第19話 本当のやさしさと、偽りの応え
「私が理久になってから、お兄ちゃんと呼ぶのは2回目ね」
「前は、お姉ちゃんのことを思って……、あえてそうしたんだけど」
「今回は?」
今回は違う……、俺……、私……?私がそう呼びたかった。
心が優しいお姉ちゃんじゃなく、頼れるお兄ちゃんを求めてしまった。
「私が、お兄ちゃんって……、呼びたかったから」
「どうして……?」
お兄ちゃんは私の膝の上に向かい合って座ったハグの体勢から、少し距離を取ってこちらを見つめてくる。
頼れるお兄ちゃん……。そう本人に伝えるのはさすがに恥ずかしい。
「お兄ちゃんには言えない」
「……他の誰になら言えるの?」
「お母さんくらいかな」
「そっか……」
なんだろうこの違和感、私が求めているお兄ちゃんじゃない。
そう、私がお兄ちゃんと呼んだところで、以前のお兄ちゃんの様になる訳はなかった。目の前に居るのは理香お姉ちゃんだ。
「ねえ、お姉ちゃん」
「えっ!?お兄ちゃんはもういいの?」
「意味ないから。私がお兄ちゃんって言っても、昔みたいに相談に乗ってくれたりしないっぽいし」
良い意味では女の子の世界に順応した結果なんだろう。でもその結果、前のお兄ちゃんみたいに具体的な解決策とか、理由とか、そういうのを示してくれない。
「……そうね、この2ヶ月くらいでだいぶ変わったかも」
かも?
「別人っていっても過言じゃないと思う。前のお兄ちゃんならもっと具体的な対応とか、理由とか、言ってくれてたじゃない」
「……そういうのを求めてるの?女の子は同意を求めてるんじゃないの?」
それは罠だよお兄ちゃん、やり過ぎると失敗するよ。
「今の私がどっちなのかは置いておいて、女の子だって、具体的な話して欲しいこともあるんだよ?そこは温度差で感じ取って」
「難しいね、女の子」
「そうだね、男の子も難しいよ」
男の子とか、そういう問題じゃないかもしれないけど。
「じゃあ言うけど、理久は……。理久になって何をしてきた?速く走れる体に、粗雑な言動でもお母さんに怒られない弟という立場。最初はよかったんでしょう?」
「陸上中心だよ。でも絶対お兄ちゃんが暴露したせい。あれからは、外で着替えるなんてもってのほかだし、そもそも男子と話すことも……。あれ?そもそもあまり男子と話してない……?清水くんくらい……」
理香だった頃はクラス内の女子と、当たり障りない程度には話していたけど、今は全く無いかもしれない。
それがだめなの?
「それじゃない?理久。部活はどうなの、他の部員とか」
「最低限、必要なことくらい……、かな」
それじゃ駄目なの?
「もっと部員と仲間意識もって、クラスメイトとも話して。後は話し方、無理するのやめたら?私と違って向いてないんだよ……」
話し方は別に無理してない。元々雑だと自意識のある私は、正直『俺』とかしっくりきている。
でも、今だけは特別。
「今は、お兄ちゃんに甘える妹でいたいだけだから……。普段の話し方はむしろ自分に合っているって、思ってるよ」
さすがに最初は慣れなかったけどね。
でも。
「そんなに他の男子と仲良くすることが大切?お兄ちゃんだって1人ばっかりだったじゃん」
言われたお兄ちゃんは目線を逸らした。……そうだよね、お兄ちゃんも1人だったよね?
「……そうだったかもしれないけど。私はそれに何の不満も孤独も感じてなかったから。理久は感じるんでしょう?だから辛いのでしょう?」
視線を戻して私にそう言ったあと、また視線を外して『それに清水や綾ちゃんは居たし』とか呟いている。それでもたった2人じゃん。
たった2人、されど2人。今の私は清水くん1人、それも向こうから話してこない限りは話すことはない。
そしてその現状は私にとって——。
「何言ってるの、辛くなんかないよ」
私は笑ってみせる。
「理久……」
私を見つめるお姉ちゃんの眉が下がっている。
お兄ちゃんにも、無理に笑ったのが伝わってしまったのかな……。
「本当に、辛くないのね?変えなくて……、変わらないままで大丈夫なのね?」
「大丈夫だって。ごめんね、ちょっと心配掛けちゃったね、お姉ちゃん」
もう、この話はおしまい。
お姉ちゃんと呼んだ意図が理解できたのだろうか、俺のその言葉にお姉ちゃんは目を見開いた。
「……………………」
長い間、1分くらいだろうか?本当はもっと短かったのかもしれない間、お姉ちゃんは私を見つめ続けた。
この優しく強く、頼れる目に負けるわけにはいかない。
俺も立ち向かうかのように、お姉ちゃんの目を見つめ返した。
「……いいわ。まだ、頑張るのね」
「まだなんてそんな、まるで俺が無理をこれからも通すみたいな言い方してー」
「……」
その通りだった。でも、たとえ無理をしてでも俺は、男子の世界にも、ダラダラと部活動をする他の部員にも馴染むつもりはない。
「お姉ちゃん、最後にもう1回抱きしめていい……?」
「……いいわよ」
——ぎゅうっ。
お互いに優しく力を込める。
お姉ちゃんが、無理をするなと言っている様に、聞こえる気がする。
俺からは『大丈夫だから』とか、そんな、本当の気持ちとは別の意図が伝わればいいな。
腕の力を解き、ありがとうの気持ちを込めてお姉ちゃんの頬にキスをしようとする。
「嫌っ!?何しようとしてるの!やめて!?」
「ご、ごめん」
頬を手で隠し、顔を逸らしてお姉ちゃんがそれを拒んだ。
お姉ちゃんはその手で頬を大事そうにゆっくりとさすりながら、不思議そうな顔をしていた。
2部の19話にて2部2章〆です。
次から3章になります。




