95.【滴る血】
ラッツェルは、震える手で自身の左肩に触れてみる。
トクトクと、熱いものが流れ出て、倦怠感が同時にやってくる感覚。
パイロットスーツに包まれた自身の手のひらには、
地面に水を撒いたかのような赤が散漫していた。
「これは、血か。ハハハ!!肩から流れる血を見るのは、初めてだ!!」
ラッツェルは、何が可笑しいのか自身も理解ができず、ただ笑った。
人は、自分が絶対にあり得ないと考えている出来事に遭遇すると、生命に直接的な打撃がない限りは、笑えてしまう生き物なのだ。
そして、そんな自分を座席の真上から俯瞰するようにした時、敗北感がやってくる。
「あの、鎌持ち。奴は我々の内で噂になっていた機体。」
ラッツェルは操縦桿を握り込む時、左肩のブレを感じた。手の震えが止まらず、右の瞼がその鋭さに合わせて、細かく刻むように痙攣した。
「……見くびるなよ、瞬冷スプレーなど、後でいい。
敵に見下ろされ、相手が追撃を仕掛けないこの時間が、血が吹き出すよりも屈辱なんだ!!」
左の操縦桿を、自身の体の側引き上げた時、痛みは、
肉が開くような感覚と、外気が体内に直接入り込む感覚を与えた。
ラッツェルのアコニットは、屋根を削りあげるように、ショットガンを天に構えた。
自身を支える瓦礫が一気に霧散した時、その弾丸は轟音と共に発された――
完全なる不意打ちに思えたが、上空の赤いマシーンは、その一瞬の音に反応して、機体を捻り、マシーン一個分の空白を作って、弾丸の通過を真横にした。
「外した!?……手の震えはなかった筈だ!」
マシーンを飛翔させる時、体の前面から、後ろを包むようにゆったりとかかるgは、傷口のひりつきをさらに強めるものであった。
一度目の破裂音の後、再び破裂音が巻き起こり、
シートの軋みと共に、ラッツェルの背骨も捻る感覚があった。首を固定するチェーンが張って、軋みを立てると、赤い機体は自身の目線の下にいた。
両のショットガンを、道路を背にした赤い機体へ向けた時、照準が立ち上がるのを待たずに、反射的に斉射ボタンを押し込む。
アコニットの背後に各装されているアポジモーターが点火して、アコニットの背から、翼のように一瞬輝く。
その瞬間には、着弾音があったが、付随する爆発音は
遥か下で鳴り響いた。
眼下にいた赤い機体は、自分の空域と並行して佇んでいた。
汗が滲むと、それが傷口に入り込み、流れ出す温かさとの見分けがつかなくなる。震える右手でもう一度傷口を塞ぎ込むと、貼り付くような血痕から、溢れるものに、無理矢理蓋をしたような血痕へと変化していた。
たまらず、メインコンピューター底のロッカーから、
冷却スプレーを取り出し、自身の左肩に吹きかける。
自身の肩を見つめると、流れ出た血液が滴り、パイロットスーツの黒によく滲み出ていた。
歯を食いしばり、眼前のマシーンを睨む時、自身のコックピットにブザーが鳴って、左サブモニターが起動した。
「なんだ。」
『帝国の巡洋艦が撃沈……!』
「落とされた……?」
『インペネスがです!』
「ストラッズからか……!」
若干のやり取りを終えて、再びディスプレイへ向き合った時、前方の赤い機体は先の場所から消えて、地面に機体を擦るように、低い姿勢で自身へ突撃をかけていた。
「クソっ!!」
自身の注意散漫への苛立ちであった。
アコニットのバーニアを使い、後退を行いながら、
再び地面へ向けて射撃。
狙いを定めない射撃であったが、滅裂なそれの方が、
あの機体には有効ではないかと思えたのだ。
周囲の瓦礫が砕け、イブは若干呻きながら、武装の鎌を後方に引き摺るようにして、一気に上昇する。
ラッツェルもそれに応えて、ショットガンを投げ捨て、袖から展開された槍で応戦した。
槍の上部を片腕で叩きつけるようにすると、イブの鎌は、刃の部分の下を押さえ込まれ、軋み合い、火花を散らす鍔迫り合いとなる。
「お互い洒落臭いな!私の趣味ではないんだがね!」
ラッツェルは、前方の赤い機体に火花が降りかかるタイミングに合わせて、言葉を放った。
「先の人間にも言ったが、お前達が今更介入したとて、エルガーの再生は始まっている……!!」
「なにを………!!」
アコニットが、左マニピュレーターで、鎌の先にあるドミディアンの首を掴もうと動いた時、イブは機体を上昇させて回避した。
「そう、上に退ければ良いんだ!!」
ラッツェルが叫ぶと同時に、アコニットは頭部を地面へ向け、捻るように回転しながら降下。
地面に突撃するというところで、アポジモーターを使い、マシーンは回頭して、地面に沿いながら急加速した。
「速い……!!」
イブが叫ぶが、下手な回避は姿勢を崩し、直撃を招くだけだと感じ、空中で静止させる。
破裂音が一度響いた時、アコニットは5%の加速をした。二度目の破裂音、アコニットの合計出力は35%に昇った。三度目の破裂音は、地面から離陸し、敵機の股座を目掛けて加速する時である。上昇の減速を予想して、アコニットは出力を45%に上昇させた。
マシーンスペックの半分に満たない加速であったが、
ラッツェルの全身は垂直に座席に叩きつけられ、
彼女の呻きを潰す。
これ以上の加速は、自身の体をも押し潰すと予見させた。
しかし、天のイブのマシーンは、体を捻って、自身の真下から突撃する槍の穂先を完璧に避け切った。
「なぜ、避けられる!……うっ!」
体を捻った反動で、次はラッツェルに向かって、
鎌の刃が向かう。
掬うように向かうそれは、ラッツェルの腹の底に悪寒を引き出すには十分である。
破裂音を放ち、自身の体はされるがままであった。
回避行動に成功するが、立ち上がりは相手に比べて明らかに遅かった。
「グアッ!!」
操縦桿を握り、機体の姿勢を制御しようと意図した時には、衝撃が走り、マシーンは建物をクッションにしていた。
間髪を入れずに、イブは袖上部からミサイル射出。
ラッツェルは、再び呻き、振り回されるようにその宙域から脱し、背中の一身に爆発の衝撃を感じた。
「あの大型より圧倒的にやれる……。」
「ククルはまたしくじったか、私の方が重荷であるのに!」
ラッツェルの叫びは、再び接近するブザーに掻き消され、息を吸い込む一瞬の音の後、アコニットのツインセンサーは上空へ向いた。
ラッツェルはアポジモーターと足首のノズルを使って、若干上昇する。振りかぶった鎌の、勢いに余ったイブのマシーンには、ようやくの隙があった。
アコニットの腰を捻り、右足をドミティアンの左腕に叩き込む。
「ああっ!」
イブが叫び、マシーンはひしゃげるような姿勢で、建物に勢いよく叩きつけられた。
次は、ラッツェルのアコニットが空中で静止して、
イブを見下ろす。この逆転は、自分の形勢そのものを変えたと、ラッツェルは確信した。
「手の内を晒すように、せっかちに動けばそうもなる。」
「貴様らは遥かに有利であったのに。
自分達が被害者のように動き回って、手伝いをしているフリをするから、後手へ回るようになるのさ!」
「いいや、私達はこの国に真摯に向かってきた。
それを侮辱するのは許せない……!」
ラッツェルが叫ぼうとした時、自分のコックピットを包む声が、とても柔らかい少女のものであるとわかると、ラッツェルは拍子抜けした。
その声が発する言葉が、大人の言い訳のそれなのだから、苛立ちも生まれる。
「お前は、血を見たか?人の血を見ないで、この国の有り様をもって、真摯に向き合ったなど言っちゃいけないなぁ!!」
ラッツェルは言葉の後、再び笑った。
こんな少女に追い詰められた自分も、同時に笑い飛ばすことで、完全な形勢の逆転を図った。
「お前達のやることを、血と合わせて散々と見せられた。先の人間達だってそうだ!お前が火をつけなければ、大勢の民間人が助かったものを……!」
「それは、視線の先の話だな。命に直結してないんだよ!これを失えば、自分の体が脅かされるという危機感があって、初めて血を見ると言うのに!」
「だから、負けるんだろ!血を見ないから、潤滑油が流れているようにしか、思えんのだ!貴様ら!!」
イブのマシーンは、煙に包まれ、我慢ならないというように、上昇をかける。
その、マシーンを介しての余裕の欠落が、ラッツェルにさらに余白を持たせた。
「私には、本物の血が通っているのかもわからないのに、そんな苦心を知らないお前が、好き勝手に喋るな!」
イブが叫び、鎌を這い上がらせる。
しかし、それは槍に防がれ、弾かれた時。
反撃が迫って、空中を火線が二、三度走り去った時、両機は再び距離をとった。
「くだらないことだ、目に付かんことを想像で補って、勝手に苦心に昇華させるのは。悩みのない人間が、決まって可哀想な自分を作りたがる時にすることなんだよ!」
「あなたの言葉にこそ、血が通っているとは思えない。それが、行動にも出ている!アダムが、兄でないのなら、私は新しい人を見つけなければ、それが……それがメサイアなのだとしたら、私は!」
「お前の妄想話はもういいぞ!現実を見ろ!手に残っているものは何もないだろう、なら意味がないな!
夢見心地で生きるなら、いっそ死んだ方が楽だろう!」
片方が破裂音、もう片方が衝撃波を放った時、再び両機は装甲を削り合い、すれ違う。
空中に舞う黒い破片は、右肩の装甲を弾けさせた
アコニットのものであった。
「………やるな、貴様。」
ラッツェルは、ツキが自分に回ったと感じたが、
それを捻じ曲げ、自分の側にする力が相手にあると悟る。
ラッツェルの声の大半を占めるのは、感嘆であった。




