1-3.
五月初旬の夜はまだ少し冷える。東京の夜空は明るく、はっきりと星が見えることは常に少ないが、薄曇りの今夜の空はいつもよりもなお白い。穏やかに吹く風は湿気を含んだにおいがする。また雨が降るだろうか。
丸一日がかりでおこなわれたリハーサルが終わる頃、成美は再びBillionのメンバーが集うダンススタジオを訪れた。今日じゅうに会っておきたい人がいた。
スタジオの入っているビルから、何人かのメンバーが出てきた。このあとラジオに生出演する者もいると聞いている。
さらに五分ほど待ってようやく、その人が姿を見せた。ハイブランドの白いバケットハットに白いパーカーとオシャレ上級者の装いでビルから出てきたところへ、成美は狙い澄ましたように歩み寄った。
「今岡さん」
今岡灯真は声をかけられてようやく成美の存在に気づいたらしかった。少し目を大きくして「あぁ」と言った。
「刑事さん」
「大丈夫ですか」
「え?」
「だいぶお疲れのようにお見受けします」
今岡の顔色はまるで改善されていなかった。一日じゅう歌って踊っていれば誰だって疲れるに決まっているが、要因がそれだけではないことを知っていればなお心配になってくる。
歩道で足を止めた今岡は、疲れの色を隠すことなくうっすらと笑みを浮かべた。
「玲央が死んだって聞いてから、眠れなくなっちゃって。医者に薬を出してもらったんで、そのうち体調も戻ると思うんですけど」
眩暈の原因は睡眠不足にあったようだ。無理もない。長らく療養していたなどという理由があれば覚悟もできようが、蝉川とは突然の別れだったのだ。それも、殺人という最悪の形で仲間の人生は幕を下ろした。彼の無念の死に想いを馳せれば、心が安まらないのは当然と言えた。
「休養されることはお考えにならないのですか。今はまだ、無理に公演を打つ時期ではないように私には思えるのですけれど」
週末の名古屋公演に同行することを決め、青塚にもそう告げていた成美だったが、内心まだ納得できていなかった。胸騒ぎがしてならない。殺された蝉川玲央の故郷である名古屋の地で、またなにかが起きる。どうしてもそんな風に考えてしまう。
今岡は肩をすくめて苦笑した。
「おれ一人が休んだところで、社長は公演を取りやめたりしないですよ。おれが出ないなら出ないで、残りの五人でできることをやらせる。それが社長の考え方です」
「『The show must go on』でしたね」
「はい。おれは社長の価値観が好きだし、休みたいとも思いません。それに、Billionのメンバーに選ばれた時から、おれの人生はおれだけのものじゃなくなったから。ファンの気持ちも、オーディションに落ちた人たちの気持ちも背負ってる以上、自分勝手にステージから降りるわけにはいかないんです」
今岡の眼差しはまっすぐだった。揺らぎを知らず、明るい未来だけを射貫くような強さを感じる。
彼が音楽業界のトップランナーとして走り続けている理由を垣間見た気がした。青塚も評価していた責任感の強さはもちろん、逃げない強さ、ただ前だけを見ることができる精神力も彼は持ち合わせている。こういう人間でないと、荒波が常の芸能界では生き残ることができないのだろう。
「犯人はまだ捕まらないんですか」
そんな彼でも、もちろん不安はかかえている。だからこそ眠れない日々を送り、体調を崩してしまっているのだ。
申し訳ありません、と成美は深々と頭を下げた。
「一刻も早く、皆さんに吉報をお届けできるよう努めてはいるのですが」
「ごめんなさい、警察を責めてるわけじゃないです。ただ、みんな普通にしているように見えるけど、本当はすごく怖がってるから」
「怖がっている」
「ニッキーなんか特に。次は自分だって」
ニッキー。仁木魁星のことか。マネージャーの河辺の話を思い出す。怯えているメンバーもいるというのは主に仁木のことのようだ。警察が身の安全を守れと強く言ったせいも少なからずあるだろう。例の赤いメッセージカードが彼を名指ししている可能性が否定できない以上、警戒してもらわなければ困る。
「おれたち、全員殺されるんですか」
ぽつりと漏れた今岡の言葉は、どこか真に迫るものがあった。
「考えたくはないけど、もしかしたら今回のことはミッチーがいなくなった時から続いてるのかもって、つい思っちゃうんです。ミッチーも、誰かに殺されたんじゃないかって」
今岡の瞳が揺れる瞬間を成美ははじめて目にした。現状に怯えているのは今岡も同じだ。
それにしても、具体的な意見が出た。平良倫瑠について、突然いなくなったという話は何度も聞いたが、殺されているかもしれないと言ったのは今岡がはじめてだ。
「なぜそう思われるのですか。平良さんがすでに殺されていると」
「だって」
今岡は首を横に振った。
「ミッチーが自分の意思でいなくなるはずがないから。あの頃おれ、社長に何度もそう言ったんです。絶対になにかあったんだ、ミッチーのことが心配だって」
「聞いてもらえなかった?」
「完全に無視されたわけじゃないけど、最終的には黙殺されました。おれ、ミッチーが戻ってくるまで待ちたいって言ったのに。おれだけじゃない。悠斗だってずっとそう主張してたんですよ。このまま放っておけないって」
そうだ。三栗谷悠斗も平良倫瑠の失踪について疑問をいだいている一人だった。生き別れた母親に今の自分の勇姿を見せるためにがんばっていた平良倫瑠が、メジャーデビューを目前に理由もなく消えるはずがないと。
「皆さん、同じ意見だったんですか」
成美は少し踏み込んだ質問を投げた。
「あなたや三栗谷さんのように、他のメンバーの方も平良さんが戻ってくるのを待ちたいとおっしゃっていた?」
「いえ、半々って感じでした。おれと悠斗、あとはキジーとか、このあたりのメンバーはデビュー延期派で、玲央やニッキーなんかはデビュー強行派、みたいな。勝手にいなくなるヤツが悪いって、なかなかひどいことを言っていました」
「深瀬さんと依田さんは?」
「あの二人はどうだったかな。もちろんミッチーのことを心配してはいましたけど、社長の判断にまかせようって言っていた気がします。どっちも冒険するようなタイプじゃないし」
興味深い話が聞けた。殺された蝉川玲央、次の標的かもしれない仁木魁星は、平良倫瑠の失踪について平良の自己責任を訴えていたという。その理由が、平良倫瑠の失踪に二人がかかわっているからだとすればどうだろうか。平良倫瑠がいなくなった本当のわけを知っているからこそ、彼ら二人は平良を除いた七人でメジャーデビューすることを望んでいた。平良倫瑠がもう戻らないことを知っていたから。
そして犯人は、なんらかのきっかけで平良倫瑠失踪の真実を知り、関与したと思われる蝉川と仁木の命を狙い、今回の事件を起こした。カードを使って平良倫瑠の存在をほのめかしたのもそのためだ。この見解が正しければ、仁木はなぜ自分が名指しされているのか気づいている。怯えるのも当然だ。
「ありがとうございます。大変参考になりました」
今岡は小さく頭を下げた。もう帰っていいかと目で訴えられる。
「お一人でお帰りですか」
「はい」
「よろしければ、ご自宅までお送りします」
今岡はなぜかギョッとした顔になった。
「パトカーに乗せられるんですか、おれ」
かわいらしい心配事だ。成美はおもわずクスッと笑ってしまった。
「ご安心ください。私が乗る捜査車両の見た目は白黒のあれではないので」
「そうなんだ。じゃあ、お願いします」
素直に従った今岡を連れ、成美は近くのコインパーキングに停めた車に向かって歩き出した。
ぽつ、と頬に冷たい感触が走る。雨が降り出したようだ。「ラッキー」と背後で今岡がつぶやいた。電車に乗る予定だったのか、少し歩かなければならなかったらしい。




