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ボーイズアイドル殺人事件  作者: 貴堂水樹
断章Ⅱ

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2.

「きみ自身の気持ちは?」

 倫瑠はテーブルの上で両手の指を絡ませ、こちらをじっと見つめてくる。

「おれたちのことを客席から眺めてどうだった? ああいう世界、憧れたりしない?」

 芸能の世界への憧れ、ということか。正直、よくわからなかった。観劇して感じたのは、やりたいことがあるということに対する憧れの気持ちだった。自分があのステージに立つところなんて少しも想像できないし、想像しようとも思わなかった。

「わかりません。みんな楽しそうでいいな、とは思ったけど」

「興味はある?」

「ないと言ったら嘘になるんだろうけど、どうせおれには無理だから」

「どうして」

「親が許さない。父親が言うところの『立派な息子』に、芸能人はきっと当てはまらないから」

 親の顔に泥を塗るな。父は口癖のようにそう言った。自分がちょっとした権力を持つ地位にいるからって、父は世間の目をとにかく気にする男だった。立派な人間の息子は立派でなければならない。賢く、強く、どこまでも高みへ登っていける人間。そうした理想を押しつけられて、今日までの人生を歩んできた。芸能界に憧れをいだく暇なんてないほどに、日々勉強に明け暮れた。張り詰めていた緊張の糸が切れたのは必然だったのかもしれないと、最近はそんな風に思うことも増えた。おれにはあの人の理想にこたえられない。そういう人間に生まれなかったのだと。

 ため息が出る。このままじゃ人生を棒に振ると感じて逃げ出したのに、なんだかんだ親の顔色を窺っているのだからシャレにならない。結局親の呪縛からは逃れられないのか。逃れられるだけの強さが自分にないだけか。どちらにせよ、情けないことに変わりはない。

「親かぁ」

 倫瑠がテーブルの端に設置されたタブレット端末に手を伸ばし、おもむろにメニュー表を見始めた。

「親がいればいるで、おれとは別の悩みがあるってわけだ」

「……あんた、親は?」

 タブレットから上がった倫瑠の顔は笑っていた。首がゆっくりと横に振れる。

「施設育ちなんだ、おれ。五歳で両親が離婚して、母親がおれを児童養護施設に入れた。小学三年生の時が最後だったよ、母がおれに会いに来たのは。父の顔どころか、今じゃ母の顔もぼんやりとしか思い出せない」

 当たり前だけれど、知らなかった。そういう家庭で育った友人が周りにいないから状況を正しく理解することすらできないが、長い間さみしい思いをしてきたことだけはわかる。倫瑠の口調から、家族を恋しく思っていることが伝わってくる。

「だからおれ、芸能界を目指したんだ。母がなんで会いに来なくなったのかはわからないし、今さら怖くて訊けないけど、芸能人になって、テレビで日常的に見られるくらい有名になれば、もしかしたら今のおれの姿を母に見てもらえるんじゃないかと思ってさ」

 浅はかだろ、と倫瑠は笑う。そんなことはない。立派な目標だし、実現できることを心から祈りたいと思った。

「中学を卒業した時に施設を出て、沖縄からも離れた。テレビに出るには東京へ行かなきゃ、芸能人になるにはオーディションを受けなきゃ、みたいな、当時は漠然とした目標だけを持って上京したんだ。現実を知って、夢ばかり見てちゃいけないって気づいて、そこからはがむしゃらにレッスンを受けた。バイト代をダンスレッスンとボイストレーニングに注ぎ込んで、ダンス仲間とチーム作って大会に出て世界に揉まれて、そうこうしているうちに、いつの間にかステージに立ってライトを浴びることの快感に溺れるようになった。もちろん今でも母に今の自分を知ってもらうことをあきらめてはいないけど、それ以上に、おれはこの世界が好きなんだ。好きになれた」

 楽しいよ、と倫瑠は声を弾ませて誘ってくる。

「きみは歌がうまい。誰もが持って生まれる力じゃない。おれはうらやましいし、そう思ってる人が他にもたくさんいると思う。聴く人が聴けば、きみの歌をこの広い世界にきっと届けたくなるはずだ。歌は人を元気にするし、優しく寄り添うこともできるし、勇気を与えられもする。もしかしたら、誰かの人生を大きく変えることだってできるかもしれない。そういう力が音楽にはあるんだよ。自分の力で、誰かを幸せにできる。素敵な仕事だと思わない?」

 思う。歌いたい人がいるように、歌を聴きたい人だっている。互いの願いが重なった時、そこには大きな幸せが生まれる。素敵なことだ。

 理想的な世界だと思った。そこに自分が、歌い手としていられたなら。そんな夢、これまで見たこともなかった。見ることを許されもしなかった。

 きっと今でも許されないだろう。「歌手になりたい」なんて言った日には自室の学習机に縛りつけられるかもしれない。あの父親ならやりかねない。

「おれはいい」

 カラオケボックスで言ったことと同じセリフが口を衝いた。

「そういうことは、そういうことをやっていいって許された人がやればいい」

「ご両親の反対を押し切って芸能界に入って、実際に成功した人だっていると思うけどな」

「あんたはうちの親を知らない。あいつらは……」

 言葉にしてから失言を悟る。両親と満足に暮らせなかった倫瑠にこんな話をしても意味がない。彼の心の傷を抉ることにもなる。

 なにも言えなくなってうつむくと、倫瑠は「じゃあさ」と言ってスマートフォンを触り始めた。

「結果を出して、ご両親を説き伏せる地盤を固めるっていうのはどう?」

「結果って、なんの」

「これ」

 倫瑠が液晶画面をこちらへ向ける。表示されたウェブページには『BOYS(ボーイズ) ARTIST(アーティスト) AUDITION(オーディション)』の文字が並んでいた。

「オーディション?」

「そう。オフィスブルーっていう、歌手やバンド、作曲家なんかの音楽関係者をマネジメントしてる芸能事務所があるんだけど、そこが今開催してるオーディション。『合格者(複数名予定)はダンス&ボーカルグループまたはソロシンガーとしてのデビューを確約』だって。おれ、これにチャレンジしようと思ってるんだ」

「倫瑠も?」

「うん。この企画、テレビ番組と連動してるんだ。ほら、最近よく見かけるだろ、オーディション番組って。あれだよ」

「出るの、テレビに」

「そう。受かるかどうかは別として、書類審査に通ってテレビに出るところまでこぎ着けたら、運よく母さんに見てもらえるかもしれないだろ」

 そういうことか。母親に今の自分の勇姿を見せること、それが倫瑠の願いならば、このオーディションは確かにいい機会になるかもしれない。彼のダンスの実力、実績ならば、書類審査で落ちることもないだろう。

「きみも受けない? おれと一緒に」

「おれも?」

「応募締め切りまであと一ヶ月。書類審査の結果発表は締め切りの二ヶ月後。三ヶ月あれば、歌もダンスもトレーニングできる。ダンスはおれが教えるし、ボイストレーニングの先生も紹介する」

「いや、おれは……」

「きっかけなんてなんでもいいんだよ」

 倫瑠はより力を込めて説得してきた。

「現状に不満があるから家出なんてするんだろ。ふてくされてる暇があるなら、少しでも今を変えられるように動き出さなきゃもったいないよ。思いどおりにいくばかりが人生じゃないけど、変えようと思えばいくらでも変えられるのが人生でもあるとおれは思う。おれがいい例だろ。家族には恵まれなかったけど、そのおかげで若いうちから自分の道が見つかった。願いはまだ叶ってないけど、そのうち叶える。絶対に」

 強さの宿る目をしていた。願いが叶わないことなんて、彼はこれっぽっちも考えていない。射貫くように前だけを見つめ、自分で自分の人生を切り開いていく力が彼にはある。

 うらやんでしまうほど、倫瑠はポジティブだった。後ろばかりを見ている自分とはまるで違う。どこかで失敗を恐れていて、親の言うことを聞いていれば明るい未来は固いとなんだかんだ思ってしまっている、意思の弱い自分とは。

 倫瑠がスマートフォンをテーブルに伏せる。まっすぐこちらの目を見て、柔らかく微笑む。

「きみとご両親との間にどんな確執があるのかおれにはわからない。でもさ、意味もなく夜の街をふらついてるくらいなら、やりたいこと、やりたいかもしれないことにチャレンジする勇気を出してみてもいいんじゃない?」

 やりたいこと。やりたいかもしれないこと。

 さっきまで目の前にあった、きらびやかなステージの記憶がよみがえる。演者は誰もがきらきらしていて、笑顔でいられて、心から楽しい時間を過ごしているように見えた。

 もしもあの場所に立てたら、立つ機会に恵まれたら、この鬱屈とした気持ちは晴れるだろうか。これまでの自分とは違う自分になれるだろうか。誰に決められた人生でもない、自分だけの人生を歩めるだろうか。

「できるかな、おれにも」

 自信はない。どうやって自信を持てばいいのかもわからない。

 倫瑠は首を横に振った。

「できるかできないか、じゃない。やるか、やらないか。きみに与えられた選択肢はそれだけだよ」

 やるか、やらないか。やらなければ、なにを変えることもできない。家に戻って、親の言いなりになる人生が待っているだけ。

 笑いがこみ上げてくる。

 こんな選択肢、最初からあってないようなものじゃないか。

 倫瑠の目をちゃんと見た。そうやって話すのは、きっとこれがはじめてだ。

「やる。ダンス、教えてください」

「そうこなくっちゃ」

 よろしく、と倫瑠は手を差し出してきた。迷わず取り、握手を交わす。

 もしかしたら、人生が変わるかもしれない。変わらないかもしれないけれど、久しぶりにわくわくしていた。

 倫瑠のおかげだ。彼に出会っていなかったら、最低なこの状況から抜け出すきっかけをつかめないままでいただろう。人生、どこに分岐点があるかわからない。少なくとも今、目の前に分かれ道が現れた。

「ねぇ」

 タブレットでせっせと夕飯を注文している倫瑠に話しかける。「ん?」と倫瑠は液晶から目をそらさずに言った。

「お節介だって言われるだろ、あんた」

 他人の悩みに首を突っ込んで、あっさりと吹き飛ばす解決策までひねり出す。とんだ世話好きだ。人によっては、こういうタイプは苦手だろう。

「お節介かぁ」

 タブレットを充電台に戻しながら倫瑠は笑った。

「そうかもしれないな。けど、放っておけないんだよ、困ってる人を。施設育ちだからなのか、悩んでるとか、傷ついてるとか、そういった人の心の機微に敏感でさ、おれ」

 迷惑なら迷惑だとはっきり言ってほしいと倫瑠は言う。そういうわけじゃない。迷惑どころか感謝している。

「おれ、がんばります。歌、褒めてもらえて嬉しかったから」

「お、ずいぶん素直になったね。進歩進歩」

「茶化すなよ」

 倫瑠は楽しそうに笑う。年上の友達とつるむのははじめてで、優しい兄ができたみたいで胸の奥がこそばゆくなった。

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