第29話「幽霊より怖いもの」
エリーゼの子孫は、見つかった。
ヴァイス家は四代目で別の家に嫁ぎ、名前は変わっていたけれど、教会の戸籍をアルヴィンが丹念に辿って、王都の花屋を営む一家にたどり着いた。
エリーゼの末裔であるミーナという女性に「百年前のご先祖様を想っていた騎士がいました」と伝えた時、彼女は目を丸くして——それから、花束を一つ作ってくれた。白百合の花束を。
「ご先祖様に、お供えしてください」と。
その花束を持って、北門の橋の下の礼拝堂跡に行った。壁の文字の前に供えて、手を合わせる。ハロルドはもういないけれど、エリーゼもいないけれど、花の香りが二人に届けばいいと思う。
——と、ここまでが今日の報告。
問題はその帰り道だ。
「リーゼロッテ」
「はい」
「少し——話がある」
アルヴィンの声がおかしい。いつもの堅い口調ではなく、どこか不安定で、言葉を選んでいる感じ。
「何ですか、改まって」
「改まっている、か。そうかもしれない」
夕暮れの帰り道。橋の上。川面に夕陽が反射して、オレンジ色の光が水面を走っている。風が髪を揺らす。少し冷たくなってきた秋の風。
「俺は、祓魔師だ」
「知ってます」
「幽霊を相手にしてきた。恐ろしい霊も、悲しい霊も、何百と見てきた」
「ええ」
「怖いと思ったことは——正直、ほとんどなかった」
アルヴィンが歩みを止める。橋の欄干に手をかけて、川の方を見ている。横顔に夕陽が当たって、銀髪がオレンジに染まっている。
「でも最近、怖いと思うことがある」
「え? アルヴィンが怖いと思うって——どんな幽霊ですか」
「幽霊じゃない」
振り向かれる。銀色の瞳が真っ直ぐこちらを見ている。夕陽のせいか、頬がほんのり色づいている。
——いや、夕陽のせいじゃない気がする。
「幽霊より怖いものがある」
「な、何ですか」
「お前に嫌われることだ」
川の音が聞こえる。鳥が鳴いている。風が吹いている。世界はいつも通り動いているのに、私の頭の中だけが止まっている。
「え」
「聞こえなかったか」
「聞こえました。聞こえましたけど——え?」
「繰り返す必要があるか」
「いやそうじゃなくて——え?」
語彙力が消滅している。前世の二十三年間で培った日本語が、一瞬で蒸発してしまった。
「俺は、お前のことが——」
「待ってください」
「何だ」
「心の準備が」
「準備は終わらせたつもりだが」
「私の準備です!」
アルヴィンが困ったように眉を下げる。この人、幽霊相手には動じないくせに、こういう場面でも妙に真面目で——それがまた——
「お前と出会って変わった。幽霊への向き合い方も、この仕事への考え方も。お前の隣にいると——俺は、俺が知らなかった自分になれる」
「アルヴィン——」
「迷惑なら言ってくれ。祓魔師と令嬢では立場も違うし、俺はこういうことに不慣れだから——」
「それは……ホラーですわ」
口をついて出た言葉に、自分でも驚く。
アルヴィンの目が点になる。
「……は?」
「あ、いえ、違うんです。怖いという意味じゃなくて——いえ怖いんですけど——幽霊とは別の意味で怖いと言いますか——心臓が——」
「褒めてるのか?」
「褒めてます! たぶん!」
何を言っているのだ私は。前世の小野寺怜奈、二十三年生きて告白への返答がこれか。いや前世でも告白なんてされたことないから対処法を知らないのだけれど。
「つまり——嫌ではない、と」
「嫌じゃないです。全然嫌じゃないです。むしろ——」
顔が熱い。夕陽のせいにしたいけど、夕陽はもうほとんど沈んでいる。
「むしろ、嬉しいです」
言えた。
アルヴィンの表情が——ああ、この人、こんな顔するんだ。堅くて真面目で無表情に見えるこの人が、今、耳まで赤くして——笑っている。
「そうか」
「そうです」
「……よかった」
何がよかったのか分からないけれど、よかった。たぶん、お互いに。
帰り道の橋の上で、二人並んで歩く。手が触れそうで触れない距離。
ハロルドがいたら「やっとか! 百年待つところだったぞ!」と叫んでいるだろう。ピッピがいたら「何の話ですか?」とそのままスルーしているだろう。
幽霊より怖いもの。嫌われること。
——確かに、それはホラーだ。
「あのアルヴィン」
「何だ」
「手、繋いでもいいですか」
「……ああ」
アルヴィンの手は温かい。祓魔師の手。幽霊を祓い、聖水を振り、今は——私の手を握っている。
怖い。心臓がうるさい。顔が熱い。
でも、幽霊の時とは違う「怖い」だ。
こっちの「怖い」は——悪くない。




