4-1.
三栗谷悠斗が一人で暮らしているという都内のマンションの一室は、ラグジュアリーの限りを尽くした芸能人の自宅、という雰囲気はまったくせず、物の少ない簡素な部屋だった。家具は白と黒に統一され、生活感はあまりない。アロマディフューザーを使っているのか、ほのかに甘い香りが漂っている。
家にいる時間が短いのかもしれないと成美は勝手に想像した。冷蔵庫は単身者用の小さなもので、食器棚は見当たらない。四人掛けのダイニングテーブルは傷一つなく、インテリアとして置いてあるだけのように見えた。
「すいません、うち、本当になにもないんです」
透明なグラスに炭酸水を入れたものを成美と本堂に出し、三栗谷悠斗は二人の向かい側に腰を下ろした。このダイニングテーブルに着くのも彼にとっては久しぶりのことなのかもしれない。
「来客なんてめったにないから、ちゃんとしたものを用意してなくて」
「どうぞお構いなく。用件だけ伺ったらお暇しますので」
三栗谷は成美たちよりも先に、自分用に準備した炭酸水に口をつけた。成美たちが訪ねてくることは事前に河辺に伝えておいてもらったはずだが、やはり緊張しているようだ。羽織っている黒いパーカーとジョガーパンツはラフな服装ではあるものの、中に着ている白いTシャツも含め、人に会っても恥ずかしくない新品同様のきれいなものだった。
「それで、おれに訊きたいことって」
「平良倫瑠さんの件です」
単刀直入に本題を切り出す。三栗谷はなにも言わず、成美の次の一言を待った。
「親しくしていらっしゃったのですか、平良倫瑠さんとは」
「そうですね。同じグループのメンバーでしたし、おれにとって倫瑠くんはダンスの師匠でもありましたから」
「ダンスの師匠」
「おれ、二年前のオーディションを受けるまで、ダンスって全然やったことなかったんです。歌うことと音楽が好きで、オーディションってどんな感じなんだろうっていう単純な興味だけで応募したから、まさか合格するなんて思っていなくて。三次審査の時、審査項目にグループでのステージ発表っていうのがあったんですけど、その時に倫瑠くんと同じグループになって、倫瑠くんは初心者のおれにほとんどつきっきりでダンスを教えてくれました。兄貴肌っていうか、優しくて、面倒見がよくて。そういうところをお節介とか優等生ぶってるとかって言う人もいたけど、おれは純粋に倫瑠くんの優しさがありがたかったし、本当のお兄ちゃんができたみたいで嬉しかったんです」
話しぶりから、三栗谷が平良にこだわる理由が見えた気がした。
「三栗谷さん、今朝我々が蝉川さんの死を他殺だとお伝えした時、あなたは我々の前で何度か平良さんのお名前を出しました。平良さんは突然いなくなったということですが、あなたは彼の失踪について、事件性をお疑いなのですね?」
「当たり前でしょ」
三栗谷は語気を強める。包み込むようにグラスに添えていた両手に力が入るのが見えた。
「あの倫瑠くんが、自分勝手に消えるなんてことがあるはずがない。倫瑠くんには誰よりも大きな目標があったんだ」
「目標?」
「お母さんと再会することです」
母親。再会。
まるで予想していなかったワードに、成美は胸が締めつけられるのを感じた。
「どういうことです」
成美の代わりに本堂が三栗谷に先を促した。
「お母さんとは疎遠だったんですか、平良さんは」
「倫瑠くんが五歳の時、ご両親が離婚したらしくて。倫瑠くんは那覇にあった施設に預けられて、最後にお母さんと会ったのは小学校三年生の時だと言っていました」
「面会に来なくなっちゃったんですか」
「みたいです。いつしか連絡が取れなくなって、それっきりだとか。だから倫瑠くん、芸能の世界を目指したんです。テレビとかにたくさん出られるくらい有名になって、お母さんに今の自分の姿を見せたいんだって言ってました。中学卒業と同時に上京して、ダンスで世界大会に出て、本当に有名になっちゃった。すごい行動力ですよね。Billionのオーディションを受けたのも、テレビ番組と連動した企画ならもっと有名になれるかもしれないと思ったからだそうです。ダンスの世界じゃすでに成功してたのに、まだ上を目指すのかって、おれ、心から尊敬してました、倫瑠くんのこと」
熱心に語る三栗谷を前に、成美は静かに目を閉じた。まぶたの裏に樹の顔が浮かぶ。
自分が子を持つ母でなければ、健気なことだと心穏やかに聞いていられる話だっただろう。だが、無理だ。子を捨てて消える母親の話を聞かされて冷静でいられないのは、成美の自覚しているダメな部分をピンポイントで抉られているからに他ならない。
成美も似たようなものだ。子育てよりも仕事を優先し、家事はほとんどすべて樹にやらせている。樹と顔を合わせる時間よりも本堂といる時間のほうが長く、家に帰っても三時間でまた出て行く日だって少なくない。
樹もきっと思っている。母親に自分の存在を認めてほしい。自分のことをもっと知ってほしい。誰よりも深く愛してほしい。
昼間の成績の話だってそうだ。樹は成美に知ってもらいたいのだ。自分のがんばりを。自分の考えている将来のビジョンを。それを私は――。
「主任」
本堂の声で我に返った。目を開けると、本堂も三栗谷も心配そうな顔をして成美を見ていた。
「大丈夫ですか」
「えぇ、平気」
今日帰ったら必ず高校受験の話をすると決めて、頭から樹の顔を消し去った。今向き合うべき相手は樹じゃない。三栗谷悠斗だ。
「仮に平良さんの失踪が事件だったとして、当時、彼がなんらかの事件に巻き込まれる前兆のようなものをお感じになったことは?」
三栗谷は首を横に振った。
「あったら社長に話してます。けど、誰もなにも言ってなかった。いなくなる前の日も、いつもどおりみんなでレッスンを受けてましたし、その時も変わった様子は特になくて」
「蝉川さんとケンカになっていた、なんてことは?」
「玲央くんと」
やはり三栗谷は首を横に振る。
「玲央くんだけじゃなく、誰ともケンカなんてしてなかったと思います。少なくともスタジオでは」
「レッスンが終わったあとになにかがあった。そういった可能性があるということですか」
「おれの知らないところで起きたことはさすがにわかりません。でも……」
誰もなにも言っていなかった。平良との間になにかトラブルが起きていたのだとしたら、誰かはそのことについて口を閉ざしているということだ。三栗谷もそれに気づいたらしい。
「刑事さん」
三栗谷が成美の目をまっすぐ見つめる。
「倫瑠くんは、まだ生きていると思いますか」
答えにくい問いだった。「なんとも言えません」という回答が精いっぱいだった。
「遺体が見つからない以上、すでに死んでいると決めつけるわけにはいかないでしょうね。ただ、生きているとしても、自由の身でいるとは限りません。事件性を疑うなら、どこかに監禁されている可能性も視野に入ってきますから」
「監禁」三栗谷の声が震える。「二年間もですか」
「犯人の行動には、どんなに理不尽に見えても必ずなんらかの理由があります。犯人にとって平良さんを監禁しておくことに深い意味があるのなら、何年だろうと監禁し続けるでしょう」
三栗谷は左手で口もとを覆った。日頃犯罪とは無縁の彼には少し刺激の強い話だったようだ。
「あの」
本堂が唐突に挙手をした。発言する時は挙手をするようにと先ほどの会議で釘を刺されたことを気にしているのか。
「Billionは今後、どうなっちゃうんでしょうか」
挙手をした割に、質問はごく個人的なものだった。それでも三栗谷はまじめに答えてくれた。
「明日まで予定されていたライブの東京公演は中止になりました。でも、来週末の名古屋公演は予定どおりおこなうそうです」
「やるんですか、ライブ」
本堂は目を丸くした。三栗谷は「はい」と力なく返事をした。
「名古屋は玲央くんの故郷だから、追悼公演という形でお客さんを入れると社長は言ってました。もちろんチケットの払い戻しは受け付けますし、おれたちも……ちゃんとやれるかどうか」
当然だろう。いくらプロとはいえ、特に三栗谷はまだ十七歳だ。同じステージに立つはずだった仲間を失って一週間で完全に立ち直れるとは思えない。
「厳しいですね」
成美が素直な感想を口にする。三栗谷は「でも、仕事だから」と言った。
「社長は倫瑠くんがいなくなった時と同じことを言いました。『The show must go on』。玲央くんの無念を晴らすためにもステージは続けられるべきだ、おれたちはただ目の前のお客さんを楽しませることだけを考えればいいって」
青塚遼太郎なりの覚悟を三栗谷たちに伝えたつもりなのだろう。芸能界という場所がそれだけ過酷な世界だということの裏返しでもある。どんな理不尽に見舞われようとも、開けてしまったショーの幕を途中で下ろすわけにはいかないのだ。
三栗谷はもう一度成美と目を合わせた。
「犯人は捕まりますか」
「えぇ、捕まえます。今も捜査員が現場周辺で証拠の収集に当たっています」
意図せず自分に言い聞かせるような口調になった。三栗谷の長い睫毛に憂いの色を感じたせいかもしれない。
「もう誰もいなくなったりしないですよね」
イエスとはっきり答えてやれないことが苦しい。「力を尽くします」と言うと、三栗谷は黙って目を閉じた。




