またかよ
オトナの女が主人公の失恋旅行のお話しです。
大城菖蒲。二八歳、独身。
百七〇センチを越える身長に見合うスレンダーな体型に、艶やかな黒髪を腰まで持つ美貌の女。
週末を彼氏の家ですごそうと喜び勇んで足早に賃貸住宅へとマイカーのレッドブラウン系メタリックのZ(ボンネットの長い型)を走らせた。狭い駐車場に早々とバックで滑らせてゆき、入れ込んだ。助手席から少々の野菜と鯵を一尾取って、足早に鉄の階段を駆け上っていく。そして、扉の前に着いた時だった。
何やら楽しげな声が。
しかも彼氏ひとりだけではなくて、女の声まで混ざって聞こえてくるではないか。
これは一体、どういうこと?
相手側を無理矢理に身内と考えても、このいちゃつき具合はなに? このまま放って置いたらベッドイン確実じゃないの? てか、アタシとベッドに行く前の段階もこんないちゃつき方をしていたよね。
「公明ー、入るよー」
兎に角、踏み切ってノックをして入ってみた。
すると。
フローリングの居間のソファーには彼氏と、跨って馬乗りをしていた見知らぬ女がひとり。その上、なかなかの美人ときている。
―あーー。同じじゃんよ。――
ベッドに行く前と。
アタシと居る時と寸分違わず同じことをしている。
ボーっとして見ていたら、彼氏―――つまり公明が菖蒲の存在にようやく気付いたようで、ハッとした顔をした。対照的に、公明の上に乗っかっている女の顔は至極冷静である。ただ者ではない。
馬乗りされたまま菖蒲に顔を向けて、公明は頬を引きつらせて言葉を出していく。
「あ、菖蒲っ! いいいつの間に来ていたんだ!」
「いちゃついていりゃあーノックも聞こえないでしょーよー」
沸々とくる怒り。
青筋を額に浮かばせる。
言い訳できねーぞ。
拳に力が加わってゆく。
「……。その人は誰?」―姉だの妹だの従姉妹だのと云うんじゃあるめぇーな?――
その質問の答えは、違う側から返ってきた。
「婚約者……、いいえ。もっと云ったら私は公明さんの許嫁」
馬乗りの女が菖蒲を見て自己紹介を始めていく。そして、その姿勢から躰を倒してゆくと公明の上に重なって男の胸板に頬を寄せる。震えをみせる菖蒲を挑発するかのように、その女は余裕の笑みを浮かべて言葉を出していった。
「寺田屋咲子です、よろしくね。大城 菖蒲さん」
数秒間の沈黙。
「お、おやまあー。こんなに大事な方が居たとも知らずに私ったら二股かけても平然としている駄目野郎なんかに浮かれていたなんて」
出るわ出るわ。
毒が出てくる。
ムッと来た公明。
「なんだと……」
「公明さんの何処が駄目野郎なんですかっ」
と、思ったら咲子から遮られた。馬乗りを解いて床に降りると、菖蒲に向き合う。咲子も長身で細身。トレーナーとジーパンというラフな組合せがスタイルの良さを強調している。真っ直ぐと菖蒲を睨み付けるその瞳は、芯から公明を信じていた。
そんな咲子に菖蒲は負けじと靴を荒々しく脱ぎ捨てて、床をドスドスと踏みつけて進んでゆく。そして、ソファーの前まで来ると、先ず咲子を睨んだ次は公明に力強く視線を向けた。息を思いっ切り吸い込んで、彼氏に言葉を突き刺す。
「ああ、そうさ。アンタは馬鹿野郎さ! そしてそんな男に熱を上げていたアタシも馬鹿女さ!」
その言葉に反応して、公明はようやくソファーから立ち上がって目をつり上げて菖蒲を睨む。言い返そうかとして口を開いた瞬間、白いブラウスにジーパンの女―――つまりは菖蒲から先手を打たれてしまう。
「なんや! 文句あっとか!」
長崎弁の一刺し。
「今の今までアンタば好いとったけど、もう、よか! これではっきりしたばい!」
菖蒲の視界に写る公明の顔が揺らぎを持ってくる。しかし、ここで泣くわけにはいかない。そして、菖蒲は腕を真正面に力強く突き出して、公明の顔を目掛けて指差した。
「アンタとはおしまいよ! もうアタシに電話やメールばやんなっ」
「おいっ! 一方的もいい加減にしろっ。俺にだって言い分がある!」
「やかーしか《喧しい》!!」
菖蒲が踏み込んで放った拳が、反論を始めた公明の顔面へとめり込んだ。メチッと鼻柱の砕けた感触が菖蒲の拳に伝わる。男は赤い飛沫を鼻の孔から吹き上げて、天井を仰ぎながらソファーごと後転。
そして、菖蒲は二人に背中を向けると、鉄扉を蹴飛ばして玄関から出て行った。
「あのような素敵な方がお遊び相手でしたの、公明さん」
暫く見詰めていた鉄扉から視線を外して、咲子が転倒している許嫁に手を差し伸べて話し掛ける。男は何だか気まずそうに「ああ、まあ」と答えた。
咲子はニコッと微笑んで
「詳しく聞かせてくださる?」
この三ヶ月後に、公明と咲子は籍を入れた。
(序章完結)




