87.【少女と抱擁】
眩く、白い閃光が、走った。
イブ達を照らし上げるそれは、太陽の光を直接浴びせるような光量で、慣れぬメサイアはそれに呻きを上げた。
「うわぁっ………!」
死にゆくパイロットの悲鳴が、ドミティアンのコックピットを包み込む。
しかし、通常であればミュートされるであろう、
これがなぜ。
イブ・ナティアのドミティアンは、建物を倒壊させないよう、若干の高度を保ち、さらに加速をかける。
メインコンピューターは、赤円を目的のメトロ・ポリシーの所在としたが、それは砂嵐に覆われ、再び座標を修正し直すという、不完全なものであった。
どうやら、この戦場一帯のマシーンの爆発か、ジャミング電波を流されている可能性がある。
イギリスが、それをしているとは思いたくはなかった。
それでは、我々テラーストュートとロイヤルミーレスの連携は取れず、エトセーラ達が孤立したノアを援護できなかった裏付けとなってしまう。
しかし、そんな焦りを見せるイブの横、メサイアは、
これこそメローのやることであると、確信した。
現に、先の悲鳴がこのコックピットにまで届いたのも、機器の機能を阻害する何かがあったからだ。
人の最期の肉声というのは、メサイアには堪えた。
「しかし、本当にお兄さん…アダムが?」
メサイアは、その余韻に浸ると、頭から自分の魂が抜けていってしまいそうで、必死に眼前の少女へ声をかけた。
おそらく、過度のストレスとショック症状による貧血であったが、戦場の緊迫を交えた絶叫というのは、
自身の魂を引き抜いてしまうのではないかという恐怖があった。
本当は、口に出したくはない言葉だ。
仮にイブがこの問いを肯定すれば、自分は彼女の兄を寝取った女だ。しかし、イブを引きつけられる話題というのは、先の彼女の失言を掬うものしかなかったのだ。
それに、この罪悪感。
罪悪感が湧くということは、彼女がアダムを兄と慕っていたとしても、兄妹にある、血の結びが見せる親和的な愛情、親しい者だけに向けられる愛情が無かったからだ。
イブがアダムに向けている愛情は、やはり、どこか他人行儀なもので、家族のそれとは決定的に違うのだ。
言葉を選ばなければ、異母兄妹へ向ける愛、というところであろう。つまり、新鮮味を孕む愛。
この人に出会えたという愛なのだ。
兄妹間に育まれる、土着に似た愛ではないのだ。
そして、その馴染みの愛というのは、生まれ同じく、食事も同じものとする肉親でしか発生し得ないもので、アダムとイブにそれは決定的に無いと言える。
その確信は、メサイアに若干の安堵を与えたのであった。
イブは、それをあたかもエスパーのように察知したのか、肩を揺らし、操縦桿を握る手からはビニールを握りしめる音がした。
「……まだ、確証はない。だから、兄さんには。」
一目で確証がないのなら、その血縁は偽造である。
メサイアは一瞬の内の、非道徳的な思考を自分の青いパイロットスーツに身を包んだ手を握り直して、払拭した。
「貴方は彼を好きなのかと……。」
メサイアは言葉を選ばなければ、と感じた。
なぜなら、このイブ・ナティア。どうも戦艦ノアに
自分が受け入れられた時から、人の心奥を無断で弄るような、野生を持っている女性であるからだ。
イブは齢十七歳である。自分より二年も年下の彼女は、純粋に彼女を子供と見れず。
異物を見るような心構えをしてしまう時があるのだ。
悪癖であるが、生存本能とも言えた。
言葉を口で転がすような遊びは、やめようと感じるメサイアであった。しかし、男性を知り、性長を遂げた彼女が恐怖を抱くのだから、それは相当なものであるのだろう。
「アダムは、私のことは?」
「え……?」
自身に対して、プレッシャーの一手をくれるイブであると予想していたが、口に出された言葉は、メサイアに素っ頓狂な声を張らせた。
「アダムはノアのプレッシャーの話をしたのでしょう。私の話は、何かしていた?」
ヘルメットを外し、振り向いたイブの表情は、頬を赤らめ、湯上りのようで、思春期の少女特有の青さと、独特の色香を感じさせる。
メサイアには、もうそれは失われているのであろう。
それを失わせた、アダム。
彼とマシーンで過ごした一夜は、良いものであった。
しかし、彼は自分の不安と、無念を赤裸々に語るだけで、ただの一度もイブの話をすることはなかった。
「………ごめんなさい、覚えていないわ。」
メサイアの言葉、イブには、嘘とわかった。
「……兄さんであるはずよ。そう、想っていれば。」
途端、コックピット全体をブザーが包み込んだ。
同時に座席と周辺機器が細かく振動を起こし、
メサイアはそれを敵の攻撃と勘違いをして、
若干の怯えを見せたが、イブはそうではなかった。
これは、警報に伴う揺れで、音感が遮断されたもしものために、座席も共に振動をもって、敵襲を伝えるのだ。
イブには必要ないものなので、切っていたのだが、どうもジャミング波は本当であるらしい。
「あれは……!」
イブの後ろのメサイアの声、
先の黒い機体ではなかった、灰色の機体が自分達の遥か後ろを追尾している。
イブは、メインコンピューターを操作し、それをディスプレイの一部に拡大させた。
「セルヴス、帝国の量産機。」
イブの呟き、一目で帝国の機体であると見分ける。
直感のようであった。しかし、エスパーのような直感ではなく、辞書を引くような速さからの言葉。
メサイアは、なぜイブが帝国の機体を調べているのか
不思議に感じた。
こういう行動が、イブ・ナティアを、食えないものとするのだが、彼女にその自覚はないのだろう。
「アダムは、そういう時、どういう反応をする人なの。」
イブは、淡々といった。
「え………」
メサイアは、少女のその言葉に絶句し、同時にあの機体は味方が乗っているのかと、錯覚してしまう。
そんなわけがないのだが、それほどまでに、場にそぐわない発言なのだ。
食えない、という話ではない。
理解を拒む彼女であった。
なぜ、ここでアダムの話を飄々と切り出せる。
「……どういうんです?」
喉からそう捻るしか無いと感じた。
「兄さんは、どうすれば喜ぶ……?」
メサイアは、頭を抱えたい衝動に駆られた。
イブが今聞いているのは、アダムの感度と、性感帯だ。
「帝国の機体が、来てるのよ」
「ねぇ、貴方に私の想いを聞かれてしまった。
その私の気持ちを考えてよ!」
イブは、初めてかもしれないほどの声量であった。
喉が細かく揺れるから、その声は震えていたが、
メサイアは嫉妬の怒り故の震えと感受した。
そして、その場違い的な能天気さ、思考は、
メサイアの堪忍袋を殴りつけるようなものであった。
「勘弁してよ……あれは、月の帝国の機体は、私の国を、故郷を壊してるのに、貴方はよくもそんな!」
後部座席、イブの頭を預かる場所を掴み、それを激しく揺らす。何度かイブの頭髪が反芻し、メインコンピューターに映る表情は、さらに羨望を泥でこねくったような表情に変わっていく。
「貴方は良い、帰ればアダムがいるのだから!この国が負けてしまっても、ノアに共に帰れば、アダムとまた慰めあえるじゃない。私は許せない!認められない!そんなことは、絶対に認めない!」
イブは、続けたいようであった。
「戦いなど、私は慣れている!いつでもできる!そうやって生きてきたの、でも、男の人の事を私は知らないから、それを教えてもらわなければ!!」
一通り怒鳴って、
「貴方は、私から兄さんを取った……!」
その一言を添え、肩で息をする彼女は、絶句するメサイアを他所にした。視界が滲むが、それは小さな破裂音と、頬の若干の痛みと衝撃で消え去っていった。
「……!」
ジリジリと焼けるように痛む頬。そこをビニール越しの左手で覆った。
イブの頬を、メサイアは思い切り叩いたのであった。
「私が、それほど安い女であるわけがないでしょ!!」
横のメサイアは叫び、視線を移す。
彼女の瞳からは大粒の涙が落ち、それはイブの顔へ滴っていった。
イブは、伸び始めた頭髪に両の瞳を隠した。
手が震え、これは言ってはならないと感じる。
胸から熱く込み上げるそれは、一瞬の熱量によるものであると。しかし、言わなければ腐りきった言葉であった。
「……そりゃ、安いよ。兄さんを取るな!あの人が兄さんでないとわかったら、私は月に行く!もう、私を放任した地球の人間を許しはしない。」
補助シートから体を乗り出し、仮の足置きから
見下ろすメサイアは、イブへ感傷を抱いた。
自分はアダムとの交わりを通して、ジェナを失った彼を再起させて、戦いへ出向くまでの癒しとして欲しかった。
それは、彼自身がジェナに求めていたことであったし、自分の言葉だけでは、慰めにはならないと感じたから。身の代わりを務める気概で、彼と向き合ったのだ。
そうしたのは、彼女自身、ダッケルからの慈愛に
あやかった記憶があったからであろう。
部屋に閉じ込められていたメサイアは、一見極端に
思えるこのやり方を、真に正しいことであると確信した。それは、ダッケルの責任でもあると言える。
しかし、その身を投げる慈愛を最も必要としていたのは、イブであったのだ。
女性同士ではあったが、イブを慰めることこそが最もであると今気がついた。
メサイアは言葉を発さず、後部座席体の背もたれに再び体を預けた。振り向くと、イブの揺れる肩と真っ白な首筋が見えていた。
咽ぶ彼女は、失恋した少女のそれであった。
イブは無口だ。
それ故、強い人間であると確信していた。
それは、戦艦ノアでの恐怖を見せない振る舞い、
アダムへの会話、クストへの苦言と、スタームの戦闘の際の位置どりの指示などを、淡々とこなしていたからだ。
恐れをなさない姿にメサイアは、畏怖まで覚えたが、
戦争への恐怖も、毎回のように死んでいくクルーへの想いも、そして、アダムへの恋も、
全て言葉に現せない子であるとわかった。
メサイアは、彼女のその側面という言葉では生易しい、彼女の心奥を自分だけが知ったと、自惚れた。
ジーネンは、周知のことであったのかもしれない。
しかし、性交に夢中なアダムや、クストに気付けたことではないだろう。
思えば、アダムの営みは、貪るような、野犬のようなそれであった。初めてであるのだから、仕方がない。
そう思い込み、それ以降掘り返すことはしなかった。
しかし、それは違うのだ。
この二人は、ネオ・エンズルズもとい、強化人間だ。
つまり、少なからず手を加えられている。
あのジーネンがそんなことをしているとは考えたくなかったが、体制に呑まれる人間はどんなことでも行えるのは、世の常だ。
感情の障壁が臨界へ向かうほど、抑制された本性が
剥き出しになる可能性がある。
そういう意味では、彼らは真の人間であるのだ。
その臨海は、アダムはメサイアとの営みで、
この少女はそれへの嫉妬であったというだけだろう。
今までの冷徹な彼女は、彼女でなかった。
同時に、アダムの本性は、あの荒さであるのかと、
若干の失望紛いのこともしてみる。
強化人間であっても、アダムの体は健全な青年のそれであった。イブの流す涙も太陽を反芻する、透明そのものであった。
後部座席から、その首筋へ手を伸ばす。
イブは怯えたように肩を震わせるが、それに敵意が無いとわかると、涙で乱れた瞳と長いまつ毛を、こちらに向ける。
イブの胸の側までそれを持っていき、優しく交差する。
座席に体全体を寄せ、イブのパイロットスーツ越しの背中を感じた。彼女の後頭部が預けられた位置に、自分の顔を預け、頬を撫でさせる。
イブは、抱擁であるとわかった。
「私が、兄妹二人を愛してあげるわ。女王になる前に、これをしなければいけない。」
次は、手を掴んで、少女は泣いてしまうのであった。




