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捜査は亀の歩みだった。
犯行時刻の周辺を中心に現場付近を聞き込んで回るも、有益な情報はほとんど上がらなかった。蝉川玲央の自宅マンションのインターホンに録画されていた金髪の女性についての目撃情報も皆無で、現場付近の防犯カメラにも映り込んでいなかった。
インターホンに映っていた姿が変装だったのではないかと管理官に意見したのは成美だった。蝉川が襲われたのはひとけのない高架下で、蝉川の殺害後、犯人がワンピースと帽子、長髪の鬘を脱ぎ捨てるための隠れ場所としても機能する。まったく別の容姿に変えて街を歩けば防犯カメラ対策になるし、セキュリティマンションで暮らす蝉川を呼び出す際にも本当の姿をさらさずに済むから都合がいい。
成美の意見を踏まえてもう一度捜査に当たったが、事件から三日が経っても犯人検挙には至らなかった。殺害理由が怨恨の可能性ももちろん疑われたが、どこをつついても蝉川が誰かから恨みを買っていたという話は出てこず、もはや八方塞がりだった。
唯一の手がかりがくだんの赤いメッセージカードだが、これについては成美が気づいた歌い手変更のいきさつが容疑者をぐっと絞り込んでくれた。
オフィスブルーの河辺に頼んでおいた、Billionのデビューシングルにかかるレコーディングに携わった人物の一覧表はすぐに成美の手もとに届いた。片っ端から当たり、特に平良倫瑠と深い関係にあった者――血縁者、同郷者、飲み仲間などの洗い出しに精を出したが、プライベートで平良と親しくしていたのはBillionのメンバーくらいで、スタッフの中からめぼしい人物が浮かび上がることはなかった。
つまり、今回の蝉川殺しの原因となったのが平良倫瑠の失踪だった場合、平良のことを思って蝉川を殺そうと考える可能性がもっとも高いのはBillionの六人ということになる。ただし、彼ら自身が犯人の次なるターゲットとされている可能性も考慮に入れれば、たとえば平良の才能を高く評価していた青塚遼太郎、誰よりも近くで平良のがんばりを支えてきたマネージャーの河辺などにも動機が生まれる余地はあると考えていい。本人たちが言わないだけで、彼ら二人は特に年上の大人として、家族がいないという平良が親のように慕っていたかもしれないのだ。そして彼らもその気持ちにこたえていたとしたらどうだろう。血のつながりこそないけれど、大切な家族を失えば復讐心に駆られてもおかしくない。つまるところ、容疑者は蝉川に極めて近い人物、オフィスブルーの関係者とする見方が、少なくとも成美の中では固まりつつあった。女性に化けて蝉川を自宅から誘い出したのも、犯人が男性であり、顔をよく知られている人物だからだと考えれば説明がつく。
カード関連では、仁木魁星が次のターゲットなのではないかという意見が捜査本部では特に注視されており、捜査員は軒並み仁木の動きに目を向けていたのだが、事件発生から四日目の今日に至るまで仁木の周辺で異変が起きるということもなく、闇雲に時だけが過ぎているという具合だった。
平良倫瑠についても、その行方は依然としてつかめていない。警察が動き出したことでマスコミが平良のBillion脱退の真実に気づいてしまい、青塚遼太郎率いるオフィスブルーは対応に追われているようだ。
成美と本堂は、六本木にあるダンススタジオを訪れていた。照明機材やカメラ、モニターが完備され、客席さえあればこの場でステージを開催できるような贅沢な空間で、Billionの六人が週末に控えたライブのリハーサルをおこなっていた。
世間はゴールデンウィークに突入している。予定どおり、五月七日、八日の名古屋でのライブは敢行されるとBillionの公式サイトで発表されていた。内容に目を通してみると、名古屋での三公演のうち、七日の夜におこなわれる公演は蝉川玲央の追悼公演と銘打ち、特設サイトでの無料生中継も予定されているという。
「すごいですね」
スタジオじゅうがアップテンポで明るいダンスチューンで満たされる中、本堂は成美の隣で六人の若者たちが歌い踊る姿に目をキラキラと輝かせていた。
「僕、警察官になってよかったです。こんなに近くでBillionのパフォーマンスが見られるなんて」
「感激するところがズレてる」
ツッコむ気も失せるような一言に呆れはしたが、六人の息の合ったパフォーマンスに見入ってしまう本堂の気持ちはわからないでもなかった。
マイクは持っているフリをしているだけなので歌声はほとんど聞こえないが、乱れることなく完璧に揃っているダンスは間違いなく彼らの努力の結晶だと素人の成美にもわかる。上げる手の角度、踏み出す足の歩幅、力を一瞬抜くタイミング。一人の人間が六人に分身しているような錯覚を起こすほどの光景だった。どのくらい練習したのだろう。
五分弱の曲が終盤に差しかかる。聞いているだけで元気をもらえるような楽曲だったが、六つの笑顔がそのパワーを増幅させていた。仲間を失って数日しか経っていないのにこれだけの笑顔を振りまけるのだから、彼らのプロ意識が高いという代々木体育館で聞いたライブ設営スタッフの話は本当であるようだ。
三栗谷悠斗が歌唱を担当するサビの後半、六人のポジションが大幅に移動する場面があった。
全員で横一列に並び、歩幅を揃えて前に出る。立ち止まると、マイクを持たない右手を右隣のメンバーの肩に置き、右、左とからだを揺らす。足を片方ずつ前方にキックして入れ替え、ステップを踏みながらその場で一周。全員でぐるりと大きく円を描くように広がると、最後はもう一度集まり、ファンに向かって全員で投げキッス。もちろん今はリハーサルなので、投げキッスをするフリをしただけだった。
「はい、オッケー。蝉川のところ入る人、大丈夫だった?」
Billion結成時からライブの演出で携わっているという演出家の声に、音楽の止まった空間で何人かのメンバーが「はい」「大丈夫です」と答えた。週末の名古屋公演を六人で乗り切るため、蝉川玲央の抜けたポジションをカバーする新たな演出を練習している真っ最中だった。
「やっぱり、六人と七人じゃ全然雰囲気が違いますね」
本堂が腕組みをしながら評論家みたいなことを言う。
「最後のラインダンスも、センターがいてこそ、っていう演出だったと思うんですよねぇ、僕は」
「センターって?」
「ほら、さっきみたいに六人で横一列に並ぶと、センター……ど真ん中に立つ人がいないでしょう。左右三人ずつの二組が並んで隊形を組むっていうイメージです。だけどこの曲、本当は殺された蝉川さんがセンターのポジションに入る並びだったんですよ。そこを詰めて、今は三栗谷さんと今岡さんがセンターを挟んで並ぶ、いわゆる『センター割り』の配置に変わってる。こうやって横一列になる構成だと七人から六人になったことが露骨に見えちゃうから、余計に気になっちゃって」
本堂がやたらと詳しく語れるのは、この数日のうちにBillionが過去におこなった音楽ライブの映像を見られるだけ見たからだ。「なにかの役に立つかも」と本人は力説していたが、職務を逸脱した趣味の領域であることは疑いようがなかった。叱る気も起きなかった。
「でも、平良倫瑠が脱退していなかったらBillionは八人だったわけでしょう? 今と同じ偶数なら、センターに立つ人はいないってことにならない?」
「そうなりますね。もし八人のままだったらこの振付は採用されていなかったかもしれないですし、八人なら八人で、見慣れちゃえばそれが当たり前になるんだから問題ないと言えばそのとおりですよね」
「じゃあ、今の六人の状態を見慣れてしまえば、あんたの覚えた違和感も消える?」
「と思います。薄情ですよね、人間って」
誰かも同じことを言っていた。依田瑛士だったか。人間とは忘れゆく生き物だと彼は悲しげに語っていた。まったくそのとおりだ。
成美は平良倫瑠のことを思う。世間は彼の存在を忘れ、今また思い出している。多くの人が注目したオーディションに合格し、世界へ羽ばたく前に姿を消した青年。同じステージに立つはずだった蝉川玲央の死をきっかけに思い出されたことは皮肉だが、生き別れた母親のために有名になることを願った彼の思いは、これでまた少し成就に近づいたかもしれない。
「いかがですか、相野さん」
オフィスブルーの社長、青塚遼太郎が成美たちのもとへ歩み寄る。彼もBillionの生みの親として、次の名古屋公演の演出について知恵を絞る一人だという。
「彼らなりに、こうして前へ進もうとしています。週末の名古屋公演はそのための第一歩、大切な機会です。私としては、これを奪うというのは到底許せることではないのですが」
成美たちがここへ来た目的は、週末の名古屋公演の中止を進言するためだった。蝉川玲央が殺された理由がはっきりせず、例のカードが仁木魁星の殺害を予告しているように見える以上、犯人が次の一手をこの週末に打たないとも限らない。名古屋に移動されてしまっては、管轄外の成美たちが迂闊に手を出すこともできなくなる。せめてもう少しの間、派手な動きは避けてもらいたいというのが警察の考えだった。
成美は一歩も引かない姿勢を崩さず応じる。
「どこで、どんなトラップが待ち構えているかわかりません。長距離の移動、慣れない土地での活動は確実に危険を伴います。犯人の狙いがはっきりしない今、不用意に世間の目に触れるような行動はなさらないほうが賢明かと」
「お気づかいには感謝します。ですが、自分たちの身は自分たちで守ります」
「今この場にいる者の中に、蝉川さんを殺した犯人がいる可能性もあります」
青塚の瞳に、はっきりと怒りの色が宿った。成美の声が届く場所にいたスタッフの何人かは互いに不安げな顔を見せ合っている。
容疑者はある程度絞り込んだ。全員が今この場にいる。誰が蝉川を殺していてもおかしくないし、次の犯行の機会を今か今かと窺っているところかもしれないのだ。新たな事件が起きる前に犯人を検挙できることが一番だが、そうならなかった時のためにも、Billionのメンバーにはこれまで以上に用心してもらいたかった。
「私は」
低く出した声で青塚は言った。
「アーティスト、スタッフにかかわらず、うちの事務所で預かる者全員を信じることに決めています。彼らにも私を信じてもらうためです」
「立派な心がけだと思います。ですが、信じることが、危険を回避することにつながるとは限りません」
「そこまでお疑いなら、あなたも会場へいらっしゃってはどうですか、相野さん」




