第22話「侍女と騎士」
翌日、王宮の旧妃居室に戻る。
マルガレータは昨日と同じ場所に立っていた。百年間、きっとずっとここにいたのだろう。窓辺に佇む姿が、肖像画のように動かない。
「おはよう、リーゼロッテ」
「おはようございます、マルガレータ様」
幽霊に挨拶する日常。前世の私が聞いたら卒倒する。
「今日はハロルドと一緒なのね」
マルガレータの視線が、私の隣に立つハロルドに向けられる。昨日は険しかった顔が、今日は覚悟を決めたような静かな表情に変わっている。
「王妃殿下。いや、マルガレータ様。昨日の話の続きを——俺からも聞かせてほしい」
「あなたも、あの夜のことを覚えているのね」
「忘れられるわけがない」
ハロルドの声が低い。いつもの陽気さはどこにもない。
「あの夜、俺は——エリーゼを探していた」
エリーゼ。
ハロルドが何度か口にした名前。百年前の恋人。騎士であるハロルドが想いを伝えられなかった人。
「エリーゼ・ヴァイス。私の侍女よ」
マルガレータが言い、空気が凍る。
「え」
「あなたの恋人でしょう、ハロルド。エリーゼはいつも言っていたわ。『騎士団に不器用な人がいるんです。目が合うと逸らすんです。面白い方なの』って」
ハロルドが固まっている。幽霊なのに、顔が赤くなっている気がする。いや、幽霊って赤くなれるの?
「エリーゼが……お前の侍女だったのか」
「ええ。一番の信頼を置いていた子よ。だから——」
マルガレータの声が、ほんの一瞬だけ途切れる。
「あの夜、エリーゼは私を守ろうとしてくれたの」
部屋の温度が下がった。肌の表面に鳥肌が立つ。
「毒が盛られたことに最初に気づいたのは、エリーゼだった。ワインの色がおかしいと。でも、間に合わなかった。私が口をつけた後だった」
「それで——」
「エリーゼは犯人を突き止めようとした。強硬派の侍従長が毒を仕込んだと証拠を掴んで、国王陛下に訴えようとした。でも、強硬派の方が早かった」
マルガレータの目が閉じる。
「エリーゼは、口封じに殺されたわ」
息を呑む音は、たぶん私のものだ。
ハロルドは——声が出ないようだった。口が動いているのに、何も聞こえない。
「エリーゼ」
ようやく出た声が、かすれている。
「お前も——ここにいたのか」
その問いかけは、マルガレータに向けたものじゃない。部屋の中に、エリーゼの霊を探しているのだ。百年前に殺された恋人が、同じ王宮のどこかにいるかもしれないと。
「エリーゼの魂は、もうここにはいないの」
マルガレータが首を横に振る。
「口封じの夜、エリーゼは王宮から連れ出された。城の外で——だから、エリーゼの魂があるとすれば、この王宮ではなく」
「城の外……」
ハロルドの拳が震えている。
「俺は、あの夜。王妃殿下が倒れたと聞いて駆けつけた。でもエリーゼの姿がなかった。探した。城中を走り回って探した。でも見つからなくて——」
声が途切れる。
「翌朝、俺は城の外で——」
ハロルドが天井を仰ぐ。
「エリーゼを探しに城の外に出た。そこで強硬派の兵士に見つかって、斬られた。王妃派の騎士は排除しろという命令が出ていたんだ」
……全部、繋がる。
百年前、王妃マルガレータが毒殺された。侍女エリーゼがそれに気づき、真実を暴こうとして殺された。騎士ハロルドはエリーゼを探して城を出て、殺された。
三人とも、あの夜に死んでいる。
「ハロルド」
名前を呼ぶのが精一杯で、その先が出てこない。何て言えばいいのか分からない。
「嬢ちゃん、泣くなよ」
「泣いてません」
「嘘つけ。鼻が赤いぞ」
「風邪です」
「幽霊に風邪はうつらないから安心しろ」
安心できるかそんなの。
でも、ハロルドがいつもの調子で軽口を叩いてくれたことで、止まりかけていた呼吸が再開する。
「マルガレータ様」
アルヴィンが口を開く。部屋の隅で腕を組んだまま一部始終を聞いていた彼の声は、落ち着いている。
「百年前の真実を、今の王家に伝えることは可能です。ただし、その結果何が起きるかは保証できない」
「分かっているわ。国が揺れるかもしれない。でもね、祓魔師さん」
マルガレータが微笑む。百年間磨かれ続けた、透明な微笑み。
「嘘の上に建った平和は、いつか必ず崩れるのよ」
その言葉の重さに、誰も反論できなかった。
帰り道、ハロルドは一言も喋らない。
いつもは隣でべらべら世話を焼くくせに、今日はただ私の後ろを歩いている。百年前の恋人の最期を知って、何を思っているのだろう。
「ハロルド」
「ん?」
「エリーゼさんのこと、ちゃんと見つけましょうね」
ハロルドが足を止める。
振り返ると——泣いていた。幽霊が泣くなんて知らなかった。透明な涙が、透明な頬を伝って消えていく。
「……ああ。頼む」
百年越しの涙を見て、私は決めた。
この物語を、最後まで聞く。




