105.【クスト・レギン】
アダムの部屋の前に、桃色の髪色、見慣れた女性のシルエットがあった。廊下は静まり返り、月の輝きは、彼女の前を照らしている。
俯くその姿に、最早クストはなかった。イブはそれ見て、パイロットスーツのビニールを握った。
「少佐、出撃の準備と。」
イブがその縮こまった体に、声をかける。
その肩がピクリと揺れるのを見て、イブは安堵の息を吐いた。
「イブか。ごめんね。」
クストの声は、涙で震え、若干枯れていた。
しかし、声のトーンは普段と変わらない。
イブは苦虫を噛むように、顔を顰めて、それを見つめる。
「あのマシーンにメサイアが乗ってない可能性ってないかな。」
クストが続け様に呟いた。それを聞いて、腹の底から倦怠感がやってきた。アダムの片腕、メサイアの妨害、そして………
「何を…………」
イブはわかりきったが、聞いた。
「だって、おかしいでしょ。帝国の人間を守るって。
それ、アダムの腕を奪った兵士まで守ってたんだよ。」
イブがため息を吐き出すついでとして、口を開いた時、クストは言葉を重ねた。それに丁重さはなく、ただ子供のように言葉を投げつけるだけである。
「嘘じゃない。嘘じゃないよ。私、あの黒い機体の前に、ちゃんと赤い機体に攻撃したんだ。そしたら、鏡みたいに透明なバリアーが出て、あの赤い機体を守っちゃった。」
子供のように、呼吸を忘れて喋る影。
そう映ったのは、イブが外の景色と月の光に注視していたからだろう。
彼女の声が止まった時、イブは窓から視線を外した。
依然として、力無く座り込む彼女を、さらに顔を顰めて見つめた。
クストも、強化人間という噂がある。別のアネストの支部から作生されたと。
イブはそれを信じていなかったが、この雰囲気は若干その名残があるのだ。
しかし、全く別物の雰囲気もある。
その混在が、人間らしさに見えてならない。
「スタームを殺した兵士の前にさ、アダムが生きてるんだから、まずはアダムの仇討ちだーっ!てね。」
俯く人間の軽い言葉遣いに、イブの頭の緒が切れた。
「少佐、遊びはいいから。準備をしないと。」
床に叩く足を強めて、廊下の静寂は不揃いなそれに乱される。イブは息を荒げないように、ゆったりと歩く。そして、うずくまるクストに影を作った。
それに合わせて、クストはゆったりと顔を上げる。
しかし、彼女の瞳はこちらを向かず、天井の照明を瞳が映していた。その瞳に反射する中央の照明は、黒い瞳孔と重なる。
その瞳孔は、拡大と縮小を際限なく、不規則に繰り返していた。
イブは、クストの側にさらに歩みよると、クストは何も反応しなかった。イブの足音、自身の頭上に降る視線、影、熱、その全てに反応しないのだ。
ただ、天井とその間の空間に、何かあるかのようにブツブツと独り言を呟くのみである。
「スタームが死んだら、バリアーになってくれるかな。バリアーがメサイアなら、スタームってなにかな。スタームって、あの黒い機体庇ったのかな。あの黒い機体ってスタームで、スタームどこ?スタームは生きてて、アダムが片腕失くなって、あれ。首だっけ?ねぇ、そこにいるの誰?」
クストが虚にこちらを向いた時。イブは壁に備え付けの固定通信に手をかけた。
足元のクストの様子を伺いながらである。
そして、クストはふらつきながら、壁に手を添え、立ち上がる。その手は、アダムの部屋のオートロックに重なり、認証不可のエラーを何度も何度も吐き出した。
「こちら、c-5ブロック。クスト少佐を見つけました。………いえ、おそらく出撃は無理かと。」
イブがマイクにそう言う時、クストの両腕が、イブの肩を掴んだ。
「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ!
なんで私達生きてるのかな。スタームも死んで、アダムも死んで、メサイアも死んで、みんな死ぬのに。戦艦ノアなんて、みんな死ぬよ。誰も残らず、わかっちゃった。死なないと、生きていけないんだって!」
クストは叫び、イブの首を覆うように掴んだ。しかし、力は非力であった。力量の問題ではなく、手加減に近い。力が入っていないのだ。
垂れたトランシーバーからは、ブリッジのジーネンとクリス達の叫び声が聞こえた。
「触るな!!」
イブが叫び、クストの頬を殴りつけて、反対の壁にクストは叩きつけられた。
そして、クストは力無く笑い、壁に沿ってもたれかかって、座り込んだ。
「もう死にたいのなら、貴方一人で死んで!私は死なない!私には見つけるものがある!もう、それは兄さんでもメサイアでもない!だから、お前の癇癪に私を触れさせるな!」
壁に叩かれたクストは、パイロットスーツ越しの肩を摩りながら、自身の腰を探った。急ぎながら、何かを弄る。
それは、艦内を包むブザーが原因だろう。
イブの心拍も、それに合わせて早まった。
「うん!そうする!もう、スタームもいないし!」
クストのその声は明るく、彼女の快活さに溢れていた。
「なんで……そんな。」
イブは、それを受けて心臓が強く跳ねた。腹の底が冷えて、クストを殴りつけた右腕が震え、足も立っていないほど震え始める。
イブは、クストがもたれた方でない反対の壁に顔を向け、その頬を水滴が伝った。歯を鳴らし、イブの喉から意図せず高い呻きが響いた。
拳銃が鳴る。それは、プレスチェックの音である。
「少佐、新しい人は……見つけられるの。」
イブのその言葉は、クストに届いたのかはわからない。拳銃を当てる音が響き、自身の涙を込めた声は、壁に反響したからである。
やがて、艦内を包むブザーの音が強くなって、
数人の走る音が近づいてくる。
「遅い……貴方達は。いつも、本当に遅い。」
その言葉は、喉から唸るように、イブから発された。
そのイブが握る左手には、アダムがメサイアから受け取ったペンダントが、握られていた。
暫くしても、銃声は鳴らなかった。
その代わりに、イブの首筋のあたりに、チリチリと痒みが走って、それは視線なのだ。
「イブ、撃てない……でも、死にたい………」
そんな声を背中に受けた時、イブはクストに背を向けたまま、自身も壁にもたれ、その声の主を抱き寄せたい衝動に駆られた。
頭を壁に当てて、ロケット型ペンダントを胸に持ってきた。しかし、その金属には温かさはなかった。
ただ、イブの涙を受けて、それを水晶のように輝かせるだけである。まるで、人の苦心と涙を、宝石のように。
そして、窓から差し込む月の光は、イブを照らさず。
ただ、涙で顔を濡らし、こちらに懇願するように顔を向ける、クストを照らすのである。
「少佐、まだアダムには会えます。貴方が生きているなら、まだ私も」
「でも、生きるなら戦わないと。また、戦いに出て、あぁ、意味ないんだって思わないと。」
「メサイアは、きっとそんな意味を込めてるんじゃないんです、少佐。私と一緒にマシーンに乗りましょう。一人が怖いなら、一緒に乗ってあげるから………」
イブから大粒の涙が溢れ、鼻の滲む痛さは強くなり、後を引く。声は途中から掠れたが、しっかりとクストに届いてくれただろうか。
返答はない。それが答えであるのだから。
立ち上がり、壁にもたれかかるクストの元へ歩んで、両肩を掴み、その左肩に顔を埋めた。
懐かしさを感じる香りである。この戦いが始まり、アネストで出会って、重ねた日々は長くはない。
会話も少ない。
しかし、懐かしいのだ。
それは、心を開かなかった自分を、ずっと後ろから、見つめていたものである。アダムの部屋の前で、今のクストのように、落ち込み、絵本を持って佇んでいた自分に、クストは声をかけて、一緒に談笑した時もあった。
シアタールームで、膝を貸してくれて、眠った時は、良い夢が見れたものだ。
イブは、アダムばかり意識してきた自分を、恨んだ。
そして、そんなイブを、スタームとクストは、そっと見ていてくれたかも知れないのだ。
それは、イブが、ずっと求めていたものに思えた。
「クスト少佐、私……月の軍に行きます……ごめんなさい、ごめんなさい!もう、もうここでは戦えない。ジーネン艦長もわからない……アダムも兄さんではなかったの!」
イブのその言葉に輝くのは、水滴を流しきったペンダントである。それはクストの肩に触れて、カタカタと小さく揺れた。
イブは嗚咽をあげて、クストの体に自分の全身を寄せた。クストは、拳銃を持たない左腕で、肩に泣きつくイブの頭を撫でた。その腕は、やはり力がないのだ。
そして、自分を包む優しさを持つ腕なのだ。
「それで良いよ。仕方ないよ。お前も立派な人間なんだから。見てるからね、頑張って生きるんだよ。」
イブはこの言葉を受けて、やはり生きてとは言えなかった。生かしてしまっては、それこそアダム以上の苦しみを与えることになる。そして、クストは月の軍には行けないのだ。
その後、廊下を銃声が包んで、戦艦ノアにはもう、
月の光が当たることはなかった。




