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悪役令嬢、幽霊が見えるようになったので怖いです助けてください  作者: 夜凪 蒼


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第4話「祓魔師の流儀」

その男は、銀色だった。


 髪も、睫毛も、纏う空気も。市場の雑踏のなかで、ひとりだけ温度が違って見える。


 長身、痩躯。教会の祓魔師が着る黒い長衣に銀の十字架。年は二十代半ばくらいで、端正な顔に一切の笑みがない。


 私がその男に気づいたのは、男が私を見ていたから。


 正確には——私の隣を。


「なあリーゼロッテ、あの銀髪の男、こっちを見てるぞ」


「分かってます。黙って」


「俺のことが見えるのか?」


「分からないから黙って」


 市場の人混みをすり抜けて、男がまっすぐこちらに歩いてくる。すれ違う人々が無意識に道を開ける。雰囲気が尋常じゃないのだろう。黒い長衣の裾が風もないのに揺れていて——あれ、風もないのに布が揺れるのは怖い要素では。


「失礼」


 低い声。抑揚がない。事務的。


「あなたは——リーゼロッテ・フォン・ヴァイセンブルク嬢ですね」


「……ええ」


「教会の祓魔師、アルヴィン・クロイツと申します。少々お伺いしたいことがございまして」


 祓魔師。


 幽霊を祓う人。


 え、ちょっと待って。この人に頼めば幽霊問題が解決するのでは? ハロルドを祓ってもらえば——


「おいおい、俺を祓う気か?」


 ハロルドが耳元で叫ぶ。冷気が鼓膜を撫でる。やめてほしい。


「先日から、この周辺で霊的な異常波動を検知しています。浮遊霊の集中的な発生です」


「れ、霊的な異常波動」


「特に——あなたの周囲からの反応が顕著でして」


 私の周囲。


 つまりハロルド。


「失礼ですが」


 アルヴィンが一歩踏み込んだ。銀の瞳が、私の顔を——ではなく、私の斜め後ろを射抜いている。


「今、あなたの左後方に、鎧姿の男性の霊がいますね」


 見えてる。


「えっ」


「見えてるな! おい銀髪、俺のことが見えてるのか!」


「黙れ、亡霊。教会の祓魔師に話しかけるな」


 ハロルドに向かって、アルヴィンが冷たく言い放った。二人の視線がぶつかる——物理的な目と、半透明の目が。


「ヴァイセンブルク嬢」


「は、はい」


「あなた、霊が見えるのですね」


「……見えます。見たくないけど」


「いつからですか」


「十日ほど前に頭を打ってから」


「頭部への衝撃による霊視覚の覚醒。珍しくはありますが、前例はあります」


 前例があるんだ。私だけじゃないんだ。その情報だけで少し安心する。


「それで——この霊を祓いましょうか」


「え」


「祓魔師の仕事です。浮遊霊は速やかに祓うのが教会の方針です。このまま放置すると、あなたの身体に障りが出る可能性もある」


「おいおいおい、ちょっと待て!」


 ハロルドが私の前に飛び出した。半透明の鎧がじゃらりと音を——出さない。幽霊だから音がしない。でも身構える動きだけは百年前の騎士そのもの。


「俺は悪い霊じゃない! この子に危害を加える気もない! 勝手に祓うな!」


「悪意の有無は関係ない。死者が現世に留まること自体が異常であり、浄化の対象だ」


 アルヴィンが懐から聖印を取り出す。銀の十字架に青い石が埋め込まれていて、それが淡い光を放ち始める。


 ハロルドの輪郭がゆらりと揺れた。


「ま、待ってください!」


 叫んだのは、私だった。


 アルヴィンの手が止まる。銀の瞳が、今度は確かに私を見ている。


「……どういう意味ですか」


「この人——ハロルドさんは、まだやり残したことがあるんです。だから祓わないでください」


「やり残したこと?」


「百年前の恋人に想いを伝えられなかったんです。それが未練で成仏できなくて——」


「それが浮遊霊の常套句だと、ご存知ですか」


 冷たい。声が冷たい。ハロルドの冷気とは質が違う、理知的な冷たさ。


「浮遊霊は自己の執着を正当化します。『やり残したことがある』『伝えたいことがある』——それは霊の都合であり、生者が付き合う義理はない。むしろ、付き合えば付き合うほど生者の精気が削られる」


「精気って……」


「あなた、最近よく眠れていますか?」


 ぎくり。


 確かに、ハロルドが来てから寝不足だ。夜中に話しかけてくるし、冷気で目が覚めるし。


「霊の近くにいると、体温が下がり、睡眠の質が落ち、判断力が鈍る。善意の霊であっても結果は同じです」


 アルヴィンの指摘は論理的で、反論しにくい。前世の上司が成績表を突きつけてくるときの感覚に似ている。


「おい、リーゼロッテ。俺のせいで寝不足なのか?」


「……多少は」


「すまん。でも祓われたくない!」


「ヴァイセンブルク嬢。判断を仰ぎます。祓いますか」


 二つの視線。半透明の騎士と、銀髪の祓魔師。


 怖い。両方怖い。幽霊は怖いし、祓魔師も別の意味で怖い。


 でも——


 パン屋のおばさんを思い出す。孫にレシピを伝えて、安心して消えていった笑顔。


「……もう少しだけ、待ってもらえませんか」


 アルヴィンの眉が、ほんのわずかに動いた。


「理由は」


「この人には未練がある。それを解決すれば成仏するかもしれない。祓われるんじゃなくて、自分で逝けるかもしれない。だから——」


「感傷論ですね」


「感傷でもいいです。お願いします」


 アルヴィンが聖印をしまった。


「……一か月」


「え?」


「一か月以内にその霊が成仏しなければ、改めて浄化させていただきます。それが教会のルールですので」


「一か月……」


「それと、何かあれば教会に来なさい。霊に取り憑かれて衰弱する前に」


 名刺のような薄い銀板を渡された。教会の紋章と、アルヴィンの名前が刻まれている。


「ヴァイセンブルク嬢」


「はい」


「霊と交渉するのは、勧めません。あなたの身体が壊れます」


 それだけ言って、アルヴィンは踵を返した。黒い長衣が翻り、市場の人混みに消えていく。


 残されたのは、私と半透明の騎士。


「……一か月だって」


「聞こえてた。リーゼロッテ、なんで俺を庇った?」


「庇ったんじゃなくて——」


「怖いんだろ、俺のこと」


「怖いですよ。めちゃくちゃ怖い」


「なのに」


「なのに、ですよ。怖いのに庇うから余計に腹が立つの。自分に」


 ハロルドが笑った。いつもの豪快な笑い方じゃなくて、少し困ったような、少し嬉しいような。


「ありがとな」


「お礼はいいから三メートル——」


「離れろ、だろ。分かってる」


 分かってるなら最初からやって。


 帰り道、アルヴィンの銀板を握りしめながら考える。


 祓魔師は「霊と交渉するな」と言った。正論だ。生者には生者の世界がある。


 でも。


 あの銀の瞳の奥に、何か——怒りとも悲しみともつかないものが見えた気がした。


 幽霊を祓うことに、あの人なりの理由がある。


 面倒なことになってきた。幽霊だけでも大変なのに、祓魔師まで加わった。


 一か月の猶予。ハロルドの未練。アルヴィンの銀の聖印。


 怖いことリストが、どんどん長くなっていく。

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