103.【蠢くタイタニス】
地面を走る音がして、瞼を赤く染める輝きがあった。
穏やかな暗闇、そして緑、さらに強い光により、血管の筋と赤である。
その赤が通り過ぎると、ホッと息を吐いた。
しかし、その短い息も、シンプルマスクを籠らせるものである。
女性の叫びが聞こえて、その種類は3種類ほどであった。
一つ目の声は、自分が培養カプセルの中で初めて聞いた声である。そして、自分を包む細かい高音は、その時を想起させた。
二つ目は、暖かい。自分を支えてくれる人間の声だろう。
三つ目の声は、自分にそのように言葉を放つとは思えなかった声である。しかし、それは純粋に嬉しいことだ。
声はもう一種類あった。煙に包まれたような頭の中で、その声の主と姿形を完全に捉えることが出来るのは、彼女も同じく、超越性を持った精神的空間に、身を置くからだろう。
自分は寝そべっているのか。白い天井と輝く照明が、自分を一身に照らしていた。
「少佐、近寄らないで!」
その男の声が響いた時、女性の泣き声が響いた。
ただ、静かにしていて欲しかった。
「兄さん………?」
その声は、枯れていて、自分の足元に辿り着く前に弾けた。自分に妹は居たが、それはもう死んでいるのに。
「止血を……。その後に、レパラール・ウェーブを当ててみて。それで傷が塞がらないようなら、焼くか凍結を。」
その声は、事務的である。しかし、若干の震えと動揺がある。
四つ目の声が戻ってくることはなかった。
***
「クスト少佐、イブ准尉も。機体の整備とスペアの取り替えが終わり次第、再び出撃をお願いします。」
戦艦ノアの集中治療ルームを隔絶する鏡。
その鏡の先の部屋に送られるのは、人の死体と体の一部か、重度の傷害を負った兵士である。
そして、ガラスの前で立ち尽くすクストとイブ、ジーネンの目の前で機器に囲まれて治療を受けるのはアダムであった。
「出撃って、あのバリアーが邪魔をして、戦いにならない!そもそも、アダムを放って置けない!」
そう叫ぶのは、クストである。イブはガラスに両手を押し付けて、ただ立ちすくむ。
「しかし、クスト少佐。あのバリアーが我々を守っているから、こうやって目の前の敵戦艦に攻撃をされていないのです。」
そう言ったのは、二人に出撃を促した男の声である。
「艦長、アダムの腕は直りますよね。あいつ、強化人間なんだから、腕は生やせますよね。義手でもなんでも、保たせてあげれるはず!」
クストはそんな男からは視線を離して、自分達を遠目で見つめるジーネンへ振り返った。
ジーネンは相変わらず、軍帽で顔を隠し、照明によって影を作る目元は伺えない。
「クスト少佐、悪いけど……」
「強化人間は、その腕も含めてエントリーされていて、義手は体に馴染まない。腕も作成なんて出来ない。」
ジーネンの声に覆い被さって、話し始めるのはイブである。ジーネンはそれを受けて俯き、クストはイブに振り返った。
「なら、腕を作れば良いでしょ。データがあるんだから、私の腕だって良い。あいつが目を覚ますなら、私の腕をあげてもいい!」
クストは喚くが、自身でも不可能とわかりきったことである。しかし、格納庫へ帰投した際、コックピットが抜けきり、地面へ墜落したドミティアンが回収された。
それは、スタームのものであり、球体が抜かれた中身は空洞であった。
そして、このアダムである。クストはあのバリアーが開戦直後に展開されればと、嘆きたかったが、そのバリアーの正体もメサイアであるのだ。
気持ちのやりどころが見つからなかった。
「少佐、落ち着いてくださいよ。あなたがそんなことでは、クルーだってパニックになるんですよ!アダムが動けないなら、イブ准尉と少佐が頑張るしかないでしょ!」
耐えきれないように男が叫んだ、メカニック特有の煤で汚れた服を纏い、自身より背丈の低いクストの両肩を揺らした時、その肩には全く力が入っておらず、瞳も焦点を合わせないで小刻みに震えているから、絶句しながら手を離す他なかった。
艦内をブザーが包む。ジーネンを呼び戻す旨のものと、相対する敵戦艦に、動きがあるとのことである。
「戦いがあるから、私達が生まれて。
なら、生まれてこないほうが、よかったんですね。」
クストを横目に、ジーネンが足早に歩いた時、ガラスの先を見つめるイブがそう言ったのだ。
***
「それで、あの白い機体が発するバリアーとジャミング波とやらで、こちらは攻撃も何も出来んのだな。」
ブリッジの上部一帯に展開される、ラダンの報告を聞いて、サラスは肘置きに手を置きながら呟いた。
サラスは鼻で嘲るように笑う。それは、雲を突き抜けた先の、この街の有り様を見てのことで、それであるのに決定打を決められない、もどかしさを笑ったのだ。
「はっ、インペネスが善戦しましたが、あの機体を排さない限りは、帝国の増援とも合流が叶いません。」
ラダンも同じく座席に腰掛け、一度ブリッジに戻ったラッツェルへ一声掛けて、再びサラスへ向き直す。
「墜落した戦艦の事はいい。それは事後報告で。歩兵部隊を送らせるか?先に送った隊の通信は途絶したがな。」
サラスは、手元のペンを弄るようにして俯く。
ラダンは言葉に困って、唸り声を上げるのみである。
本心は、一度もマシーンを送り出していないタイタニスに、攻略を要請したい一心である。
しかし、それはあのマシーンに特攻する可能性もあるのだ。
タイタニスがそれをするとは思えなかった。
「敵戦艦は四。こちらの被害はインペネス一隻。よくやっているじゃないか。我々は。この、かすり傷のような被害で。」
サラスは再び無駄口を叩く。白い機体が放つバリアー、その圏外へと向かえば、こうやって通信も行える。
それがサラスの内心に余裕を生むのだ。
つまるところ、あのバリアーは英国を護りながらも、実質的な保護は自分達が受けている。
しかし、これ以上後退すればロンデイルを抜けて、
英国の増援部隊に挟まれる。
一刻も早く掃討作戦を行い、援軍をゲリラ部隊に格下げする必要がある。戦力は変わらないが、この敗戦の事実で士気は下げられる。
そのためには、この国の女王の首がいる。
サラスの決断である。
「中佐は我々に部隊を出張らせて欲しいんだな。」
サラスは、スクリーンに映るラダンを上目遣いで静かに睨んだ。
「いえ、必要とあらば我々で殲滅いたします。可能です。しかし、このロンデイルさえ陥落させれば、我が帝国がここに軍事施設を建設し、補給を絶えず受け続けられるのも、事実です。」
「だから、ここで私の艦の兵士を多少死なせるのは構わんと、そう言うんだな。中佐。」
「そうではありません。部隊の連携が可能ならば、戦死者を出す事もありません。」
サラスは引こうとしないラダンを見て、ため息混じりにまた笑った。ブリッジのクルー、マックスを含めた全員が不安気にサラスを見ていた。この怯えた態度が、腸を煮えさせるのだ。
「よかろう。マックス、セルヴス隊発進だ。
中佐、我々は雲の上を漂っていたから、現場の感覚がわからん。どれほどの数がいるかな。」
「中将、タイタニスにはウィラ・ギャロがついているではありませんか。あのビームレーザーがあるならば、部隊を派遣する必要すらないでしょう。我々は姿を見せず、あの白い機体を撃墜すれば良いのでは?」
ラダンは、通信を聞いて、タイタニスの艦首の上に装備された、巨大な砲身のことを言った。
前方のマックスも、それに賛成のようだ。
「あれは地球軍の戦艦用だ。ストラッズの先にある戦艦を、撃沈させるためのな。それに、あの機体のバリアーを全て集約されれば、我々のビームレーザーなど、防がれる可能性がある。」
「そうなると、タイタニスは自由に動きづらいな。
そして、時間を食って敵は増援と合流。そうなれば、ストラッズは我々を庇いながら、それを捌いてくれるのかな?」
サラスは、ペンを自分の軍服に戻して、椅子に掛け直す。ラダンはそれを受けて、不満気な呻きを交えながら、ただ、了解と呟くのみである。
「それと、周知の通り我々はバジーリオ少佐がいない。それは、其方の兵士が少佐を連れ回してくれたお陰でもある。セルヴス隊は出してやるから、その部隊の指揮を取る人間を出して欲しいな。」
サラスの指す先は、ラッツェルと回収されたユナ・エイジール達であった。
「ナーケルも、時間を頂ければ間に合わせますが。」
サラスの内心を知らずに振り向くのは、ヘッドホンに手をかけるマックスである。
「あれはじゃじゃ馬だ。」
サラスは短く告げて、ラダンの返答を待った。
「では、ラッツェルとユナ中尉、その他の者に指揮を取らせます。そうなると、その部隊の指揮系統も我々が取ることになります。構いませんね?」
ラダンは少しの仕返しの意も込めて、吐き捨てる。
「構わん。我々が母艦で、諸君らは巡洋艦なのだ。普段通り、インペネスの仕事を、次は諸君らに期待する。ヘマだけはしないでもらおう。インペネスのようにな、では頼む。」
サラスは、この付け足しの言葉で完璧に勝ち誇り、通信を切らせた。タイタニスの甲板から、二つのレールが進出するのが、ブリッジのガラス越しに見えて、それはカタパルトであった。
***
タイタニスの格納庫には、計三十五機のセルヴスが格納され、一部隊の編成は五。合計七部隊である。
対空・対艦部隊四つを中心に、迎撃部隊ニ、補佐部隊一に分かれている。
約五百六十メートルのサイズを持つ、モンテーナ級戦艦タイタニスであるが、機体積載量は限界であった。
ーー「サラーシャ、発進だ!」ーー
機体の足元、格納庫内部を歩く小柄な女性に向けて、
アッシス搭乗の乗組員が叫んだ。
既に、カタパルトとこの格納庫を隔絶するハッチは開かれていて、星の輝きに似た、紫色の粒子と火の粉、それを黒いシェルターに覆われる街が覗けた。
「いけるな!」
サラーシャはその景色を一瞥した後、ヘルメットを被りながら、クレーンの伸びた先に声を上げた。
「はっ、中尉。どうかご無事で。」
クレーンから降りるメカニックは、明らかにサラーシャに気があるようで、機体整備の書類を脇に据えながら、クレーンを彼女に譲った。
「気を付けることはない。死に損ないの街である。
それで、バリアーしか能のない機体が切り札だと言うんだから、保身極まれりだな。」
サラーシャは吐き捨てて、機体に沿うクレーンを上げた。まず、このサラーシャの部隊が先行し、ストラッズの機体と連携して、進路確保。その後に残りの対空部隊で、敵機、敵艦を撃滅とのことである。
このサラーシャの部隊は、その対空部隊の一つであり、自分達が水先案内人を請け負う事は、名誉である。サラーシャはクレーンの振動で、機体の胸部へ辿り着いた。続々と格納庫に傾れ込むパイロットを見下ろして、鼻で笑った。
「ふん、死に損ないの事後処理の。そのまた事後処理だと言うんだから、穀潰しも良いところだな。」
そう言いながら、コックピットに乗り込み、コンソールを起動した。
ハッチが閉じると、ジェネレータとエンジンが高音で鳴り響く音が聞こえて、全天モニターが灰色の格納庫を映し出した。
――「もう一度確認するぞ、サラーシャ隊はラッツェル隊と合流して、白い大型のコースに入る残存兵を撃墜、進路を確保。頼むぞ!」ーー
自身のコックピットを包む通信は、マックスの声である。
「了解、サラーシャ隊出ます!」
サラーシャが叫んだ時、自分の後方に四機のセルヴスが続き、アッシスの指示をそれぞれ受けて、カタパルトに足を埋め、発進した。




