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ボーイズアイドル殺人事件  作者: 貴堂水樹
終章 あるアイドルの旅立ち

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40/42

1.

 幕を下ろした事件の関係者と会うことを、成美はあまり好まなかった。成美の顔を見れば相手は嫌でも事件のことを思い出すだろうし、成美自身、いつまでも同じ事件のことを考え続けていたくなかった。

 けれど、今回はどうしても会っておきたい人がいた。アポなしで自宅を訪ねたが、運よく出会うことができた。

「すいません、相変わらずまともなものがお出しできなくて」

 三栗谷悠斗はひどく申し訳なさそうに成美の前に炭酸水の入ったグラスを差し出した。前回の訪問から二週間、物が少ないと感じていた部屋はさらに殺風景になっている。

 今岡灯真と深瀬岳、二年前に平良倫瑠を殺害した容疑で郡司(やす)ひろという男が逮捕され、一連の殺人事件は幕引きとなった。仁木魁星については、医療機関による懸命の救命措置もむなしく、搬送からおよそ二時間後に息を引き取った。訃報を耳にしたBillionのメンバーが泣き崩れる姿は、今でも成美の脳裏にはっきりと焼きついている。

 深瀬の供述どおり、平良倫瑠の遺体は白骨化した状態で埼玉県内の山中に埋められていた。蒸発した母親とは連絡が取れず、離婚した父親はすでに亡くなっていたため、今岡の希望を聞き入れ、平良の遺骨は成美が頃合いを見て休暇を取り、沖縄の海へ散骨しに行くことになった。費用は全額今岡が負担すると言った。

 成美は三栗谷に対してもてなしの礼を述べてから、本題に入った。

「オフィスブルーを退社されたそうですね」

 Billionの解散が報じられたのはつい二日前、深瀬と今岡が名古屋で逮捕されて五日後のことだ。残る三人――貴島慎平、依田瑛士、三栗谷悠斗の進退については言及されておらず、成美が三栗谷のオフィスブルー退社を知ったのは、事務所を通じてアポを取ろうとしたためだ。

「はい」

 三栗谷は清々しい笑みを浮かべて答えた。

「三人で話し合って決めたんです、一度リセットしようって。事務所を離れたのはおれだけだったけど、社長には猛反対されました」

「あなたが一番人気のあるメンバーだったと伺っています」

「みたいですね。実感は全然ないんですけど。だけどおれ、前から思ってたんです。おれはアイドルには向いてないなって」

 さっぱりした口調だった。二年間の活動を通して、なにか思うところがあったのだろう。成美が静かにうなずくと、三栗谷は穏やかな表情で語り始めた。

「アイドルである以上、ファンの求める姿であり続けなきゃいけない。売れ筋の曲を歌わなくちゃいけない。ドラマに出れば二枚目の役が当たり前で、好きな人を作ることも制限される。そういうことも含めてアイドル業を心から楽しめる人はもちろんいます。けど、おれにとってはすごく息苦しくて。メンバーのことが大切だったし、社長に拾ってもらった恩を少しでも返さなきゃって思ったからこれまでがんばってこられたけど、たぶん、心のどこかでずっと気づいてたんです。おれはアイドルになりたかったんじゃなくて、純粋に音楽を楽しみたかっただけなんだって」

 音楽を楽しむ。前回彼を訪ねてここへ来た時にもそう言っていた。歌うことと音楽が好きで、芸能の世界に興味を持ったのだと。

 始めてみることで、想像と違ったことにようやく気づくということは往々にしてある。成美にとっては子育てがそうだ。刑事の仕事をしながらでも、もっとうまく樹を育てていける自信がどこかにあったはずなのに、いざ両立を始めて見るとさっぱりうまくいかない。それが現実だった。できあがったのは、異常なほどよくできた息子と、異常なほどダメな母親が暮らすつましい家庭。どうしてこうなったのか、今でも理解に苦しむ。

 三栗谷は椅子の背にゆったりと上体を預けて話を続けた。

「だからやめたんです、事務所も、Billionも。言い方は悪いですけど、灯真くんがきっかけを作ってくれたんだって思ってます。今度みんなで面会に行こうって話もしてるんですよ。会ってもらえないかもしれないけど」

 今岡灯真はすっかりアイドルの顔を失っていた。生きながらにして死んでいるような目をして警察の取調べを受け、現在も同じような状態で裁判の準備に当たっている検事や弁護士と言葉を交わしているという。

 平良倫瑠と同じように、今岡にとってもBillionが唯一の希望だったのだ。束縛の激しい家庭からの脱出、生まれてはじめて自分で選んだ道、兄と慕った平良倫瑠と交わした約束。平良が無事に戻ってくることを信じて守り続けていたはずのBillionという居場所は、今岡を狂気へと駆り立てる存在へと変貌し、泡沫うたかたのように弾けて消えた。

 これでよかったのかもしれない。Billionは今や希望の象徴ではなくなってしまった。Billionが存続することで前に進むことができない者もいるだろう。一度リセットするという決断を下した三人の若者の強い意思を、成美は支持したいと思った。人生は何度だってやり直すことができるし、若い彼らの未来を応援する声はきっと多いはずだ。

 ただし、Billionの楽曲だけは負の遺産にならないことを切に願った。ライブ会場で見た彼らのパフォーマンスは人の心を確かにつかむ素晴らしいものだったし、前向きな想いが生み出す力に勝るものはないのだと改めて思い知らされた。彼らの美しい歌声が、これからも誰かを日々励ましていく財産であり続けてほしい。そう願わずにはいられなかった。

 Billionというグループ名は、十億人に愛される存在になれるようにという想いを込めてつけられた名前だという。多くのBillionのファンの記憶に、彼らの想いがいつまでも刻まれ続けますように。成美は心からそう祈った。

「事務所をおやめになって、この先はどうするおつもりなのですか」

 単純な興味で尋ねてみる。彼は音楽をやめてしまうのだろうか。

 三栗谷はやはり清々しい表情で答えた。

「しばらくは一人で音楽と向き合ってみようと思っています。以前から勉強はしていたんですけど、本格的に作曲活動を始めるつもりです。ゆくゆくはシンガーソングライターとしてやっていけたらいいなって」

「音楽はやめないんですね」

「やめられない、が正しいです。インディーズでも、路上アーティストでもいいから、歌うことだけは一生続けていこうと思ってます」

「あなたほどの実力があれば、引く手あまただと思いますが」

「おれなんてまだまだですよ。音楽を作ろうと思ったら、今のおれでは物事を、世間を知らなすぎる。なので、高校を休学して少し長めの旅に出ようと思ってるんです。旅先でいろんなことを吸収してから、本腰を入れて音楽活動を再開するつもりです。状況次第ですけど、もしかしたら高校はやめちゃうかも」

 旅に出るのか。どうりで部屋がスッキリしているはずだ。長く家を空ける予定か、あるいは引き払ってしまうつもりかもしれない。心身ともにリフレッシュするのはいいことだ。学業も、他にやりたいことがあるのなら無理にこだわる必要はないと思う。三栗谷の場合、樹が高校には行かないと言い出すのとはわけが違うのだから。

 三栗谷によれば、貴島慎平はかねてから憧れていたというミュージカル俳優の道へ進み、依田瑛士は事務所に残るが芸能活動を一時休止し、裏方の仕事に就くことも考えているという。三者三様の未来がそれぞれ明るいものになるよう、成美は改めて祈った。

「ありがとうございました」

 立ち上がり、成美は丁寧に頭を下げて礼を述べた。

「あなたの助言のおかげで事件は解決したようなものです」

「そんな。おれはなにも」

「微力ながら、あなたの今後の活動を応援させてください。明るい未来に進まれることを願っています」

「ありがとうございます、お気持ちだけ受け取っておきます。刑事さん、音楽には興味なさそうだから」

 見抜かれていたか。成美は苦笑した。ライブのリハーサルをつまらなそうに見ていた姿が印象に残っているのだろう。

「否定はしません。ですが、あなたの作った歌は聴いてみたいです。音楽のことはわからなくても、あなたの感性には興味がありますから」

 彼の目にはなにが映り、彼の耳にはなにが聞こえ、彼の肌はなにに触れ、なにを感じ取るのか。それを歌にした時、どんな世界が生まれるのか。勘の鋭い少年が作る歌は、どれほど多くの人の心を救うのか。

 音楽に還元された彼の感性、知性、光り輝く才能を、いつか必ず自分の五感で体験したい。その日が来ることを楽しみにしている自分に、成美は少し驚いた。

「どんな歌を作るんでしょうね、おれは」

 三栗谷は軽い調子で笑った。

「自分で作った楽曲を歌いたいなんて、結局おれは、青塚社長に憧れているだけなのかもしれません」

 ここで青塚遼太郎の名が出てくるのは意外だった。かつては自分で書いた歌をロックバンドで演奏していたというオフィスブルーの社長は、第一線を退いて何年も経った今でも、彼の才能に惹かれて集まる若者たちの目標であり続けているようだ。

 三栗谷だけでなく、青塚にももう一度だけ会っておきたいと考えていた。これが最後になることを互いに意識しながら挨拶を交わして三栗谷の自宅を辞し、成美はオフィスブルーを目指した。

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