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ボーイズアイドル殺人事件  作者: 貴堂水樹
第三章 あるアイドルの告白

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28/42

2-1.

「じゃ、あとよろしく」

 いつものパンツスーツに赤いキャリーケースを引き、成美は自宅アパートの玄関で樹に出発を告げた。五月七日、土曜日。Billionの名古屋公演に今日から二日間同行する。

「あいよ。気をつけて。お土産よろしく。金のシャチホコね」

 生意気な。こちらは仕事で出かけるというのに。だいたい、金のシャチホコなんてどうやって買えというのだ。名古屋と言えばういろうかきしめんか八丁味噌だろう。味噌煮込みうどんのセットを買って帰れば少しは樹の料理の手間を省いてやれるかもしれない。

 結局土産のことを考えてしまっている自分に腹が立ち、成美は半ば八つ当たりで樹に言った。

「いい? くれぐれも梨里りりさんのご両親に」

「挨拶をする、迷惑をかけない、長居しない、だろ。わかってるって。しつこい」

 成美が二日間留守にするのをいいことに、樹は去年の秋から付き合っている梨里亜という恋人の自宅へ遊びに行く約束を取りつけていた。なんでも、今夜開催されるBillionのライブの無料生放送を二人で一緒に見たいのだという。当初は樹が梨里亜を自宅へ招待するつもりでいたようだが、さすがに中学生二人を親の目がない一つ屋根の下へ置いておくわけにはいかない。成美が断固として認めなかったので、樹が梨里亜の家に行くことになったというわけだ。

 挨拶に出向く時間はなく、樹に持たせる菓子折だけ用意した。なにかあったらすぐに連絡するようにとも伝えた。梨里亜の両親が目を光らせてくれるだろうからあまり心配はしていないけれど、思春期の中学生だ。なにが起きるかわからない。

「余計なこと考えるんじゃないよ」

「はいはい。わかってまーす」

 本当にわかっているのか。樹は今まで見たことがないほどふにゃふにゃの顔で「いってらっしゃい」と手を振ってくる。これっぽっちも信用ならないが、新幹線の時間が迫っている。

 成美は「いってきます」と樹に言い、家を出た。夜は必ず家に帰るという自分に課した約束も、今回ばかりはどうしたって守れそうになかった。近いようで、名古屋は遠い。

 東京駅からBillion一行と同じ新幹線に乗り、名古屋駅に着いてからは車でライブ会場まで向かうという行程になっていた。東京駅では無事に全員が時間どおりに集合し、移動中に悲劇が起きることもなかった。

 今夜、そして明日の公演会場は、かつては『レインボーホール』の愛称で親しまれた名古屋市総合体育館だ。二日間、全三公演の観客動員数は約三万人が予定され、今夜の無料生放送の視聴者を合わせれば、数十万人のファンが見守る音楽ライブになる見込みだという。

「楽しみだなぁ」

 およそ四千平方メートル、バスケットボールコートを三つ作れる広い会場で着々とステージリハーサルが進められる中、関係者席として二十席ほど確保されているスタンド席の一角で、本堂が誰よりも浮かれた顔をしてつぶやいた。今回の名古屋行きはオフィスブルー側からの要請もあったため正式な職務として認められはしたが、経費の都合もあり、出張を命じられたのは成美と本堂の二人だけだった。

「もうすぐここがお客さんでいっぱいになるんですよねぇ。僕、ライブ会場の雰囲気って大好きなんですよ。なんだか特別な感じがしませんか。別世界に来ているみたいな」

「あんたねぇ、自分がなにしにここへ来たのかちゃんとわかってる?」

「わかってます、わかってます。新たな事件が起きないように見張りに来たんですよね」

 全然わかっていないような口調だった。一発ぶん殴ってやりたいくらいヘラヘラしている。手を上げればやれパワハラだのなんだのと言われかねないからやらないけれど。

 容疑者は限られているものの、慌ただしいライブの最中に全員を監視するにはさすがに二人じゃ目が足りない。それでもやるしかないわけで、二手に分かれて見守ろうという話にはなっていた。成美はステージ裏に待機し、本堂はこの関係者席からステージを見張る。怪しい動きがあった時には互いに無線で報告できるよう手筈も整えてある。ちなみに本堂が残るこの場所には、オフィスブルーの青塚遼太郎も来ると聞いている。普段は地方公演には同行しないという青塚も、今回ばかりは不安がまさったようだ。彼も容疑者の一人だから、本堂にはしっかりと監視の目を光らせてもらいたいところだ。

 現時点で、ステージ上の六人の様子に異常はない。演出家の指示に従い、まじめにリハーサルに取り組んでいる。今岡灯真の体調もかなりよくなったようだ。本番に照準を合わせてくるところはさすがプロといったところか。

 このままなにもなければいい。そう思いはするものの、徐々に気が張り詰めていくのを成美は感じずにはいられなかった。過ぎていく時を止めることもできず、午後五時、Billionのライブの幕が上がった。

 冒頭に、グループを代表してリーダーの貴島慎平から挨拶があった。「ぼくたちも悔しいですし、一番悔しい思いをしているのは玲央だと思います。この先も玲央の気持ちをステージに乗せ続けていくことが、遺されたぼくらにできること、やるべきことだと信じています。今日のライブがその第一歩です。今この場所にいる、このライブを見てくださっている全員の気持ちを、天国の玲央に届けましょう。これからもずっと、ぼくらは玲央とともにあり続けます」。ステージ裏のモニターで会場の様子を見ていた成美の耳にも、客席、そしてスタッフのすすり泣く声が届いた。

 ライブが始まると、しんみりとした雰囲気は一掃された。普段の彼らがどのようなパフォーマンスをしているのか成美は知らないが、六人の顔つきは真剣そのもの、かなり気合いが入っていることは明白だった。

 高らかに歌声を響かせる曲、ダンスで魅せる曲、愛嬌を振りまく曲、色気を前面に押し出す曲。ステージを縦横無尽に駆け回る彼らの輝きはまるで虹のように色鮮やかだった。このきらめきに多くの人が魅了されるのは、妥協を許さない彼らのひたむきな姿に胸を打たれるからだろう。

 六人でのパフォーマンスが一段落すると、ソロステージの時間になった。貴島慎平は自身で作詞作曲を手がけたという楽曲をアコースティックギターで弾き語り、幼少期はプロの体操選手になるのが夢だったという仁木魁星は特技であるアクロバットで会場を沸かせた。

 今岡灯真の演出はおもしろかった。自撮り棒に取り付けたスマートフォンを持ってステージ裏を歩いている映像がメインステージの巨大スクリーンに映し出されたが、しゃべりながら歩いているとなにかにつまずいて転んでしまう。映像が乱れ、途切れた瞬間、今岡がメインステージの向かい側に作られたバックステージに現れる、という空間移動イリュージョン風の演出で、バックステージに近い客席からは特に大きな歓声が上がった。もちろんタネも仕掛けもあって、スクリーンに流れていたステージ裏の映像は先ほどのリハーサル中に撮影したもので、今岡は最初からバックステージの下でスタンバイしていたのだ。成美もその準備の様子を見ていた。映像は公演ごとに違うものを毎回本番直前に撮影するのだという。

 残る三人のソロステージはMCを挟んだ後半に予定されており、今岡のステージが終わると、入れ替わるように五人がステージに上がった。カジュアルとフォーマルの中間を狙ったような白い衣装に身を包んだ五人は異国の王子様のようで、アリーナフロアをぐるりと一周するように作られた長円形の花道をゆっくりと歩き、すれ違うメンバー同士でハイタッチをしたり、時にふざけ合ったりしながら、明るく元気な楽曲をハンドマイクで歌う。曲の途中で今岡も五人と同じ白い衣装に着替えて合流し、六人が再びステージに顔を揃えた。続いてセンターステージでダンサブルな一曲を歌い踊り、次の一曲、成美と本堂が六本木のダンススタジオで見学した楽曲を終えると、休憩も兼ねたMCタイムに突入する。

 スタジオで見たとおりの演出だったが、その質は明らかに向上していた。息の合ったラインダンスは寸分の狂いもなく、歌声が乗るとなお雰囲気が高まって自然と心が躍り出す。見た目にも楽しい曲だ。

 巨大スクリーンに流れている映像を、成美は小さなモニターで見ていた。カメラがステージ向かって右のメンバーから順に一人ずつアップで映していく。貴島慎平、仁木魁星、今岡灯真、三栗谷悠斗、依田瑛士。深瀬岳。カメラが引いて六人の姿が映し出されると、全員がいい笑顔で楽しそうに踊っていることがよくわかる。ただ、本堂が言っていたとおり、このラインダンスでセンターの位置に立つ予定だった蝉川玲央がいると奇数になるため、今よりも見映えがよかったかもしれないと素人ながら成美も思った。仕方がないことだが、気の毒だ。

 ボーカルが三栗谷から依田瑛士に変わる。軽快なステップを踏み、再び隊形をチェンジすると、練習の時にはフリだけだったラストの投げキッスを全員が本気の顔でやり遂げた。

 音楽が鳴り止まないうちに、会場が黄色い声に包まれる。客席にあふれるとびきりの笑顔は今日一番だ。開演から約一時間、ライブは一つの山場を越えた。

 これまでスタンディングで彼らのパフォーマンスを応援していた客席に向かって、貴島が「どうぞお座りください」と促す。ステージ上の六人はそれぞれ個別に用意されているストローの刺さったボトルで水分補給をしながら、パフォーマンス中とは打って変わってゆったりとした姿勢でトークに興じた。

 成美は腕時計に目を落とした。終演予定時刻まで残りおよそ一時間半。このままなにも起きなければいい。できることなら、この先もずっと。

「本堂、聞こえる?」

 無線機に接続されているピンマイクで本堂に呼びかける。『こちら本堂、聞こえます』とすぐに応答があった。

「そっちはどう?」

『最高です。最高に盛り上がってます』

「そうじゃない。なにか変わった様子はないかって聞いてるの」

『ないですよ。あるわけないじゃないですか。本当に最高です。めちゃくちゃ楽しい』

 呆れて物も言えない。あいつはここへなにをしに来たんだ。

 六人による和やかなおしゃべりが続いている。このMC中にちょっとしたゲームをするのが恒例になっているようで、MCの進行役を務める貴島が音頭を取り、ゲーム企画が始まった。

 五人分の机と椅子がスタッフによってメインステージに運び込まれ、司会の貴島を除く五人がそれぞれ座る。机の上にはフリップボードとペンが置かれ、どうやら大喜利大会がもよおされるようだ。

 なんでもやるんだなぁ、と成美はつい感心してしまった。ファンを楽しませることを一番に考えるから、アーティストとして歌って踊るだけではない自分たちの姿も見てもらおうという発想になるのか。ゲームを楽しむ彼らの顔は、友達と集まって遊ぶ樹のそれと同じだ。今どきの若い男の子たち。彼らの自然な表情が見られるのもファンには嬉しいことなのだろう。

 だが、彼らがごく自然に浮かべた笑みは長く続かなかった。ゲームが終わり、スタッフが机一式を片づけている時、ステージ上で異変が起きた。

 仁木魁星が客席に背を向け、上体を丸めて咳き込み始めた。やがてフロアに膝をつき、四つん這いの姿勢で胸を押さえて震え出した。

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