3-2.
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「なに? なにが起きたの? ニッキーは? ねぇ、いっちゃん」
隣で梨里亜がパーカーの袖を引っ張ってくる。樹はそれを振り払うこともなく、二人で見ていたノートパソコンの画面を食い入るように見つめていた。
「母さんの言ったとおりになった」
画面には『ご視聴ありがとうございました』という表示とBillionの七人の静止画が映し出されている。梨里亜と見ていたBillionのライブの無料生放送は、今から二分ほど前に強制終了となった。本来ならあと一時間はライブが続き、そのすべてを見られる予定だったが、中断を余儀なくされるできことがステージ上で起こったのだ。メンバーの仁木魁星の体調が急変した。
「お母さんがなに? ねぇ、いっちゃんってば」
梨里亜がせっつくように尋ねてくる。詳しいことは樹も知らないし、母から聞いた捜査の話は他言無用、それが相野家のルールだから梨里亜には話せない。
わかっているのは、数日前、母が本堂刑事に電話で仁木魁星の身の安全を守るように指示を出していたこと。それが意味するところは、あの電話の時点で仁木魁星に危険が迫っていたということだ。そして今、恐れていた危険が現実のものとなった。仁木魁星の命が、何者かに奪われようとしている。
樹が黙りこくっているので、梨里亜はSNSに飛びついた。スマートフォンを握りしめ、ツイッターか、ネットニュースか、とにかく情報をつかもうとしているらしい。
樹の視線はなおパソコンの液晶に注がれている。二階にある梨里亜の部屋は扉が開け放たれていて――梨里亜の家に遊びに来る時の絶対条件だった――、隣の部屋でオンラインゲームをしていた梨里亜の弟が「なんかあったの」と顔を覗かせた。
生中継の映像が途絶える直前、ステージ上に母の影を見た気がした。ただの事故ではない。母の仕事は、殺人事件の犯人を捕まえることだ。
毒、だろうか。
記憶をたどるしかないが、画面の端で仁木が苦しみ出した時、刺されたり、首を絞められたりした様子は映っていなかったように思う。当たり前だ。ステージの上でそんなことをしたら自分が犯人だと大勢の人の前で宣言するようなものだ。バレないように仁木を襲おうと思ったら、ひそかに毒を盛るくらいしか方法はない。
ライブの最中に狙いを定めたのは、蝉川玲央が殺されたあと、警察の指示によって個々の行動が制限されたため近づくタイミングがなかったからだろう。特に仁木にはマネージャーが終日つきっきりになっていたはずだ。母がそう指示を出していた。
唯一ガードが甘くなるのは、多くのスタッフが入り乱れるライブ中だ。木を隠すなら森の中という言葉があるが、大勢の人の隙間に隠れていれば、あるいは殺人も犯しやすくなったりするのかもしれない。
問題は方法だ。犯人はどうやって仁木に毒を盛ったのか。
ライブ中に口にするもの。給水用のドリンク。出番がない時間になにか食べる人もいるかもしれない。二時間超のライブをこなせば途中で腹も減るだろう。オリンピック中継で見たカーリングの選手が作戦会議をしながらくだものなどで栄養補給をする場面を想像したが、あんな風に複数人で一つの皿を自由につまむような形での食事なら、仁木をピンポイントで狙って毒を盛ることは難しそうだ。
給水用のドリンクボトルはどうだろう。メンバー一人ひとりに個人用の飲み物が用意されているのか。たぶんそうだ。もしかしたらメンバーによって違う飲み物を飲んでいるのかもしれない。ミネラルウォーターを好む人がいれば、麦茶やスポーツドリンクがいいという人もいて当然だ。メンバーは六人――今は六人――もいるのだから。
だとするなら、仁木魁星専用のドリンクに毒を仕掛けることは可能だ。一方で、警察がドリンクボトルを疑うこともまた明白。ドリンクを準備する係が常時固定のライブスタッフで、ボトルが他の人間の手に渡ることがないとするなら、そのスタッフが一番に疑われることを犯人が望んだと考えていい。そして犯人は決して疑われない場所にいる。もちろんその場所とは、仁木が倒れたライブ会場のどこかだ。
「パニックになってるって、会場」
隣から梨里亜の声がした。彼女はまだスマートフォンを熱心に操作している。
「ニッキー、大喜利やってる時から顔色悪かったみたい」
「なんでわかるの」
「会場にいる子たちは基本的に推しを見てるからね。ニッキーが推しメンの子はニッキーばっかり見てるから、様子がおかしいことには早くから気づいてたみたいだよ」
ふぅん、と返事をしながら考える。毒が回り出したのはライブの最中、MCコーナーが始まってからのことだった。ライブの経過時間は一時間と少し。毒の種類にもよるけれど、やはり摂取したのはライブが始まってからという見方をするのが自然なように思える。
だが、なぜこのタイミングだったのか。仁木が口をつける飲み物などに毒を仕掛けたなら、もっと早く、なんならリハーサル中に摂取させることだってできたはずだ。ライブの観客が仁木に毒を盛ることは不可能なのだから、犯人がライブ関係者の中にいることなどわかりきっているのに、わざわざ客席を埋めたあとで仁木をステージ上で倒れさせ、騒ぎを大きくする必要はなかったのではないか。
それとも、逆なのか。
ステージ上で仁木を倒れさせ、騒ぎを大きくすることが目的だった?
「どうなっちゃうんだろう、Billion」
梨里亜がすっかり肩を落とした調子でつぶやいた。
「玲央みたいに、ニッキーも誰かに殺されたんだって言ってる人がいるの。そうかもしれないってわたしも思う。このまま活動を続けていたら、そのうちみんな……悠斗も……」
梨里亜の言うとおりだ。メンバーが二人、立て続けに命を狙われた。ただごとじゃない。犯人の狙いはBillionの七人全員かもしれない。梨里亜がファンだという三栗谷悠斗が次のターゲットである可能性も、今のところ否定できるだけの材料はない。
梨里亜が泣き出した。樹は彼女の頭をそっと撫で、背中をゆっくりとさすった。
どうして梨里亜の涙なんて見なくちゃいけないんだろう。今夜は二人でライブを楽しんで、笑顔で帰るはずだったのに。
悔しい。梨里亜のためにしてやれることはないのか。慰めるだけじゃきっと足りない。
悲しみの淵に立つ梨里亜を救いたい。
俺は、なにをすればいい?




