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悪役令嬢、幽霊が見えるようになったので怖いです助けてください  作者: 夜凪 蒼


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第8話「王宮の噂」

王宮に幽霊が出る、という噂は本物だった。


 正確には、私が直接見たわけではない。市場で買い物をしているとき、すれ違う人々の会話の端々に「王宮」「幽霊」「怪奇現象」が混ざっていて、耳を澄ませたら芋づる式に情報が集まってきた。


「王宮の東棟で夜中に足音がするらしいぞ」


「大広間のシャンデリアが勝手に揺れるって話も聞いた」


「給仕係が辞めまくってるらしい。厨房に冷気が走るんだと」


 私は心の中で深く頷いていた。分かる。冷気、分かる。幽霊のそばは本当に寒いのだ。給仕係の気持ちが痛いほど分かる。


「なあ、リーゼロッテ。あれ、誰だか分かるか?」


 ハロルドが市場の向こうを指さしている。


 人混みのなかに、ひとり——明らかに浮いている存在がいた。護衛に囲まれて、でも表情が冴えない金髪の青年。


 クリストフ殿下。


 私を断罪した張本人。


「……帰りましょう」


「おいおい、逃げるのか」


「逃げるんじゃなくて、関わりたくないの。あの人に断罪されたんだから」


「だが見ろ、あの顔。目の下の隈がひどいぞ」


 確かに。クリストフ殿下は、以前とはまるで別人だった。


 舞踏会のときは自信に満ちた顔で私を糾弾していたのに、今は頬がこけて、目が泳いでいて、周囲の視線におびえるような素振りすらある。


「眠れていない顔だな。霊障の典型だ」


「ハロルドさん、なんでそんなこと分かるんですか」


「百年間幽霊やってると、幽霊に困らされてる人間の顔が分かるようになる。お前も最初はあんな感じだったぞ」


「あんな感じだったんだ私……」


 クリストフ殿下は護衛に囲まれたまま、市場の通りを足早に横切っていく。一瞬、こちらに視線が向いた——気がしたけれど、目が合う前に逸らされた。


 あの人も、困っているのだ。


 王宮に幽霊が出て、たぶん誰にも相談できなくて。王太子が「幽霊が怖い」なんて言えるわけがない。


「可哀想に、とは思わないの?」


「思いません。断罪されたので」


「根に持つタイプだな」


「持ちますよ。人前で婚約破棄されたんだから」


 ハロルドが肩をすくめる。半透明の肩が上下に動くのは、いまだに慣れない。


 屋敷に帰ると、アルヴィンが来ていた。


 玄関ホールで腕を組んで待っている銀髪の祓魔師。ピッピが「お客様ですよ! かっこいい方です!」と嬉しそうに報告してくれたが、アルヴィンのほうは一切の愛想がない。


「ヴァイセンブルク嬢。昨夜、王都南部で強い霊的反応がありました」


「……ああ、あれですね」


「あれ、とは」


「夜道で遭遇しました。顔がない、影みたいな——」


 アルヴィンの眉がぴくりと動いた。


「悪霊に遭遇して無事だったのですか」


「悲鳴を上げたら人が集まって、消えました」


「……悲鳴で」


「あ、笑わないでくださいね」


「笑っていません。むしろ合理的です。悪霊は人の気配を嫌う。大声は有効な退散手段になり得ます」


 褒められているのか慰められているのか分からない。


「それとは別に、報告があります」


「なんですか」


「王宮で霊的異常が発生しています。教会にも正式に調査依頼が来ました」


 やっぱり。噂は本当だった。


「王宮の東棟を中心に、冷気の発生、物品の移動、夜間の足音。複数の証言があり、給仕や侍女の離職が相次いでいます」


「それは大変ですね」


「ええ。それで——」


「私は関係ありませんよ?」


「まだ何も言っていませんが」


「どうせ『手伝え』でしょう。王宮の幽霊の声を聞いてこい、でしょう」


 アルヴィンが一瞬だけ口を閉じた。図星だ。


「……教会の祓魔師だけでは、声を聞くことができません。視ることはできても」


「だから私が必要、と」


「私の判断ではなく、教会の上層部からの依頼です」


 責任を上に押し付けるのがうまい。前世の中間管理職を思い出す。


「お断りします」


「理由は」


「王宮は嫌です。断罪された場所ですから」


 アルヴィンが少し考えてから、口を開いた。


「……クリストフ殿下が困っているのは、ご存知ですか」


「知ってます。市場で見ました。顔色が最悪でした」


「霊障が続けば、殿下の体調だけの問題では済みません。王宮の政務に支障が出れば、国全体に影響します」


「大きい話を持ち出さないでください。私はただの元婚約者です」


「元婚約者だからこそ、王宮に入る口実がある。教会の祓魔師では、殿下の私的空間には近づけません」


 理屈が通っている。嫌になるくらい通っている。


「お嬢様! 王宮に行くんですか? 行ってみたいです!」


 ピッピが目を輝かせて割り込んでくる。


「行かない。たぶん行かない」


「えー! もったいない!」


「ピッピ、あなた王宮に行きたいだけでしょう」


「それもありますけど、お嬢様が困ってる人を放っておけない性格なの、知ってますから!」


 知られている。数日で見抜かれている。


「リーゼロッテ」


 ハロルドが口を開いた。


「王宮に行けば、古い記録を調べられるかもしれないぞ。百年前の住民台帳は、王宮の書庫にある」


 卑怯だ。


 ハロルドの未練を解決するための手がかりが、王宮にある。


「……考えさせてください」


 アルヴィンが銀板をもう一枚差し出した。


「教会からの正式な依頼書です。返答は三日以内にお願いします」


「三日」


「それ以上は待てません。王宮の状況は日に日に悪化しています」


 アルヴィンが踵を返して帰っていく。ピッピが「また来てくださいね!」と手を振っている。アルヴィンは振り返らない。


 銀板を両手で持って、考える。


 王宮。断罪の場所。クリストフ殿下。幽霊。


 怖いものリストの項目がまた増える。


「なあ」


「なんですか」


「行くんだろ?」


「……まだ決めてないって言ったでしょう」


「お前の『考えさせてください』は、もう腹が決まってるときの台詞だ。三日も知り合ってれば分かる」


 三日で分かるな。


 窓の外で、夕鳥が鳴いている。王宮の尖塔が、オレンジ色の空を突き刺すように立っている。


 あそこに、何がいるのだろう。


 考えるだけで足が震えるのに——行くことになるのだろう、きっと。


 怖がりの公爵令嬢は、怖い場所に自分から突っ込んでいく。


 誰か本当に、助けてください。

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