは予算の項目が違いますね。財務部の管轄に修正を依頼して再提出を」
「助かります、ありがとうございます!」
そして、合間に書類を書き上げ、決済した。
ケイトは最後の一枚を終えると、トントンと紙の端を揃えた。
完璧な書類の完成だ。
「それでは、私はこれで失礼します」
その言葉に、悲鳴が上がった。
「えぇぇ!?」
「ひさしぶりにいらしたのに!」
「もう帰っちゃうんですか!?」
「待ってください、まだ聞きたいことが山ほど――」
「あいにく、この後に先約がありますので。それでは」
「ケイトさーん! また明日も絶対に来てくださいね!?」
「はいはい、善処します」
ひらひらと手を振り、惜しむ声を背中で聞きながら執務室を後にする。
ひとけのない静かな廊下に出た瞬間、ケイトの唇が不敵な弧を描いた。
「さて」
肩にかけた鞄をポンと叩く。
「第二段階、開始です」
『ぼうけん?』
鞄の中から、リンベルが嬉しそうな声を弾ませた。
「ええ、大人の大冒険です」
ケイトが向かったのは、王宮のさらに奥。第二妃の息子――第二王子スタニスの執務室だった。
ノックもそこそこに扉を開けると、そこは第一執務室とはまた違う意味で地獄の様相を呈していた。
部屋の壁際では、護衛役のディディエが彫像のように静かに佇んでいる。
みれば、マチュリンが書類を仕分けている。
「こんにちは、スタニス殿下」
「あぁ……キャサリ……いや、ケイト殿……」
顔を上げたスタニスの声は、掠れて消え入りそうだった。
「死にそうですね」
「……見て、わかるか」
「わたくしも以前同じ悩みを」
「そうでしたね。あなたに全部押し付けていた。決済そのものは簡単だが、わたしがそこまで権限が……王太子ではありませんので」
「えぇ、王太子だったらサイン一つで済むことを代理がやる場合は、手続きが多いですからね」
心底疲れ切った様子でガックリと肩を落とす王子を、ケイトは見据えた。
「冒険者になりませんか?」
「は?」
『冒険者はお勧め。インプットいっぱい』
沈黙が室内の空気を支配する。スタニスは硬直したまま、ぱちぱちと数回まばたきを繰り返した。
「今、何と?」
「冒険者です」
「さあ、今すぐギルドへ行って登録しましょう」
「いや、どうしてそうなるのですか?」
当然の反応だった。
「ディディエさん、お願いします」
「承った」
壁際に控えていた大柄な男が、音もなく一歩前へ出た。
スタニスは、そこで初めてその人物をはっきり認識したらしい。疲れた顔がさっと引き締まる。
「ジャイユール卿……」
スタニスはわずかに背筋を伸ばした。
第二妃の王子である彼にとって、騎士団長は気安く扱える相手ではなかった。
「なぜ、こちらに」
「護衛だ」
「護衛? ですか」
スタニスはケイトを見る。
ケイトは平然とうなずいた。
「彼は今日、護衛として来てくれています。あなたを無事に冒険者ギルドまでお連れするためです」
「無事に? とは」
「このままでは、あなたは便利に使われて終わります」
スタニスは反論しかけて、口を閉じた。
否定できなかった。
机の上には、王太子が放り出した仕事が積み上がっている。
彼は第二妃の息子だ。王位継承権はあるが王座はひとつ。
二番目なんて義務はあるが、権利なんてなにもないのと同じだ。
都合のいい時だけ王族として扱われ、都合の悪い時は見えない場所に追いやられる。
その扱いに、もう慣れてしまっていた。
「それは……そうかもしれないが」
「だから冒険者になりましょう」
「話が飛びすぎていませんか?」
スタニスは困ったように眉を寄せた。
そこへディディエが静かに言った。
「スタニス殿下」
「はい」
スタニスの返事は自然と丁寧になる。
ディディエは真面目な顔で、重々しくうなずいた。
「冒険者は良いぞ」
「は、はい?」
「朝、好きな依頼を選べる」
「好きな依頼?」
「嫌な依頼は受けなくてよい」
その言葉に、スタニスの表情がかすかに動いた。
「受けなくて、よいのですか」
「ああ」
ディディエは力強くうなずく。
「依頼票を見て、自分で決める。無理だと思えば受けない。納得できなければ断る。それが冒険者だ」
スタニスは黙った。
断る。その言葉は思った以上に重かった。
王宮で彼に与えられる仕事は、ほとんど命令だった。
断れば角が立つ。引き受けても功績にはならない。
だが、引き受けるしかない。
あの婚約破棄の夜会から、そんな日々を、ずっと続けてきた。
ディディエはさらに続けた。
「薬草も採れる。荷物運びもある」
「それは……かなり地道ですね」
「地道だ。だが、報酬が出る」
スタニスは少しだけ目を伏せた。「……報酬が出るのは、良いことですね」
「良いことだ」ディディエは深くうなずいた。
「初心者講習もある。薬草の見分け方を教わった」
「薬草の見分け方?」
思わず聞き返してから、スタニスはすぐに頭を下げた。
「失礼しました。馬鹿にしたわけではありません」
「わかっている」
ディディエは気にした様子もなく胸を張った。
「わたしは優秀な初心者だった」
マチュリンが横から大きくうなずいて
「はい。とても優秀でした」と威張った。
「褒められた」とディディエは少し嬉しそうだった。
スタニスはその顔を見て、力が抜けたように小さく笑った。
「ディディエ殿が、そんな顔をなさるとは思いませんでした」
「人生を楽しんでいるからだ」
マチュリンも微笑んだ。
その言葉に、スタニスは返事を失った。
人生を楽しむ。
王宮で一度も考えたことのない言葉だった。
ケイトがにこりと笑って言った。
「ですので、行きましょう」
「待ってくれ。まだ心の準備が」とスタニスは抵抗した。
「心の準備をしている間に、次の書類が来ます」とケイトが言った。
その瞬間、扉が開いた。
「殿下!」
「こちらの決裁を!」
「午後の会議が!」
「面会予定が前倒しになりまして!」
補佐官たちがなだれ込む。
スタニスの顔から、せっかく戻りかけた血の気が引いた。
ケイトが一歩前へ出て、書類を見た。
「それは、全部王太子殿下のお仕事です」
「ですが、王太子殿下がいらっしゃらないので、王子殿下に」
「王太子殿下は、この時間なら、どうせまた寝室で怠けていらっしゃるのでしょう? 本来の責任者に仕事をさせてください」
とぴしゃりと言った。
補佐官たちは固まると、お互いに顔を見合わせた。
「これから王子殿下には大切な仕事があります」
「大切な仕事?」
「はい、とても大切な仕事です」
「は?」
その隙に、マイクとマチュリンがスタニスの左右についた。
スタニスは戸惑いながら、「ディディエ殿、本当に行くのですか」と言った。
「行く」とディディエは簡単に答えた。
「わたしは、まだ了承したとは」
「大丈夫だ」
「何が大丈夫なのですか」と不満顔のスタニスに、ディディエは真顔で言った。
「冒険者は良いぞ」
(だから何なのだ!)
補佐官たちも、スタニスも、同じことを思った。
だが、元騎士団長の威圧感は健在だった。
補佐官たちは一歩も前へ出られない。
ケイトがスタニスの腕に自分の腕をからめる。
「行きますよ」とディディエを先頭に歩き出す。
「ケイト、これは拉致ではないのか」
「保護です」とケイトが微笑んだ。
「言い方を変えただけでは」
「大丈夫です。書類は準備できています」
――書類はできています。その一言が、マイクには一番怖かった。
スタニスは抵抗しなかった。できなかった。
だが、執務室を出て歩きだすと一足毎に、体が軽くなった。
ディディエが前にいる。
マチュリンがいる。マイクがいる。
ケイトが隣でエスコートしてくれている。
混乱が、期待と喜びに変わっていった。
そして冒険者ギルドの受付前に立った。
受付嬢が目を丸くする。
「王族の方では?」
「登録に支障はありません」
十分後、スタニスの手には、冒険者カードが握られていた。
「本当に登録されてしまった」
「おめでとうございます」
ケイトは満足そうだった。
ディディエも厳かにうなずく。
「ようこそ、冒険者へ」
スタニスはカードを見つめた。
薄い板一枚。
だが、それは王宮のどんな辞令よりも、不思議と輝き、自由に見えた。
その時、ケイトが鞄から書類を取り出した。
「では、こちらを」
スタニスは受け取って目を通した。数秒後、動きが止まった。
「ケイト殿」
「はい」
「これは」
「はい」
「王太子業務代行選任責任者依頼書ですか?」スタニスが驚いている。
「そうですね」
「これは王太子執務代行特務選任補佐官任命書だな」と横からのぞきこんでいたギルドマスターが言った。
「はい、はっきりとさせた方がいいと思いまして」
スタニスは文字を読み上げる。
「スタニス王子殿下を任命するんだな」
「はい、誰でもというわけにはいきませんから」
ギルドマスターが吹き出した。
マイクが壁を叩いて笑っている。
ディディエは感心した顔でうなずいた。
「なるほど。依頼ならば、条件も報酬も発生する。断る権利もある」
「そこが大事です」
ケイトがうなずく。
スタニスは天井を見上げた。
(自分は王宮から逃げたのではないのか?。
王宮で働くために、冒険者になったというのか?
しかも、今度は便利使いではなく、正式な依頼として。
まぁこれもありか)
「お前、本当にろくでもないな」
「褒め言葉ですね」
ケイトは悪びれずに笑った。
「能力を活かす場所は大事です。冒険者、いいですよ」
スタニスは手の中の冒険者カードを見下ろした。
それから、ディディエへ丁寧に頭を下げる。
「ディディエ殿」
「なんだ」
「冒険者としての心得を、後ほど教えていただけますか」
ディディエは満足そうにうなずいた。
「もちろんだ」
そして、ひどく真面目な顔で言った。
「まず、薬草は根ごと抜くな」
スタニスはしばらく黙った。
それから、微笑んで深くうなずいた。
「承知しました」
ギルドマスターはリンベルに向かって呟いていた。
「これが、ラスボスだよな……」
◆◇◆◇◆
このエピソードはAI不使用です。このくらいの書類名は自分で作れました。




