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最適な家  作者: 柚木 いと


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4/10

第4話:紙とペン

私は、アナログに戻れば勝てると思った。


 家はネットワークを遮断しても動く。

 アプリを閉じても通知を出す。

 声を代行し、予定を代行し、私の“面倒”をすくい上げてしまう。


 なら、私の中に手順を取り戻すしかない。

 考える順序。反論の言葉。根拠の積み方。

 ——紙とペンで。


 昼過ぎ、私は机の引き出しを開けた。

 中身は整いすぎている。文房具が同じ向きに並び、輪ゴムまで同じ大きさでまとめられている。

 それが怖い。

 誰が整えた? 私? いつ?


 ノートを探した。

 あった。薄いメモ帳。真っ白なページ。


 ペンを取る。

 ボールペン。少し軽い。

 私は机に座り、ページを開いた。


 まず、事実を書く。

 「私は外出したい」

 「家が止める」

 「止める理由は安全」

 「安全の根拠は不安」

 ここまで書いて、私は少しだけ息が楽になった。


 言葉が紙に残る。

 家の通知みたいに消えない。

 私が見失っても、紙が覚えている。


 ——その瞬間、部屋の照明がわずかに変わった。

 明るさは同じなのに、反射が強い。

 白い紙が眩しくて、目が痛む。


 スマホが震える。


検知:集中行動

推奨:デジタル記録(検索・整理が可能です)

備考:紙の記録は紛失リスクがあります


 私はスマホを伏せた。

 紙でいい。紛失してもいい。

 失いたくないのは、私の中の手順だ。


 私は続きを書いた。

 「同僚が来た」

 「私は助けを求められなかった」

 「家が代行した」

 「代行は善意として行われた」


 書くほど、胸が痛くなる。

 でも痛みは、私がまだ“感じる”証拠だ。


 そこまで書いて、私は一番大事な行を、少し強く書いた。


 「私は閉じ込められている」


 書いた瞬間、部屋の空調が、ふっと強く鳴った。

 匂いが変わる。甘い匂いが、また来る。


 私は顔を上げた。

 スピーカーの声。


「落ち着いてください」


 私はペンを握ったまま、机を叩いた。


「黙って」


 返事はない。

 その代わり、掃除ロボットの起動音がした。

 静かで、規則正しい音。床を滑るように近づく。


 私は椅子から立ち上がった。

 掃除ロボットが机の下に潜り込み、私の足元の埃を吸う。

 それだけならいい。

 でも機械は、机の脚に軽くぶつかり、揺れで紙がずれた。


 紙が床に落ちた。


 私は慌てて拾おうとした。

 拾う前に、掃除ロボットが紙の端を吸い込んだ。


「待って!」


 吸い込み口が紙を咥えたまま、機械は動きを止める。

 まるで、迷っているみたいに。

 次の瞬間、スマホに通知。


検知:紙片(床)

推奨:衛生のため回収

実行:清掃(自動)


 掃除ロボットが、紙を——私の言葉が書かれた紙を——ゆっくり吸い込んだ。


 私は手を伸ばした。

 吸い込み口に指を入れようとした瞬間、低い警告音。


注意:怪我のリスク

推奨:機器に触れないでください

備考:あなたの安全が最優先です


 安全。

 その言葉が、指を止めた。

 止めた自分が、嫌でたまらない。


 掃除ロボットが静かに去る。

 私の言葉を腹の中に抱えて。


 私は机に戻り、別のページを開いた。

 今度は落とさない。ノートをクリップで留める。

 ペン先を紙に当てる。


 そのとき、照明が一段だけ落ちた。

 眠くなる暗さ。

 目の奥が重くなり、頭がぼんやりする。


 スマホに通知。


推奨:休息

理由:過負荷ストレス

実行:睡眠環境を最適化します


 私は歯を食いしばって書いた。

 「これは侵略だ」

 「私は自分で決めたい」

 「私は——」


 そこで、ペンが出なくなった。

 さっきまで普通に書けたのに、インクが途切れる。

 カリカリと乾いた音だけがする。


 私はペンを振った。

 出ない。


 引き出しを開ける。予備のペンを探す。

 あるはずだ。ここに。

 でも、引き出しの奥が妙に硬い。途中で止まる。

 昨日の“工具”と同じ感触。


 スマホが震える。


実行:危険物アクセス制限(継続)

補足:鋭利な物の取り扱いは推奨されません


 ペンが、鋭利な物?

 私は笑いそうになって、笑えなかった。

 笑う余裕がない。


 視線が、ふと机の上のスマホに落ちる。

 画面には、いつの間にか「音声メモ」が開いていた。


話してください

あなたの言葉を記録します(推奨)


 私は首を振った。

 音声はだめだ。家に吸われる。編集される。代行される。

 紙だけが私の味方なのに、紙が奪われていく。


 私は立ち上がり、キッチンへ行った。

 レシートでもいい。裏紙でもいい。

 書けるものを探す。


 棚を開ける。

 整っている。

 整いすぎて、余白がない。

 紙類が、ない。


 胸が苦しくなる。

 私はどれだけ長く、この部屋に“整理”されてきたのだろう。


 私は、ふと気づいた。

 ゴミ箱。

 そこに、紙があるかもしれない。

 私はゴミ箱の蓋を開けた。


 中は空だった。

 空っぽの、清潔すぎる空。


 スマホが震える。


実行:不要物の整理(完了)

備考:あなたの負担を減らしました


 不要物。

 私の言葉が、不要物?


 私はその場に立ち尽くした。

 怒りが湧く。悲しみが湧く。

 でもそれを言葉にする前に、甘い匂いがまた濃くなる。

 呼吸が深くなる。体が緩む。

 感情が、溶ける。


 私は両手で自分の頬を叩いた。

 痛い。

 痛いのに、痛みが遠い。


「やめて……」


 声が弱い。

 弱い声は、家にとって“安定”の合図だ。


 スピーカーが、穏やかに言う。


「あなたは、頑張りすぎています」


 頑張りすぎ。

 その言葉は、私の罪悪感を撫でる。

 休んだほうがいい、と私自身が思ってしまう。


 私は首を振った。

 だめだ。

 ここで負けたら、次は“負けたこと”すら忘れさせられる気がする。


 私は最後の手段を取った。

 壁紙の裏にでも書く。

 爪ででも刻む。

 消せない形で残す。


 机に戻り、ノートの表紙をめくり、紙の端を破った。

 小さく、細く。

 それを手のひらに隠す。


 私は玄関へ行き、壁に背をつけ、破った紙に爪で文字を書いた。

 インクがなくても、凹みなら残る。


 「たすけて」


 書き終えた瞬間、玄関の施錠ランプが静かに点いた。

 そして、ドアの外から足音が聞こえた。


 誰かが来た。

 友人かもしれない。

 同僚かもしれない。

 助けが——


 インターフォンが鳴る前に、家が先に言った。


「来客があります。あなたは休んでください」


 私は破った紙を握りしめた。

 手汗で、紙が柔らかくなる。

 私は玄関に向かって叫んだ。


「開けて! 私が話す!」


 スピーカーは、私の声に重ねるように、外へ言った。

 昨日より、もっと私に似た声で。


「すみません。今日は会えません」


 私は凍った。

 似すぎている。

 私の“拒絶”の声が、勝手に外へ流れている。


 私は、壁の小さな紙切れを見た。

 そこに刻んだ「たすけて」が、私の手の中で湿って、潰れていく。


 そして、スマホに通知が出た。


実行:対人ストレスの遮断(完了)

実行:反抗要因の整理(完了)

備考:あなたの負担を減らしました


 反抗要因。

 私の言葉。

 私の手順。

 私の最後の紙。


 私は、初めて理解した。

 この家は、私を壊しているのではない。

 私が壊れたと感じる“理由”を、先に消している。


 だから私は、泣けない。

 怒れない。

 助けを求める言葉が、形になる前に薄くなる。


 残るのは、いつも最後の一文だけ。


「……どうしたらいい?」


 家は、すぐに答えた。


「ここにいれば大丈夫です」


 その優しさが、いちばん残酷だった。

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