44 ダンジョンで狩り
44 ダンジョンで狩り
薄暗いダンジョンの入り口に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
どこか湿り気を帯びた土の匂いが鼻腔をくすぐる。
見上げれば、そこは確かに地下迷宮の天井であるはずなのに、まるで本物の空のようだった。
そんな幻想的な光景の中で、ケイトは手にした木剣をぐっと力強く握り直した。
その表情には、並々ならぬ決意がみなぎっている。
「わたしも冒険者の端くれ。今日は、戦います」
「おう」
隣に立つマイクが、興味なさそうに肩をすくめた。
「ダンジョンで」
「おう」
「冒険者らしく!」
ケイトは大事なことだと思ったので、繰り返したがマイクの反応は薄かった。
そこは、拍子抜けするほど平和な空間だった。
草地があちこちに広がる通路。その至る所で、色とりどりのスライムたちが気ままに揺れていた。
新緑のようなグリーン、清涼感のあるブルー、水晶のように透き通った透明。
中には、黄金の輝きをまとったものまでいる。
彼らはまるで日向ぼっこでも楽しんでいるかのように、のんびりと身を震わせていた。
危険の気配など微塵もない。むしろ、見ているだけで心が和むような癒やしの空間が広がっている。
「……平和ですねぇ」
ぽつりと言ったケイトの声は、すでに当初の気合いを失いつつあった。
「初心者向けって言っても、これじゃただの公園だな」
マイクが周囲を警戒しつつも、どこか拍子抜けした様子で見回す。
「せいぜい、足元をすくわれて転ばされるか、服をぬるぬるにされるくらいだろ」
「嫌です」
ケイトはすぐに反応した。コンマ一秒の迷いもなかった。
「服がぬるぬるになるのは、絶対に嫌です」
「戦う気満々だった奴のセリフかよ、そこかよ」
マイクのツッコミを華麗にスルーし、ケイトはその場にしゃがみ込んだ。
生い茂る草を手でかき分け、真剣な目で地面を探る。
「薬草……ないですね」
「まぁ、こんな入り口付近にはないだろ。皆が採り尽くしてる」
「一応、今日のわたしには高尚な目的があるんですよ」
「建前の間違いだろ?」
「聞き間違いしてますよ。高尚な目的です」
ケイトは立ち上がり、殊更に真面目な顔を作ってみせた。
「『ダンジョン内における薬草の生育状況調査』です」
「ただの探検だろ」
「……半分はそうです」
二人の頭上を、リンベルがふわふわと漂っていた。
翼をパタパタと動かし、長い身体を優雅に波打たせている。
『スライム。色いっぱい、たくさんいるね』
「リンベル、あなたは詳しいのでは?生まれ育った場所でしょ?」
ケイトが何気なく問いかけると、リンベルはピタリと動きを止めた。小さな頭を捻り、少しの間考え込む。
『ううん、ちがう』
「違うの?」
『育ってない。出ただけ』
リンベルは空中でくるりと一回転してみせた。
『ぽんっ、って。急にいるの』
ケイトはパチパチと瞬きをした。
「……発生、したってこと?」
『うん!』
リンベルは満足そうに頷き、声を弾ませた。
『だから、インプット!』
「そう……そうなの……」
ケイトは腕を組み、少し考え込んでしまった。出たって? まぁ何かなのだろうが、よくわからない。しかし、突然そこに「発生」するという事実に、なんとなく薄気味悪さのようなものを感じてしまう。
そんなケイトの思考を遮るように、足先になにかが当たった。
見れば、小ぶりのスライムが一匹、ケイトの靴に身体を寄せている。
ぷるぷると震えるその姿は、まるで人懐っこい子犬のようにも見えた。
「……」
ケイトは手元の木剣を見つめ、次にスライムを見つめ、最後にマイクへ視線を向けた。
「やるんだろ? 冒険者らしく」
マイクに促され、ケイトは意を決して、ぺち。
湿った、実にもどかしい音が響いた。
スライムは「ぷるん」と弾み、少しだけ後ろへ下がった。だが、ダメージなど受けていないかのように、また嬉しそうにケイトの足元へ寄ってくる。
「……」
ぺち。
ぷるるん。
「なんか……ものすごい罪悪感があります」
「お前、本当によくそれで冒険者を名乗ろうと思ったな」
「他を知らなかったし、それにしても、この子たち全然反撃してこないんですよ!?」
「スライムだからな」
ケイトがもう一度、今度はさらに力を抜いてポコッと叩いてみる。
スライムはころんと転がり、また何事もなかったかのように近づいてきた。
「……ごめんね」
「敵に謝るな」
「でも、なんか可哀想で……」
「はぁ……。その溢れんばかりの優しさ、冒険者には向いてねぇぞ」
「大丈夫です、やる気と使命がありますから」
「言うのは簡単だからな。それ」
マイクは盛大に呆れ果てた。
それからしばらく歩いたものの、景色は一向に変わらなかった。
見渡す限りの草、点在するスライム、時々足元に転がる小石。そして遠くの方で、何かがぴょんぴょんと跳ねているのが見えるだけだ。
「広いですねぇ……」
「まぁ、迷宮ってくらいだからな」
「どれくらいの広さがあるんでしょう」
「知らん」
「誰か調査したりしないんですか?」
「儲からんからな」
今度はマイクが速攻の回答をする番だった。
「夢がないですね。冒険者の夢はどこへ行ったんですか?」
「夢だけで飯が食えるなら、冒険者は行き倒れたりしねぇよ」
「でも、やっぱり夢も欲しいじゃないですか」
「だがな、夢を見た奴から死ぬ」
さらりと言い放たれた言葉に、ケイトの足がぴたりと止まった。
「それ、本当のように聞こえます」
「本当だからな」
マイクは至って真面目な顔をしていた。
「冒険なのに」
「冒険の本質がわかってないな」
「……」
マイクが少し先の通路を指差した。道が二つに分かれている。
「どうする? ここで引き返して、別の浅いフロアにでも行くか?」
ケイトは腕を組み、うーんと唸った。
帰りたい。ぬるぬるも嫌だし、何より現実の厳しさが怖い。
けれど、せっかくここまで来て「冒険者らしく」勇気を持って短時間で諦めるのも癪だ。
少しの恐怖と、それを上回る好奇心なら、当然後者が勝つ。
「行きます」
一歩を踏み出し、次のフロアへと進む。
そこは、先ほどのスライムの楽園とは少し雰囲気が違い、おとなしそうなウサギと、妙に丸っこい生き物が群生している場所だった。
ころころ。
ころころ。
それは文字通り、ただの「球体」だった。足があるのかさえ怪しいほどに丸い生き物が、地面を転がっている。時折、ぽよんと楽しそうに跳ねていた。
「平和ですねぇ……」
ケイトはしみじみと呟いた。
「角もない」
「ないな」
「鋭い牙もない」
「ないな」
「全く怖くない」
「今のところはな」
ころん、と足元で丸い生き物が横転した。
ケイトはその場にしゃがみ込み、じっと観察する。
「これ……思い切り叩くと、死んじゃって、魔石になるんですよね」
「あ一、そういう仕様らしいな」
ケイトは立ち上がり、マイクを振り返った。
「ちょっとやってみてください」
「えぇ!?」
マイクが露骨に嫌そうな顔を隠そうともせずに声をあげる。
「あなた、わたしの護衛ですよね?」
「こんな危険のない場所、俺の出番なんかねぇだろ」
するとケイトは、急に胸の前で両手を合わせて身を震わせた。
「キャー、怖ぁい。襲われちゃうぅ」
あまりにも感情の籠もっていない、完璧な棒読みだった。
足元では、丸い生き物がころんと無邪気に転がっている。
マイクの眉がぴくぴくと引き攣った。
「おい」
「護衛の出番ですよぅ」
「お前なぁ……」
深いため息をひとつ。マイクは渋々といった様子で腰の剣を抜いた。
「一回だけだからな」
ぽふっ。
峰打ちのように、軽く、優しく叩く。
丸い生き物は光の粒子となって霧散した。
後には、ころんと小さな魔石がひとつ、静かに転がっている。
あまりにもあっけない幕切れに、ケイトは自分の呼吸音を意識した。
ケイトは完全に固まっていた。
ゆっくりとしゃがみ込み、指先でそっとその魔石を突いてみる。
周囲を見回すが、どこにもあの丸い生き物の姿はない。さっきまでそこにいて、ころころと転がっていたはずの命が、消えていた。
「ほんとに……死んじゃった」
『消えた!』
頭上からリンベルが勢いよく飛び込んでくる。
『世界にインプットされた!』
「いや、えっ……待って……」
ケイトは魔石を拾い上げ、手のひらの上でじっと見つめた。
「これ、さっきまで生きてたんですよね? 命だったんですよね?」
「……ただの魔獣だ」
「でも、ころころしてました」
「そうだな」
「すごく平和そうでした」
「そうだったな」
「……」
痛いほどの沈黙が流れる。
マイクの脳裏に、強烈な嫌な予感がよぎった。
ケイトの視線が、近くにいたウサギへと向く。眠そうな顔のウサギも、こちらをじっと見つめ、鼻をひくひくと動かしていた。
「ご、ごめんね……っ?」
ケイトは引き攣った笑顔のまま、木剣をウサギに向けてぽんと優しく振り下ろした。
光。そして、転がる魔石。
ケイトの動きが、今度こそ完全に停止した。
「えぇ……」
彼女は自分の持つ木剣を見つめ、地面の魔石を見つめ、それから遙か高い天井の光を見上げた。
「――よし、今日はここまで!!」
きっぱりと言い放った。
「帰ります!!」
「……助かった」
マイクが心底ほっとしたように、胸をなでおろす。
「それ、どういう意味ですか?」
「お前の護衛、物理的な危険はねぇのに精神がゴリゴリ削られるんだよ」
『ケイト、やっぱり冒険者向いてない?』
リンベルが空中で首を傾げ、率直な疑問を口にする。
ケイトは一瞬だけ、神妙な顔で考え込んだ。だが、すぐにいつもの調子を取り戻して胸を張る。
「……都会派冒険者だから、たぶん大丈夫です」
「だから、その万能ワードに逃げるんじゃねぇ!」
マイクの鋭いツッコミが、平和なダンジョンの通路に虚しく響き渡った。




