第26話「死者の真実」
旧妃居室は、昨日より少しだけ暖かい気がする。
マルガレータがそう感じさせているのか、それとも私が慣れてきただけなのか。どちらにしても、最初に来た時の刺すような冷気は和らいでいた。
「クリストフ殿下が来たいとおっしゃっています」
マルガレータに伝えると、王妃の幽霊はゆっくりと瞬きをする。
「あの子が。ヴィルヘルムの——何代目になるのかしら」
「曾孫の曾孫くらいだと思います」
「そう。ずいぶん遠くなったのね」
扉の向こうに殿下がいる。アルヴィンが付き添っている。
「殿下、どうぞ」
扉が開いて、クリストフ殿下が入ってくる。
一歩目で、殿下の体がびくりと震えた。冷気を感じたのだろう。二歩目で、部屋を見回す。見えていないのに、何かを探すように。
「ここに——いるのか」
「はい。部屋の中央に立っておられます」
殿下が中央を向く。マルガレータを——見えない相手を、真正面から見据えようとしている。
「マルガレータ——様。俺は、クリストフ・ド・リヒト。あなたの——」
言葉が詰まる。「あなたを殺した側の子孫」とは、さすがに言いにくいのだろう。
「知っているわ」
マルガレータの声。殿下には聞こえているはずだ。かすかに、風のように。
「殿下。マルガレータ様が『知っているわ』と——」
「聞こえている。かすかにだが」
殿下の目が見開かれる。聞こえるのか。完全には見えなくても、声は届くらしい。マルガレータの霊力が強いのかもしれない。
「マルガレータ様。俺は——王家の歴史を調べた。昨夜、書庫に入って」
殿下が懐から束になった紙を取り出す。一晩で調べたのだろう。目の下に隈がある。
「百年前の王位継承に関する公式記録と、教会に残っていた記録が食い違っている。王妃の死因。継承の経緯。騎士団の処分記録。——全部だ」
マルガレータが微笑む。悲しげな、でもどこか安堵した微笑み。
「調べてくれたのね」
「調べなければ信じられなかった。だが——調べれば調べるほど、辻褄が合わない箇所が出てくる」
殿下が紙を床に並べ始める。見えない相手に見せるように。
「王妃の死亡届には『急病により逝去』とある。だが検死記録がない。百年前の慣例では王族の死には必ず検死が行われる。なのに——ない」
「消されたのよ。検死をすれば毒が見つかる。だから記録ごと処分した」
私がマルガレータの言葉を伝える前に、殿下が頷く。
「そういうことか。それから、騎士団の処分記録。政変の翌日に十二名が『脱走』として除籍されている。騎士が一度に十二名も脱走するなど——」
「処刑されたのよ。王妃派の騎士を粛清して、脱走と記録した」
マルガレータの声が淡々としている。怒りでも悲しみでもなく、ただ事実を述べている。百年という時間が、感情を透明に磨き上げてしまったのだろう。
「ハロルドも、その十二名の一人だ」
ハロルドが部屋の隅で腕を組んでいる。何も言わない。言えないのだろう。
殿下が膝をつく。見えない相手に向かって。
「マルガレータ様。——申し訳ない」
「あなたが謝ることではないわ」
「だが、俺は王家の人間だ。百年間嘘をついてきた王家の」
「あなたは嘘をついていない。知らなかっただけ」
「知らなかったことは罪ではないのか」
「知った後にどうするかが大事なのよ」
マルガレータの声が、殿下に届く。殿下の肩が震えている。
「俺に——何ができる」
「記録を正して。私が病死ではなく殺されたこと。ヴィルヘルムの王位が正当な継承ではなかったこと。騎士たちが脱走したのではなく殺されたこと。事実を、事実として残して」
「それで——国が揺れるかもしれない」
「揺れるでしょうね。でも——嘘の上に立つ国は、もっと脆いわ」
殿下が顔を上げる。見えていないのに、マルガレータの方を真っ直ぐ見ている。
「……やる。記録を正す。王家の歴史を——書き直す」
その声には迷いがない。昨日の庭園で崩れかけていた人とは別人のような、硬い覚悟。
マルガレータが——笑う。
泣きながら笑う。百年分の孤独が、ほんの少しだけ溶けていくのが見えた。
「ありがとう。百年間、この言葉を待っていたの」
死者は嘘をつかない。
嘘をつく必要がないから。守るものがないから。失うものがないから。だから、死者の言葉は生者の嘘を暴く。
生者は嘘をつく。守るために。でも、嘘を正す勇気もまた、生者にしか持てない。
クリストフ殿下が立ち上がる。
「リーゼロッテ嬢」
「はい」
「——感謝する。お前がいなければ、俺は一生この嘘の上に立ち続けるところだった」
断罪した相手に感謝する殿下。皮肉なものだ。でも、不快じゃない。
「殿下。まだ終わっていませんわ」
「ああ。ハロルドの未練と、もう一人——エリーゼという侍女の話があるのだったな」
「はい。そちらも必ず」
殿下が部屋を出て行く。
マルガレータの手が、ふわりと宙に伸びる。殿下の背中に——届かない手を伸ばすように。
「いい子ね、あの子」
「殿下がですか」
「ええ。ヴィルヘルムとは違う。あの子なら——この国を、本当の意味で守れるわ」
王妃の言葉が、白百合の香りとともに部屋に残る。
嘘は暴かれた。
次は——百年越しの想いを、届ける番だ。




