第25話「生者の嘘」
クリストフ殿下を呼び出したのは、王宮の庭園だった。
密室で伝えるには重すぎる話だと思ったから。空の下の方がいい。逃げ場がある方がいい——殿下にとっても、私にとっても。
「それで、幽霊の正体が分かったと」
「はい」
殿下は噴水の縁に腰を下ろしている。午前の陽射しが水面に反射して、殿下の顔に揺れる光の模様を描いている。
「百年前の王妃、マルガレータ・ド・リヒト様の霊です」
「王妃? 百年前の?」
「はい。そして——マルガレータ様は、病死ではありませんでした」
殿下の眉がぴくりと動く。
「どういう意味だ」
「毒殺です。百年前の政変で、強硬派によって暗殺されました。正当な王位継承は妨げられ、クーデターの首謀者であるヴィルヘルム殿下が王位についた」
言い終わる前に、殿下の顔色が変わる。
白い。唇から血の気が引いて、噴水の縁を掴む手の指が白くなっている。
「何を言っている」
「マルガレータ様から直接伺いました」
「幽霊の言うことを鵜呑みにするのか。百年前の話だぞ。証拠は」
「教会の書庫に当時の記録が残っています。政変前後の騎士団名簿、侍従長の異動記録、王妃の死亡届と検死記録の不一致。アルヴィンが照合しました」
殿下の口が開いて、閉じる。
開いて、また閉じる。
何か言いたいのに、言葉が見つからないのだろう。その気持ちは分かる。自分の祖先が——自分の血筋の正当性が——百年間の嘘の上に立っていたと知らされて、すぐに受け入れられるはずがない。
「嘘だ」
殿下が立ち上がる。
「百年間、嘘をついていたのか。我が王家が」
「殿下——」
「父上も祖父も、この国の歴史も、全て——」
声が裏返る。殿下の拳が震えている。怒りなのか、混乱なのか、悲しみなのか。たぶん全部だ。全部が一度に押し寄せている。
「嘘だ。認めるわけにはいかない」
「殿下」
「お前に何が分かる! 断罪した令嬢が——幽霊が見えるなどと言い出した令嬢に、王家の歴史を否定されて、はいそうですかと——」
殿下の声が途切れる。
噴水の水が跳ねている。鳥が鳴いている。庭園の花が風に揺れている。世界はいつも通りなのに、殿下の足元だけが崩れかけているように見えた。
「……本当なのか」
声が小さくなる。
「本当にマルガレータは——暗殺されたのか」
「はい」
「百年前の王位継承は——クーデターだったのか」
「はい」
「俺の祖先は——正当な王ではないのか」
三つ目の問いに、私は答えられなかった。
正当かどうかは、私が決めることじゃない。百年の歴史を裁く力は私にはない。でも、事実は事実として——マルガレータ様が語った通りだ。
「殿下。私は歴史を裁きに来たのではありません」
「なら何をしに来た」
「マルガレータ様の未練を解くために来ました。王妃様が望んでいるのは復讐ではなく、嘘が正されること。事実が事実として記録されること」
殿下が私を見る。断罪の日とは違う目。あの時は高圧的で冷たかった瞳が、今は揺れている。
「……記録を正す。それだけで、幽霊は消えるのか」
「分かりません。でも、マルガレータ様はそう望んでいます」
殿下が噴水の縁に座り直す。両手で顔を覆う。
その姿を見ていたら——不思議と、殿下のことが少しだけ分かった気がした。
この人はずっと「正しい王族」でいようとしてきたのだ。断罪だってそうだ。悪役令嬢を裁くことが正義だと信じて、王族としての義務を果たそうとした。その正義の土台が——百年間の嘘だったと知らされて。
「殿下」
「……何だ」
「マルガレータ様は、あなたを恨んでいませんでした。あなたの代で嘘が暴かれたことは、むしろ——」
「慰めはいらない」
殿下が手を下ろす。目が赤い。泣いてはいないけれど、泣く寸前を必死に堪えている顔。
「慰めはいらないが——その幽霊に、会わせろ」
「え」
「マルガレータに会う。直接話を聞く。それが俺の義務だ」
見えないのに。声しか聞こえないのに。それでも会うと言う殿下の目には、王族としての覚悟がある。嘘の上に立っていたとしても、今ここで逃げないという覚悟が。
「……分かりました。明日、旧妃居室にご案内します」
「ああ」
立ち去る殿下の背中が、来た時よりほんの少しだけ小さく見えた。
一人になった庭園で、噴水の音を聞く。水の冷たい飛沫が頬にかかる。
生者は嘘をつく。
自分を守るために、国を守るために、歴史を守るために。
でも死者は——百年経っても、真実を語り続ける。
どちらが正しいのか、私には分からない。分からないけれど、嘘を聞くより真実を聞く方が、よほどましだ。
たとえそれが、怖い話であっても。




