99.【発進】
自分の身から栓を抜いたように、トクトクと温かさが失われていくのを感じた。その出先からは熱さと冷たさの両方を伴う痛み。
大気中の煤と、コックピットの埃を挟み込むその溝に、ドス黒い赤が侵入した。
アダムは身体を起こそうとする。
しかし、脳からの指示を受け取って、神経を伝っていくのは右腕と両足だけであった。
コックピットに開けられた穴に雨がなだれ込んで、アダムの虚な瞳と頰を濡らす。
身体を欠損した人々を見てまず思うことは、同情より、生きづらそうという感想である。
そして、自分がそうなってしまったのではないかという想像をする。
そんな想像は、アダムの瞳を揺らし、体に巡りながら漏れ出ていく脈を早くさせた。
『メサイアがこれをどう思うかな……』
アダムの頭に浮かぶのは、自分の有り様を見た時のメサイアと、戦艦ノアの皆の反応であった。
メサイアとの子供を、家庭を作りたいと言った。
しかし今の自分は、一人で立つことすら出来るのかわからない。
赤い機体の追撃は、この後すぐにやってくるだろう。
メサイアは自分を見捨てずに、この戦いの後も添い遂げてくれるのだろうか。彼女が戦いに出ると、思いたくはなかった。
自分の子供として生まれてくれる人は、これを受け継がないで、五体満足でやってきてくれるだろうか。
***
灰色の扉が煙を吐きながら開いた時、天井に吊るされるマシーンは悠然とあった。
その巨体、三十メートルはあるのではないか。
辺りは暗く、照明の数も少ない。そして、メサイアとこのメカニック以外に、人の息遣いはない。
メサイアがマシーンを見上げる。
暗闇の先で微かに照らされる、純白の装甲がある。
そして、それを枝状に縁取るのは金である。
足を独楽状に収束され、コックピットの胸部は開いていた。しかし、メサイアはそのコックピットハッチの暗闇に、女性的なシルエットを確認した。
メカニック曰く、リバーカンのコンソールや計器を扱いたいが為に、内部フレームを一部流用しているとのことであった。
メサイアはマシーンの異形のあまり、視線の移動が激しくなった。
そのシルエットを覆うように隠す外装は、今では見慣れた人型駆動兵器だった。
頭部は、猛禽類のような形状であり、鋭角な嘴を持つ。それを上下から挟み込むのは、同じく鋭角な冑である。
そして、その上下からなる冑に覆い隠された空洞。
バイザーで塞がれていない、両の瞳に当たるラインには、黒い窪みが横一直線に作られていて、その窪みには無数のセンサー・アイが搭載されていた。
それらは、一つ一つが意思を持っているように蠢き、自身の真下を歩くメサイアとメカニックを、中心で蠢く二つで見据える。
左右中央に二つずつ存在するそれらは、人の瞳のようで、黒い球体の中央を赤いレンズが縮小していた。
メサイアはそれを見て、自分達を見定められているように感じ、息を呑む。前を歩くメカニックは、その視線に慣れたように、網目状の床を歩いた。
冑の隙間にグロテスクな素顔を隠す頭部。金色で両肩の針を思わせるほど細身な肩。その下から萎んだように垂れる純白の翼。独楽状の底まで届くほど伸びるそれは、段々と機体に近づくに連れて、視認できる二本の腕を覆い隠していた。
白い装甲に統一された全体のシルエットは、一見美しさを感じる。
しかし、見上げ続けるほどに、気を狂わせるような醜悪さがあった。
その醜悪さの正体は、やはりこのセンサーの役割をする六つの瞳である。そしてそれらを覆い隠すための、胸部からなる純白の装甲と金。穢れなき翼。
それは、先ほどメサイアが嫌というほど見てきたものに似ている。
国が行った、この地下開発要塞の隠蔽。
もっと近親的に言えば、メローがギランミに与えた傷の隠匿と重なる。
そして、女性的なシルエットを持つリバーカンを内部フレームに使用して、このような醜い殻に閉じ込める。それは国家ぐるみで行われる、陵辱に思えた。
天井から吊るされるそれは、メサイア達が自身の胸元で完全に停止した時、静かにあの鳴き声を発した。
その振動に合わせて、機体を吊るすワイヤーが細かく揺れ動く。それに合わせて、頭部の六つの瞳も、左右上下に意思を持って動き始めた。
「こちらへ。」
チーフメカニックはそう言って、その機体の麓のコンピューターへ向かった。
「なぜ、このような異形なのですか。」
メサイアが呟き、その揺れ動く瞳のうち、中央の二つを見据えた。側頭のそれらも、その中央の動きに合わせて、一身でメサイアを見つめる。
「性能拡張のために、やむを得ないことなのです。テックトュムについて、説明は受けていますね。」
メカニックは、自身を睨むメサイアへ、コンピューターから視線を離して続ける。
「あれは、本来このメトロと連携して扱うものです。
街を覆うシェルターの装甲に備え付けられたパネルを使い、そのパネルで大気に放出されたビーム粒子を吸い上げます。それによって、ケーブル接続されたこの機体が、それをビームレーザーとして放出出来るのです。」
メカニックは呟き、遠方のメサイアをこちらに来るように呼び寄せた。
どうやら、麓のコンピューターを使って説明をしたいらしい。
「そんなものを使えば、街を焼き払うことになるでしょう。第一、私は帝国の兵士も諌められると信じたから、このマシーンまで来たのです。」
メサイアは言いながら、メカニックの側へ寄る。
頭上のマシーンは、それを押し黙って傍観しているようである。
依然として、メサイア達の前に差し出される、コックピットハッチは開いたままで。
「良いですか、姫様。街はもう既に壊滅寸前なのです。帝国の部隊は歩兵と、空中のマシーンを使って、掃討を行おうとしているのですよ。」
メサイアはそれを受けてすぐに喋り始めた。
「アダム達が抑えてくれているはずです。ギランミやエトセーラに預けて貰った命を、敵の撃滅には使いたくないのです。」
メサイアは、そのコンピューターを覗き込むようにして呟く。メカニックは、地球軍を頼りにするメサイアを見て、ここでバックの言い分も、良くわかってしまうのが悔しかった。英国は本当に負けるかもしれない、という考えが彼の呼吸を乱し始める。
「姫様、奴等が充満させたビーム粒子を転用して、逆にあれらを撃墜する。そうすれば兵士の士気も高まり、敵の数も徹底的に減らせるのです。このマシーンには、そのパワーがあるのに、なぜそれを和平に使おうと言うのですか!」
メカニックが我慢ならないように叫んだ時、隣のメサイアの肩は大きく揺れた。そのメカニックを見上げる瞳は、心臓からの鼓動に揺さぶられているようであった。
ブロンドの髪は汗に濡れ、編み込まれた髪は解かれ始めている。青いパイロットスーツの右肩にはバックの血がへばりついて、顔は煤に汚れ始め、頬には青と緑を汚らしく混ぜたような、あざがあった。
ギランミの拳銃と、バックに殴られた箇所である。
メカニックはそれを見ても、それを受けたメサイアがまだこうも、能天気なことを言っているのが許せなかったし、苛立ちをさらに生む。
「ギランミのような人がいると、彼女が教えてくれたから。私がエトセーラの元へ行き、一度は対立しても……あのように私を助けてくれた。ここに来れたのだって、月の彼女のお陰なのよ……。この国に思うところはあっただろうけど、彼女は最期までこの国の味方でした。」
メサイアはポツポツと呟く。それに合わせて、瞳からは涙が溢れて、それは頰を緩やかに伝って、キーボードに弾けていった。
「月の人間全員がそうだと言うのなら、それは間違いだ!貴方が今になって、和平の話を持ち上げれば、それは帝国にとっては降伏なのですよ!」
「それこそ違います。必ず、このマシーンを使ったやり方があります。皆が争いをやめて、月へ還す抑止として。それが出来るなら、私はこのマシーンと心中しても良いのです!アダムとイブには笑って生きて欲しいから……」
メサイアは涙を袖で拭い、メカニックへ向き合って叫ぶ。メトロは六つの瞳も偏らせて、それを見つめ続ける。先の超音波的な振動も、耳鳴りほどのものに変わっていた。
「違う……違いますよ!地球軍も月も、どちらも戦いのみを考えてこの国を侵し始めた連中なのですよ。それであるのに、なぜ我々がへりくだることをしないといけないのか!」
メカニックがメサイアの両肩を掴み上げた時、メサイアはその顔を真っ直ぐに見つめ、両手に囚われた肩を揺らす。
「その、個人の恨み辛みが戦いを産む源なのです。」
メサイアは苦虫を噛むような表情で、メカニックを見つめる。それに合わせてマシーンも賛同するように再び鳴いた時、メカニックは、自身が圧倒的に否定されたように感じた。
「等身で生きたいと言ったのは、貴方の筈だ。」
喉から捻り出すように呟くと、メサイアは視線を落とす。照明に照らされる表情は暗く、メカニックには見放されたように感じた。
「そうしたいけれど……私は人柱になりましょう。そう……そうするしかないんだわ。痛かった、しかしバック・ナックとギランミに教わったことでもあります。」
メカニックが、メサイアの表情は自身への呆れでなく、立場への諦観であるとわかると、メサイアをもう一度呼び止めたい衝動に駆られた。
しかし、メサイアはその体を屈めながら、比較的小さな機体の胸部へ身を埋めていったのだ。
「顔に傷を付けられたのですよ、貴方は女性であるのに!」
機体に内蔵されたリバーカンのハッチ。一層目のシェルターに隠されようとしていたメサイアに向けて、メカニックは叫ぶ。
しかしすぐにそれは閉じられて、二層目三層目とコックピットのシェルターは続いて、最後は胸部装甲が覆い被さった。
それに合わせて、マシーンはジェネレータを駆動させ、六つの瞳全てに紅い光を灯らせた。格納庫を包む超音波は一層強くなり、メカニックの鼓膜を揺らす。
耳を塞いだ先で、マシーンの下半身のエンジンが灯ったようで、天井からなるワイヤーは火花を散らして切断されていく。
マシーンの駆動に合わせて、管制室が行った操作である。
両肩に針を持つマシーンは、その翼を萎ませたまま、
空中を自立する。
そのマシーンの頭上のハッチが開き、暗闇は陸に続いているようであった。マシーンの背中に接続されたケーブルを引き摺るようにしながら、マシーンは上昇を始める。
メカニックは風圧に仰がれながら、手すりに捕まり、それを見上げる他なかった。
座席に腰掛けたメサイアが、シェルターに閉じられる直前。コックピットの白い発光に照らされて、メサイアは音を掻き消されながらも、薄く微笑みながら、
何かを言っているようであった。
それはありがとうにも思えたし、さよならと言っているようにも思えた。




