第24話「祓うのではなく」
教会の書庫は、黴と古紙の匂いに満ちている。
アルヴィンが棚の奥から引っ張り出した地図は、羊皮紙が変色して端がぼろぼろに崩れかけていた。指先で慎重に広げると、百年前の王都の輪郭が現れる。
「ここだ。北門の橋。その下に——」
「礼拝堂、ありますわね」
地図の上に小さく描かれた十字架の印。「聖リュシエンヌ礼拝堂」と、かすれた文字で添えられている。
「今は存在しない。橋の拡張工事で取り壊されたという記録がある」
「取り壊された……」
「だが、地下部分は残っている可能性がある。礼拝堂の地下は墓所として使われていた」
墓所。地下。百年前の。
「怖いですね」
「怖いな」
「……アルヴィン、あなたが怖いって言うのは珍しいですわね」
「怖いのは地下墓所じゃない」
アルヴィンが地図から目を上げる。銀色の瞳が真っ直ぐこちらを見ている。
「俺がこれまで祓ってきた霊のことを考えると——怖くなる」
「どういう意味ですか」
「マルガレータ様、ハロルド、エリーゼ。三人の未練は絡み合っている。百年前の真実が語られ、想いが届き、嘘が正されて——初めて成仏できる」
アルヴィンの声が、珍しく揺れる。
「俺はこれまで、幽霊を祓うのが仕事だと思っていた。聖水をかけ、祝詞を唱え、力ずくで追い出す。それが祓魔師の務めだと」
「……ええ」
「でもお前のやり方を見ていて気づいた。俺が祓ってきた霊の中に——話を聞いてほしかっただけの者が、どれだけいたんだろうと」
声が止まる。
アルヴィンの手が、腰の聖水瓶に触れる。何百回と幽霊を祓ってきた手。その手が、わずかに震えていた。
「お前が怖がりながらも幽霊の話を聞くのを見て、俺は——」
「アルヴィン」
「最初は馬鹿げていると思った。幽霊は祓うべき存在で、対話する相手じゃないと。でも——」
地図の上に、アルヴィンの影が落ちる。書庫の小さな窓から差し込む光が、銀髪を柔らかく照らしている。
「パン屋のおばさんの幽霊。あの人が成仏した時の顔を覚えているか」
「……ええ。笑っていましたわ。レシピが孫に届いたと分かって」
「あれは祓った結果じゃない。未練を解いた結果だ。俺が聖水を百リットルかけても、あの笑顔は引き出せなかった」
アルヴィンが聖水瓶から手を離す。
「未練を解いてやることが、本当の弔いなんだろう」
その言葉を聞いて、私は——。
何て言えばいいか分からなかった。
アルヴィンがずっと抱えてきたもの。祓魔師として幽霊を力で追い出し続けてきた年月。その中で見てきた幽霊たちの顔。もしかしたら、話を聞いてほしかっただけなのかもしれない人たちの顔。
それを今、認めようとしている。
「アルヴィン、あなたは——」
「間違っていた。俺のやり方は」
「違います」
思わず声が大きくなって、書庫に響いた。
「間違ってなんかいません。あなたが祓ってきた幽霊の中には、本当に危険なものもあったはずです。あなたのおかげで助かった人がたくさんいる」
「だが——」
「でも、これからは選べるんです。祓うか、送るか。その判断ができるのは、両方を知っているあなただけですわ」
アルヴィンが目を見開く。
「……お前は時々、本当に——」
「本当に?」
「いや、何でもない」
何なのよ。言いかけてやめないでほしい。気になるじゃない。
ハロルドが書庫の入り口から顔を覗かせる。
「おい祓魔師、口説くなら後にしろ。地図は見つかったのか」
「口説いてない」
「口説いてません」
同時に否定してしまい、ハロルドがにやりと笑う。幽霊のくせにこういう時だけ鋭い。
「で、礼拝堂は?」
「地下部分が残っている可能性がある。明日、現地を確認しよう」
「頼む。エリーゼが——もしそこにいるなら」
ハロルドの声が、また少しかすれる。でも昨日のように涙は見せない。代わりに、覚悟を決めた騎士の顔をしている。
「俺も、祓ってもらうんじゃなく——送ってもらうことにするよ。未練を解いて」
「ハロルド——」
「嬢ちゃんに出会って、俺は運が良かった。話を聞いてくれる人間がいるってのは、幽霊にとっちゃ奇跡みたいなもんだからな」
泣きそうになる。泣きたくない。泣いたらハロルドが「鼻が赤いぞ」って茶化すから。
「……奇跡なんかじゃありません。私はただ怖がりながら話を聞いているだけです」
「それでいいんだよ。怖がりながらでも聞いてくれる。それが嬉しいんだ」
書庫の埃っぽい空気の中で、黴臭い羊皮紙の上で、百年前の地図を囲んで。
祓魔師が「送る」ことを学び、騎士が「送られる」ことを受け入れ、怖がりの令嬢が鼻をすすっている。
滑稽な光景だ。でも、嫌じゃない。
「明日、北門の橋に行きましょう」
声が震えないように、背筋を伸ばす。
「エリーゼさんを、見つけに」




