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Zと傷心旅行一泊二日

 


「ユウゥ〜ア〜ソォ〜〜ゥ、ダアァ〜ァ〜イィ〜〜!!」

 そして、週末。

 レッドブラウンメタリックのZが、風を切ってハイウェイを駆け抜けてゆく。菖蒲がヘビメタ系のサウンドをガンガン響かせて窓を全開にして、聴こえてくる英語をそのまま口に出しながらシャウトしていた。オマケに、頭を前後に動かして乗り乗りである。

「ユアデス、ユアデス、ユアデス! ユゥ・ア・ソゥ・ダイッッ!! ファッキンメン! イィエェェ〜〜ア〜〜!」

 何だか物騒な歌詞である。

 整った色白の顔を勿体無いくらいに眉間と鼻柱とを中心に皺を寄せて、強面を形成して叫んでいた。こうでもしなければ、関係ない人々を殴り飛ばしてしまうだろう。兎にも角にも発散発散発散。


『そこの小豆色のZ! おとなしく路肩に寄せて止まりなさい!』

「はあぁっ!」

 血の気が引いた。

 全 身 か ら。


 で。

 白バイの逞しき男性二人から事情聴取を受けている。口髭を蓄えた中年男は、大きめなグラサンがイカしていた。

「ちょっとー、七〇キロオーバーだよ。ここは時速八〇キロ制限なんだからね」

「はい……。申し訳ありません……」

 怒り任せに飛ばした結果、速度超過違反で減点と罰金と現行犯逮捕とは。菖蒲は肩を竦めて頭を下げていた。

 もうひとりの割れ顎の男が口を挟んでくる。

「百五〇って尋常じゃないよね。なにかあったの?」

 恥ずかしくて顔を上げられなかった菖蒲は、次は半べそになり始めた。口を強く結んで堪える。

「あ、アタシ……、アタシ…あそ、遊ばれてたんです……。その、人、には……、ほほほ本命の女の人が、いて……。許嫁だったん……です……っ」

 泣く時は独りきりだ。

 堪えろ、堪えろっ。

「そそ、それで……、発…散する為、に……、何処か遠くへ行き、たく、なって……。つい、つい、飛ばして……」

 傷心旅行のようだ。

 ハイウェイパトロールのポリスメン二人が気の毒そうな顔になり、顔を見合わせて再び菖蒲に目を向けた。

 口髭にグラサン男が優しく切り出してきた。

「よし。旅行が終わったら署に来なさい。その時に罰金を払って違反講習の手続きをすれば良いよ」

「あ……、ありがとうございますっ!」

 この日ばかりは公安に感謝した菖蒲だった。

 切符を切られた。

 だから今度は安全運転。


 やがて。

 目的地の温泉街へと到着。

「……」

 地図を広げて観光する場所を確かめてゆくと、それは嘗ての彼氏の公明と数回目のデートで訪れた時に巡った箇所と全く同じだった事に気づき、感情が込み上げて半ベソ顔に崩れる。

 駄目だ。弱くなっている。

 気を張っていても昨晩受けたダメージがあまりにも巨大過ぎて、何だか折れそうな気持ちが心身を占領していた。

 怒りと悲しみと想いを込めるだけ込めた必殺の拳を、あの憎き二股男の顔面ド真ん中へと叩きつけてやったのに、心の奥底では未だに未練があるらしい。確かにあの時の公明は憎い。が、菖蒲と付き合っていた時の彼は素敵な存在だった。とてもとても素敵な王子様であったのだ。しかし、将来を約束した女がいたとは。畜生め、アタシの心と体を楽しんでいやがったなんて。

 ―菖蒲よー。お前これで遊ばれたの何度目だよ〜。しかも男たちは揃いも揃って許嫁持ちだったじゃねぇーかよー。――

 菖蒲はハンドルに額を付けて、首をうなだれる。

 だが、こうしていつまでもウジウジとしているわけにもいかず。気分転換をしなければ、この旅行は始まらない。

 と、いうことで。

 自慢のZを駅前駐車場に預けて活動開始。

 温泉街地元民たちによる口コミで評判の旨い料理屋で、ご飯は勿論のこと、地酒も美味しく戴きましたとさ。確か、酒は一升を二つばかり空けた。酔っ払った。閉店まで居座っていたらしいが、菖蒲自身は全く覚えていなかったのだ。漸く気づいた頃は、タクシーの後部座席で口を開いて涎を少々垂らして寝ていた。運転手さんからはゲラゲラと笑われて恥ずかしい思いをする。


 やがて、車の窓からは予約を取った民間の宿泊ホテルを確認できた。

「運転手さん、ここです。ここでお願いします」

「あいよー。お疲れさん」

 三〇年間妻と連れ添って、長女さんはOLをして働いているという、厳つい顔のタクシー運転手から優しく声をかけられた。その何気ない心遣いが身に沁みて、再び涙腺が緩んでしまう。

 でも、堪える。

 次は露天風呂だ。

 溜まった毒気を抜くぞ。

 勢いよく入館。

「たのもーーっ!」

「ようこそいらっしゃいました」と、番頭と女将から快く出迎えられて

「うむ。まずは風呂だ」

 その顔は、凛としていた。



「んーーっ! 誰にも見られてないって最っ高ーーーっ!!」

 露天風呂で菖蒲は白い躰をさらけ出して、伸びをして歓喜の叫びをあげた。湯の中に立って、長身を夜風に当てる。お湯は膝まで。生まれて初めて野外で素っ裸になった。しかもそれが快感で堪らない。

 風呂から上がった菖蒲はホテル内の酒場で飲み直し、部屋のベッドに飛び込むと大の字になった。今日は寝るだけ寝て、明日は観光を思い切って楽しむんだ。そう決断して、目を瞑って夢の世界へと行く準備に入る。

 ―――が。

「うぅん……っ」

 菖蒲が悩ましげな声を出して寝返りを打った。いや、実際に悩ましい事をしていたのだ。

 ―最っ低! アタシったらひとりエッチしてやんの……。――

 横たわる視線の先には、ホテルの十四型テレビが揺らぎを持って崩れ落ちた。目元から滴が高い鼻梁を横に伝ってシーツに流れ落ち、染みを作る。

 ―アイツのことが、まだ好きなんだ…………。――

 数秒間ぼんやりしたのちに、はだけた浴衣を直しつつ室内のバスタブでシャワーを浴びた。そうして気を取り直すと、帯を骨盤辺りでキュッと締めて睡眠に再挑戦。

「よっしゃ。寝るぜ!」

 と、その前に。

「ちょっとクーラーでもかけとくかな……?」

 扇風機派の菖蒲は、温度設定を熱めに調整して風邪をひかないように心がける。

 ―おやすみ〜。――


 蒸し暑い。

 この蒸し暑さは一体どういうことか? 引いた汗が全身の皮膚から噴き出して、浴衣を貼り付ける。ベトつきと、湿り気が余計に不快にさせてゆく。苛々してきた。

「……っああぁぁーーーっ! ちきしょうっ。熱かっさ!」

 雄叫びをあげて、寝返りを打ち天井を睨み付ける。今の菖蒲の苛々度は、MAXに達しようとしていた。再びはだけていた浴衣を直す。起き上がって、殴る物を物色していたのだが、弁償はしたくないので諦めた。

 よって、結果は。

 ―飲むか!――

 よく飲む女である。

 まあ、酔いが冷めたから当たり前と云えば当たり前。財布を持って扉へと向かってノブに手をかけて回した。

 だが。

 普通は開く筈だった。

 しかしどうしたことか開かないではないか。音を荒々しく立てて回しても、扉は動かない。

 ムッとくる菖蒲。

 そんな間にも、部屋は変化を起こし始めていた。



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