80.【蒼のメサ・ロトゥンド】
「ヴィーナ、あなたなんてことを……!」
メサイアは扉の向こうに佇むヴィーナへ咎めるような視線を向ける。
しかし、直ぐに顔を青くし、口元を白く小さな手が覆った。
ヘクターであった人間のそれと、オペレーターが背中から流す鮮血の生臭く、拳銃の煙と混じった焦げ臭さがメサイアの肺を侵そうとする。
「姫様、それではダメです。血を知らぬ貴方では駄目ですよ!」
再び高音が響き、メサイアの口を覆わない左腕を軽く擦り、地面に短い破裂。
「……!」
顔を顰め、その腕を覆う。左腕のかすり傷からは赤い血が溢れ、白い肌を滲ませていく。
顔を歪め、再び匂いにえずきかける。
「国を背負って立とうというのなら、血を知らなければ姫様。赤いんですよ、血は!!ギランミ大佐は周知のことだ!!」
ヴィーナは興奮したように叫び、再び拳銃のトリガーに指をかける。
「姫様を覆え!!」
オペレーター達は辛抱ならないと言ったように立ち上がり、メサイアへ体をかぶせる。
4人ほどの男性がメサイアを庇って、女性オペレーターはメサイアの肩を掴み、高座の影へ向かって、地面にメサイアを擦り上げる。
「みんな、やめてください!死なないで!!」
空気を吸い込み、叫ぶが、再びあの嫌悪を抱く臭い。
そして、眼前で呻きながら倒れていくクルー達。
座席の陰に隠れると、女性オペレーターはメサイアを抱くように体で包み込む。
「姫様、私が盾になりますから。みんながいなくなっても、私が盾になりますからね!」
メサイアの腕から流れる血を隊服に滲ませても、
オペレーターはメサイアの顔を自分の服に密着させる。
先程の、血の匂いは洗剤の匂いに掻き消されていく。
自分が情けなかった。
「みんな、ごめんなさい。ヘクター、貴方は命をかけてくれたのに。私は貴方の血で、えずいてるのよ!情けない!!」
ブリッジで人が倒れる音が連続する。
自身を包んでくれている体は小刻みに酷く揺れていた。
「B-7ブロック閉鎖!C2ブロックに敵兵が入ってきてる!」
「まずAブロックを全て封鎖しろよ!」
「クソ、白兵用意!!」
服に押し付けられ、嗅覚と視覚はない。
しかし、未だ座席に腰掛けて、艦の指示を出している人間がいる。
銃火器を鳴らす音がして、人が蠢いているのがわかる。
全て、自分のせいだ。自分が戦艦ノアで逃げ回っていたから、こうやって同志撃ちが始まってしまった。
ヴィーナは、自分を可愛がってくれていた人間の1人だ。
寡黙で、花を愛すような女性だったヴィーナは、自分を殺そうと盾になった人間を次々と撃ち殺す。
人が頭から投げ出される音がして、
自身の座席の真横で低い唸り声が鳴る。
「ロームゼ……こっちに来てくれ。痛いから……」
自身を抑えてくれていたオペレーターは、悲鳴に近い声を上げながら、そちらへ飛びつく。
メサイアは布から解放され、新鮮な空気を吸い込もうとしたが、反射的に息を止めた。
眼前、先程の女性オペレーターは泣き叫びながら、
その男性の胸の辺りで肩を揺らしていた。
男性は片側が白目を剥き。もう片方の黒い瞳孔はメサイアを見据えていた。頭の一部が凹み、胸には三つほどの穴。
「ヴィーナ……もうやめてよ。」
高座を掴み、体をなんとか持ち上げる。
ヘクターが座っていたであろう2本の凹みが、
メサイアの手からしっかりと伝わる。
ライトグリーンの座席を、赤い雫でシミを作る。
再び破裂音。人の死体に覆い被さるような音だった。
扉の向こう。点滅するライトに照らされるヴィーナは、ヘルメットのバイザーを上げ、返り血で青いパイロットスーツを汚しながらも、微笑んでいた。
途端、ヴィーナが呻き、地面に倒れ込む。
即座にヘルメットを投げ捨て、それが室内に転がり込む。
死んではいない。死んではいないが銃弾が当たった筈だ。
ヴィーナは突然のことに瞳を震わせながら、顎の辺りを手の平で覆うようにしている。顔は細かい傷を作り、綺麗であったそれを血で汚していた。
「ヴィーナ、貴様そこまで落ちぶれたか。」
女性の張り詰めるような声が廊下で反芻する。
明滅したライトは、震えながらそれを睨み上げるヴィーナを映し出す。
「エトセーラ!この裏切り者が!!」
先程の閃光、顎の辺りを銃弾が掠めた。
ヘルメット下部に衝撃が走り、収納していた筈のバイザーは、自分の顔を何度か切りつけた。
眼前には、見慣れた姿。パイロットスーツとヘルメットを被った女性。表情はバイザーに隠れて窺えない。しかし、自分を酷く軽蔑していることは、言葉が無くとも理解できる。
血を垂れ流し、それを見せまいとする自分を静かに見下ろす。エトセーラだった。
「顔を見られるのは嫌か?売国奴の貴様にはお似合いの顔だ、ヴィーナ。」
エトセーラは吐き捨てるようにして、銃口をヴィーナの顔へ向けた。
「撃つか、仲間だった私を……!!」
「ヴィーナ、英国に生まれた貴様が付き従うあの人間は、我らの国を侵略しているエルガーなのだぞ!」
途端、ヴィーナの後ろから煙幕が巻かれた。
Dブロックに直通するこのブリッジにまで、ギランミの部隊が押し詰めているということだ。
エトセーラはブリッジに転がり込む。
「閉鎖だ!」
死体の山の向こう。外の景色をシャッターで閉鎖しながらも、コンピューターに食いついていたオペレーター達に指示を出す。
直ぐに1人がボタンを押し、ブザー音と共にブリッジは完全に閉じられた。
「エトセーラ!ごめんなさい……私、ごめんなさい!」
メサイアはエトセーラの側に駆け寄り、顔を胸に埋める。
それを受け入れ、バイザーを上げてメサイアをさらに強く抱いた。
「姫様、遅れてしまい申し訳ありません。」
メサイアの震える腕を取ると、出血しているのがわかった。ハンカチを腰のポケットから取り出し、それを巻き付ける。
「……エトセーラ?」
「姫様、少し痛みますが、これと私のパイロットスーツを纏えば、少しは……。」
エトセーラは呟きながら、巻きつけたハンカチを絞るようにきつく結びつける。
メサイアが若干呻くが、さらに巻き付ける力を強め、
パイロットスーツの臨時の消毒スプレーを吹きかけた。
アルコール特有の匂いが、室内の血生臭い香りを若干緩める。ヘルメットから覗かせるエトセーラの血色は悪く。
汗を垂れ流し、忙しないようにしながら、メサイアの応急処置を終えた。
自身のパイロットスーツをジッパーを引っ張りながら脱ぎ、それをメサイアへ着せ始める。
「エトセーラ、何をしてるのです!これでは貴方が……!」
「姫様、貴方にはメトロ・ポリシーの元まで行ってもらいます。モルゴールはもうじき墜落するでしょう。
王宮の外にあの機体が放置されているのは確認しましたから、私のリバーカンで……。」
エトセーラは、半ば諦め気味に微笑んだ。
目元は赤く。ほうれいの辺りは紫がかり始めている。
命を投げ出そうという、気概であった。
「エトセーラ!!」
メサイアはエトセーラの腕を掴み、その力を強める。
ヘルメットが自分に被せられようとし、ブリッジの中でその叫びはしつこく反芻した。
「一緒に来て……エトセーラ。あの機体は1人では……怖い!!ヴィーナも怖かったんです。私は!!」
「女王……!!」
頬に衝撃が走り、地面に叩きつけられる。
ヘルメットが、自身の側に投げ捨てられた。
「メサイア様、貴方の為に命をかけた人間が、大勢いるのです。ヘクターも、私の命令には懐疑的であっても、貴方の為には命を捨てました。」
「この国を貴方に賭けているのです。必ずや、メローを排し、ギランミを撃って。その後に帝国も撃滅してくれると。このモルゴールの人間は誰しも信じています。」
エトセーラは自分の側により、手を差し出す。
ゆっくりと、ふらつきながら立ち上がるメサイアの肩を優しく包み込む腕。
ブリッジを閉鎖するシャッターまで自分を連れていく
その人間には、確かな後顧の憂いが垣間見えるようだった。
「このシャッターを開けて、c-6ブロックまで背中をお守り致します。それからは、真っ直ぐに走っていけばデッキに出られますから……。」
肩の手を背中に移し、優しく撫でる。
メサイアの瞳は、涙を何度も纏いながらも、灰色のシャッターを見据えるそれは、確かな決意を持っていた。
エトセーラは深呼吸をして、拳銃を手に取る。
このシャッターが再び開けば、ベルベーンとノクターンの残存勢力と、ヴィーナが待ち受けている筈だ。
かつての仲間を殺す。思考するのは簡単だが、とても体は受け入れられなそうだった。
「……シャッター開け!!」
エトセーラの声に合わせ、灰色のそれは縦にスライドする。煙が再びブリッジに巻き込み、エトセーラはメサイアの背中を強く押した。
走り出したそれを庇うように、拳銃を放つ。
肩の辺りがジンワリと痛み、それが眼前から向かう風切り音によるのか、手に持つ拳銃による反動なのかがわからない。
後ろの、メサイアは角を曲がろうというところだった。
弾丸を避けるように転がり、身を屈めて走り込みながら、白い廊下の角へ向かう。
自身のいた場所にさらに激しい破裂音が放たれる。
かなりの数だった。ここで我々を滅殺しようというのだ。
角を超えた壁に背をかけ、さらに駆けていくメサイアを見送る。
遠くで、銃を持ったモルゴールの兵士が、メサイアを匿っているのが見えた。
「そのままです、姫様……セトセーラの役目は果たしましたぞ。」
呟き、その角から顔を出して弾丸を放つ。
奴等も壁を背に、インターバルを持ちながらこちらを狙うようだった。
「ヴィーナ、我が英国の姫様を殺して、なんとするか!それが国か!冗談でない!!」
煙の先の弾丸。その先には必ずいる筈の仲間に向けて、声を張り上げる。
「月の支配を是とするのか……!!貴様はそこまで落ちぶれた女だったか!!」
廊下で声が響き、ブリッジのオペレーター達はマシンガンを構えながら、こちらへ向かうのが見えた。
1人が突然力無く倒れ。後の2人はこちらの角に身を寄せた。
「中佐、ライフルです!」
「ご苦労!」
礼を告げ、それを手に取る。
煙は依然、銃弾の破裂音以外を返さない。
汗が滲み、それを拭う。瞳からも同様に液体が流れ、
鼻の辺りを軽く刺激する痛みが走った。
口元が歪み、皺を作って喉の辺りが低く唸る。
ヴィーナ、ロイヤリティ、ギランミ。
あの3人で国の為に戦う充足が蜃気楼のように頭をよぎった。
「クドクドと!ギランミ大佐は真にこの国を憂いておられる!月の兵士達と血を交えていたとしても、大佐は命をかけておられた!」
遠く、霧の先から聞き慣れた声。
ヴィーナだ。
自分も、あの女性に気を許している節はあった。
しかし、仮に。あの侵略国家の月とギランミが協和を結ぼうとなった時。このグレートブリテンは、真に地球の敵となる。メローは反対をしないだろう。
しかし、アルメイア家のメサイアは違う筈だ。
そして、それを邪魔に思うメローに、彼女の両親と同じように殺されて……。
自身の部下のフェスターも、ダッケルもあの男に殺されたと言っていい。
それを黙認して、見ないものとする。この国の腐り切った風潮は、新たな統治によって破壊されるべきだ。
それを出来るのは、直系のメサイアだけだ。
「実利ではない、世の中は!それがわからん貴様らに国を主導する権限が、どこにあるよ!」
「くどいと言った!」
再びヴィーナの拒絶交えの叫びと、銃声。
壁に姿を隠して、それが止んだ後、再び姿を晒し上げた。
次は、聞き慣れた銃声ではない。
遥かな爆発音は、エトセーラの佇んでいた一帯を衝撃と飛び散る破片と人の肉をもって、吹き飛ばした。
今回で80話です。いつも読んでくださる方がいたらありがとうございます。無断でこのエピソード要らないなと感じ、消したものもありますが、勝手なことするなよ!と思ってる方がいたらごめんなさい。これからも頑張ります。




