86.【接敵】
「リバーカンが……。」
イブのドミティアンの掌に乗り、ブロンドを風に揺らされるメサイアの瞳は、二、三度大きく揺れ、耐えきれないと言ったように涙を流し始めた。
エトセーラのあの機体が破壊されたということは、
中のパイロットもエトセーラ、モルゴールの人々を思い返すための触媒となるのは、エトセーラに預けられたこのパイロットスーツだけだ。
そして、あの機体の撃墜のされ方は、無惨で。
中のパイロットは吊るされながら死んでいったと予想できる。
メサイアの胸中には、ヘクター達モルゴールのクルーの死に様や、先のパイロットの絶叫が反芻していた。
黒い泥沼のようなそれは、一度その物思いに耽るメサイアを逃しはしなかった。
生きねばとは、思えなかった。
「……泣いているようだけど、それに意味があるの?」
自身の頭上の、機体は瞳を緑に点滅させながら呟く。
ノアにいた期間でもこの声を聞く機会は、あまり多くはなかった。
「貴方はこの国の女王であるのに、ここで泣いて意味があるの?第一、私だって……。」
イブは眼下のディスプレイに映るメサイアが、その声に反応して顔を上げたのを確認した。
決心や怒りが張り付いてると予想したが、ただ情けなく、一人の少女としての器から抜け出せていない。
この弱さが、アダムと体を重ねる理由かと、
イブはよくわかった。
『兄さんも、このメサイアも。弱いもの同士で体を交えて何になるの……?』
自分はつくづく嫌な人間であると感じる。
しかし、イブは自分の盾で人が死んでも、このように
泣けないだろうと感じる。
現にスタームは死んだが、それよりクストの精神状態を懸念した。
アレが戦えなければ、自分は自由に動けず、戦艦ノアを守る人員の戦力は著しく下がる。
イブは自分が薄情な人間であるという自意識があり、
このメサイアが、自分のために人を死なせることからくる涙は理解できなかった。
しかし、それはイブ自身が強化人間もとい、ネオ・エンズルズとして、ある程度の自立した戦闘能力を保有しているからであったことは、彼女自身に知る由はなかった。
この人間が、女王であるのなら強くなってもらわなければならない。
そうしたい時、イブは叩くような言葉を投げれば良いと理解していた。
しかし、それはイブ・ナティアの優しい記憶が改造時に軒並み失われてしまっていたことを示していた。
殻を破るというのは、その殻の先に待っているのも自分であって、それで強くなったというのは、殻を破る前の自分と地続きであるから、弱点は同じで、そこを突かれれば終わりなのだ。それでは駄目だと感じる。
真に強くなるというのは、器を脱することであるとイブは考える。それは、アダムにも求めていたことであるが、仮にもイギリスに手を貸している現状、このメサイアを優先して、少女としての器を脱し、女王として新たな人間となって欲しかった。
「新しい機体の性能がどういうものかは知れないけれど、泣いていては乗れない機体であるのは確かだから。泣くのはやめて。」
イブはメインコンピューターを操作して、メサイアを抱えていた右マニュピレーターを、胸部のコックピットハッチへ寄せた。
戦場の余波が周囲の建物や人を吹き飛ばしているからだ。
ハッチを開き、メサイアを手繰り寄せ、すぐにそれを閉じる。
メサイアの落涙の音が聞こえて、イブは心の底からうんざりする気分であった。肩の頭から脱力し、倦怠感が首筋から流れる。
こうも覚悟が決まらないなら、ノアで縮こまっていれば良いのだ。しかし、メサイアがノアで保護されるとして、その場所として選ぶのはアダムの部屋であると想像すると、すぐに思考を遮りたくなった。
「自覚はないかもしれないけど、貴方にはそれだけの期待がかけられているとなんで気が付けないの?」
イブはほとほとうんざりした。
自分の声の掛け方もそうだが、この会話。
同じことを反芻するマシーンであるように感じられたからだ。
「アダムも、そうなのですか?」
イブは、後部にある補助座席を展開させる音に合わせて発された、予想しなかった返答に、心臓を掴み上げられる気分であった。
「え……?」
「アダムも言っていたのです。この艦はプレッシャーを感じると。自分は本当は戦いたくなど……」
「兄さんは関係ない!!」
イブは叫び、直ぐにハッとした。
このメサイアの情報は、人間の営みの後にした会話だと直感した。しかし、遮り方が強引であったともわかった。
「兄さん……?」
***
目線の先の機体は離脱が早かった。戦火の煙に巻かれ、延々と離脱していく。
「あれを逃しては、形成が逆転するかもしれん!」
ラッツェルが叫んだ直後、自身のアコニットの背後の家屋が弾ける音がして、浮遊した機体にその破片がぶつかった。
「次はなんだ!!」
ラッツェルは苛立ち、振り返ると、自分が管轄に置いていたはずのククルのゼガームがあった。
「あれはゼガーム。なぜククルまでここに降りてきている!ストラッズは!」
ストラッズも降下したのかと、遠方の戦艦を拡大する。
しかし、依然として地面に張り付き、掃討する戦艦は、インペネスで、それ以外の戦艦は降下していない。
それであるなら、上空がストラッズだ。あの戦艦にはバックボーンとしてタイタニスがついてるが、あれにバジーリオはいない。このククルに仕事を任せてやりたいという、押し付けがましい世話の焼き方を、ラッツェルは真に良いものと誤認していた。
そして、その仕事をこなさず、ダッケルも放置して、
このガキは一人でのんびり追撃されている。
ラッツェルは歯を噛み砕く勢いで食いしばり、家屋をクッションとして仰向けに身を預ける機体へ近寄った。
「ククル、こんなところで何をやってるよ!」
「大尉!?……大尉こそそんなこところで何をやってるんです、ストラッズは!」
「私はこの国の中枢を追い詰めている!貴様は遊んでいるのか!」
ラッツェルの苛立ちはピーク寸でというところであった。
生身であるならククルの頬を殴り飛ばしているところだ。
悪癖とわかるが、悪癖上等であった。
「先ほどの大型マシーンが追い立ててくるんですよ!」
ククルのゼガームはアポジモーターの出力を上げ、
片のハーケンの裏に内蔵されているビーム兵器を軽く
射出。近くの建物は完全に飛び散り、ゼガームは自身を見下ろすラッツェルの元へ向かった。
嫌に静かな駆動音。ゼガームのものではなかった。
そう確信できたのは、視線の上、空を覆い、太陽の光を遮る影が自分達を包み込んだからだ。
「なにっ!」
ラッツェルの叫びに呼応して、ゼガームは再びマシーンのマニュピレーターを集約させ、ビームバリアーでそれをさらに包み込む。これが、白兵戦特化のゼガームの戦い方であった。やはり、自分のアコニットより遥かに上だ。
そして、眼上には、アダム・ヴァレンのギル・ミークがあったが、ラッツェル達にはそれを知る由もなく、ただ巨大な異形のマシーンが見下ろす恐怖に背筋を優しくなぞられる気分であった。
「そこのマシーン、子供だろ。なぜ戦う!」
「子供をこんなものに乗せるほど、お前達は切羽詰まってるのか!」
若い青年の声であった。それが、あれ程巨大で強力な
マシーンを預けられるに至る。自分は、メンテナンス以外見向きもされないこの、プロトタイプのアコニットであるのに。ラッツェルは叫ぼうとするククルのゼガームを、右腕で静止した。一度腰に仕舞い込んだ、もう一丁のショットガンを取り出し、それを左腕に装備する。
青い子供が、あのマシーンに乗り、ククルもゼガームだ。
マシーンで敵わないのなら、大人としての矜持の一つでも見せたい気分であった。
「この国の状況を見ろ!そう思えるか、貴様も若いな。若さで死んでいくのは幸せに思えるがね!」
ラッツェルはそんな場合ではないという、ククルのプレッシャーを再び制し、相手の青年の出方を待つ。
ククルが戦うことに疑を持つような男、口論に応じることは十分に考えられた。
「お前達はそういう認識だから、国のお姫様も、
ジェナだって平気で殺すんだろ!」
「何があったのか知らんが、男の癇癪を宥められるほどの器量はないぞ。現に敵だ!」
ラッツェルは、話せる相手であると感じ、若干の嬉しさを感じた。甘いのだ。所詮子供であるとわかった。
口論に応じるこの人間、ある程度の繰り返しからの油断、その胸部を狙撃して、機体を奪取する気概があった。
アダムは、眼下の二機を眺めながら、ジェナという名前を口にした自分に激しい嫌悪を覚えた。
今更弔いの意を込めたとしても、自分はメサイアを衝動で選んだ。最早彼女の名前を口に出すということは、自分のヒロイックなか細い神経を、際立たせる道具であるとしか思えなかった。
「ジェナ……。なんでこうなってしまうんだ……」
この短い呟きでさえ、ヒロイックであった。
「ハハハ、生きて帰れたのなら、自分を慰められる人間を探せ。しかし、それは出来ないだろうな。
我々はシャキリを焚べて、イギリス侵攻も佳境というところだ。地球の、テラーストュートの貴様らに邪魔立てをさせはしない。」
ラッツェルのアコニットは右腕の袖をゼガームに構え、空気に晒されると自動でステルスを行うロープを、ゼガームの胸部に当てた。
独自の通信回線が開かれて、ラッツェルの姿がコックピットに映る。
ラッツェルはヘルメットを外し、ブロンドの長い髪を揺らし、右サブモニターからククルを見据えていた。
無造作にも思えるが、そういうヘアスタイルであると言われると納得する。意識しない色香を纏うのがラッツェルという女だ。それを見て、ククルの鼓動は早まる。
全身が湯立つように熱く、決してバイザーは上げられないと感じた。
ラッツェルはそんなことを本当にわかっていないようであった。大人の女性であるから、男性の経験があるのはわかる。しかし、疎いのだ。ククルは暴力を除いて、そこに惹かれたのだった。
コックピットの映像に小さく映るラッツェル。
その合図の先、ダッケル・ンジャが降下してるのが見えた。
ラッツェルの魂胆は、自身の一撃が外れた時、自分は離脱して、ダッケルとククルであれを仕留めろという旨であった。
「ククル、ストラッズの件では失望したが、チャンスは巡るものだ。何度も無碍にしてくれるな。待っていて巡るチャンスは若さ故のものだからな。」
ラッツェルはロープを千切り、
通信を切った。眼上の機体へ再び向き直す。ククルはそれに胸のモヤを感じたが、それどころではないとはわかる。
「同じ地球同士で隔離し合い、独立国家ブリテンなどと、少々かっこをつけすぎたな。貴様らテラーストュートとこれが協力をしていれば、もう少し良い結果にはなっただろうよ!」
相手のパイロット。黒い機体の女性の声は再び自分に降りかかった。何が目的かは理解できなかった。しかし、
メサイアを抱えたイブを逃せられるのなら、ここで自分が犠牲になることは厭わない気概であった。
なにより、この人間の言い分はアダムの神経を逆撫でる。
「今からであっても遅くない!ジェナ……メサイアとだって愛し合えたんだ俺は!」
アダムは言葉に若干のつっかえを見せた。
それがラッツェルには動揺に写った。
くだらない節操なしの苦難とはわからなかった。
「国同士が同じく出来るかな。蟠りなく交わった貴様らのように、国の事情は動きはしない!このイギリスは、我々月のエルガー帝国の植民国家となる!!」
「次は、その侵略が地球全土へ及ぶぞ!貴様らはのんびりと過ごしすぎたようだな!」
ラッツェルのマシーンが上昇し、自分に平行する。
自分と同じ人間のやることであった。
それであるのに、これらは全体に呑み込まれれば、
国まで潰す。
「力づくで屈服させる時代はいい加減終わりにしろ!
戦争で勝ち得て、それで繁殖して、お前達の子孫はその歴史をどう思う。なぜ、対話をしようと考えない!」
アダムは、相手の人間の息遣いがわかった。
粗雑な息遣いであった。
人殺しの呼吸はこれかと確信した。
自分の内面が相手に知れるかもしれないという、
恐怖も同時に生まれた。
「恐竜の時代というのは、常に力づくでの生存本能に従っていた。奴等に子孫はあっても、それを強く意識することはなかったろうよ。人間はもっとラフであるべきなのに、貴様らのくだらん体制は、生き物の在り方を複雑にした!!腹が減る、それを満たす。
男を受け入れたい、隠すことなくそれをする!
これが恥として憚られるような体制は、排除すべきだ!」
「プライドなど、もってのほかだよ。今頃になって、
政治介入を認めた中世の貴族制度だと?
馬鹿馬鹿しい!貴様らがそうやって人間同士に再び特権を作り上げようというなら、このイギリスのように、我々エルガーの国力を持って、地球全土の人間へ向け、平土化しようというのだ、その内心を知らん貴様は恥じろよ!」
アダムは口車に乗せられ始めていると、若干の肉体感で察知した。喋りすぎなのだ、相手は。こちらが一言返せば、相手はその何倍もの言葉を送る。自分の何かに興味がなければやらないことであった。
機体に距離を取らせ、眼下の機体にも警戒する。
イブの座標が取れないことが、心残りであった。
ギル・ミークのビームレーザーは使えない。
そうしては、バックの街を破壊することになる。
出力は絶大であって、これらの手伝いをすることになる。
「力の中でジェナは死んだ。力のせいでメサイアやイブのような少女まで戦争に駆り立てられる!スタームさんだって死んだ!クスト少佐は泣いていたんだ。全員が子供だ。全てが地続きであるのが生命だ!」
「貴様らの仲間内の苦心、知ったことではないな!
我々を送り出したツケさ!人間が、それぞれの意思を持って、自由奔放に受け入れ合おうという人の時代は終わった!我々は統一主義に則り、全てを砕いてエルガーへ注ぐ!新人類として正しい生き様よ。
文化尊重主義のために人類を過剰に増やし続けたことへの、戒めよ!」
ラッツェルは叫び、手元のショットガンのトリガーに指をかけた。相手は過敏であるとわかった。機体の奪取は出来ずとも、陽動としてこれを使い、ククル達に撃墜させる。
ラッツェル達の下のククルは、あの二人が戦火の中で舌戦をしていることに、ひどく嫌悪を覚えた。
純粋にそんな状況ではないのがわからないのが不思議であった。現に、ラッツェルの言っていたこの国の中枢は遠く離れ、ダッケルはこちらに降下している。
ダッケルを待つのならわかる。しかし、ラッツェルが追っていた人間を逃す理由にはならないと感じた。
「何を喋ってるんですか、大尉!!こんな中でよく!!」
「黙れ!こいつの楽観主義を、叩きのめしてやらなければ気が治らん!」
言葉通り力でやれば良いことだと感じた。作に溺れたラッツェルだが、それも愛おしく感じてくる思いは、ククルに嫌に充足を与えた。
「そもそも、貴様は女を戦場に出張らせたくないらしいが、それがくだらん自意識だと知れ。生命全体を謳って、なぜ女だ男だと区別する!」
ラッツェルはとうとうショットガンを構えて、
ギル・ミークの胸部を狙う。
アダムはそれを受けて、やはりこの人間の狙いは機体か、強化人間の自分であるとわかった。
「そりゃ、女の子は戦場に出てはいけないだろ、か細く、優満な神経を大切にしなければ、人類そのものが絶滅する。お前達の言うやり方は、人類を真に思っているようで、傷をつけるだけだろ!そんなものを、父性のように扱って、正当化しようというのか!」
「全員が欲求を捨て、国だけを思ってマシーンのように生きる。それは人間である必要はない!コンプレックスは、包み隠さずコンプレックスであるべきなんだ!」
全て、自分に反芻して胸に突き刺さる思いであった。
「それは違うな。臭いものを、そうであると認識する力を奪うと言った!人類全体の過ちを引きずって、生きて行けるほど人間はおおらかでないよ。現実を知らんな。この街を見てもそう言えるのだから!」
「過ちを知った人間は死ぬ!戦争を味わった人間は死ぬ!絶対の統制無くして、知らぬ存ぜぬ人間だけが蔓延る時代が必ずやってくる。絵空事でしか物事を認知できない人間が、どれほど残酷なものか。自分の身体経験論だけで、生きる人間が蔓延ること、それがどれだけ恐ろしいのか!
その恐怖を、過ちを、等しく一生植え付けるために、
エルガーは立つのだ!」
「男だ、女だと言っているうちの貴様も、やはり若いな!若さ故の過ちは許されるが、人間というのは年齢に関係なく、犯してはいけない過ちがあるのさ!女を植物のように思っている貴様は、死んでしまえよ!」
ラッツェルのショットガンは、待っていたように固まった弾丸を発し、アコニットは、反対のバーニアを細かく蒸し、機体の姿勢を制御する。
アダムはそのダマを回避するが、それは散り散りに代わり、機体を細かく削り上げた。
砲身でビーム粒子を固め上げ、ラッツェルの機体へ一直で突撃をかける。
「結局これか!敵意が前提の議論など!」
「貴様の境遇、温室育ちが出す言葉よ!」
アコニットは破裂音を纏い、その場の空域から脱する。
「ククル、やれよ!!」
ラッツェルの最後の通信を受けて、ダッケルとアダムが完全に接近しているとわかった。
無駄な時間であった。
それはククルが子供であったのと、この国から掬い上げられ、偽の忠誠を植え付けられた、でっち上げの強化人間であるが故であった。




