16*傷
嫌悪感を感じる描写があるためご注意ください。
今回二話更新します。
こちらは一回目の更新です。
部屋に入った瞬間、首を絞められる。
意識が無くならないぎりぎりのラインを狙っているのが分かる。フローラは声が出せなかったが、必死に抵抗した。すると部屋にあったソファーに向かって放り投げられる。何度も咳をしながら呼吸すると、今度は顎を掴まれた。
「いっつも人を下に見るような目が嫌だったんだよなぁ。馬鹿にしてるみたいで」
「……そ、んな、顔、してませんわ」
「嘘つけよ。お高くとまりやがって」
感情をあまり態度に出さないからか、そんな風に見られたことは今まである。それでも、そんな目で見たことなどない。相手からすれば、それがどう見えたか、だけだ。だがそれを伝えたところで、相手が納得できるか否か。今回の場合は後者だろう。
「婚約の話は俺から無くしたが、やっぱり断らなければよかったと思ったんだ。隣で飾ることはできるからね」
「っ……」
彼はすっとナイフを取り出す。
フローラはそれを見て血の気が引く。
彼はそれをドレスに向けた。
何をするのかはすぐ理解した。
「やめてっ!」
胸倉を掴んでナイフが動く。
作ってもらったドレスに亀裂が入る。彼はそれを引き裂いた。無残な音も、人を人として見ない目も、フローラの自尊心を粉々に砕く。
デビュタントに出る前まで、フローラは侯爵令嬢としての責務を果たそうと、いつだって気を張っていた。誰に何を言われてもそれをはねのけるほどに努力を重ねていたし、その通りの評判をもらうことができた。それで自分を支えていた。でも事件によってそれは一気に崩れた。
最近は、周りのおかげでまた自尊心を取り戻してきつつあったのに。
(……ヨセフィーナ様からもらったドレスが)
相手は悪びれる様子もなく「ああ」と声をもらす。
「胸に傷があるって本当だったんだな」
頭を殴られたような衝撃が走った。
コルセットは付けているが、胸元が見えたからだろう。過去の事件により、フローラには大きな傷が残っていた。谷間から大きく斜めに一本の傷があるのだ。
七年前なのでだいぶ傷跡は薄くなったものの、それでも傷跡は残り、いまだに線になっている。自分は結婚できないかもしれないと思った理由の一つがこれだ。どれだけ心身を磨いても、傷一つあるだけで女性の価値は下がる。特に貴族は。必ず言われるのだ。
「これじゃ傷物だな」
「…………」
両親のおかげで容姿はいいと言われながらも、体に傷があることは令嬢として、女性として、あまりいい気持ちになるものではない。当初は友人を救った勲章であると考えたかったが、傷が付いたことで周りから散々言われた。
『可哀想』
『私は傷があったら人前には出られないわ』
『これでは嫁の貰い手がないだろうな』
「ここに傷あるの、萎えるな」
気にしていたことを言われてしまう。体に傷があるということは、いずれ肌を見せる時、見苦しく思われるかもしれない。不安を抱えていた。自分に自信が持てなかった。
フローラは過去の出来事を思い出す。
この傷ができた時のことを。
デビュタントを迎えた日。
フローラはニナと一緒に参加した。彼女は伯爵家の娘で、昔から家族ぐるみで仲が良かった。二人で新しいドレスに身を包んで、この日が来たことを共に喜んだ。だがその日、刃物を持った男性が現れた。ニナは商家の娘で、その男性は父親に恨みを持つ者だった。娘に傷をつければ恨みを果たせると考えたのだろう。助けて、とニナが叫んだ瞬間、フローラが代わりに前に出た。
刃物が動いて、フローラの胸元から血が噴き出す。
周りが騒ぎ、警備の者が男性を捉える。
倒れこんだニナはフローラだけを見ていた。
フローラはできるだけ驚かせないように振り返り「大丈夫?」と笑って手を差し出した。だがそれが、ニナにとっては衝撃的だっただろう。ドレスが血まみれに染まりながら笑顔を見せたのだから。ニナは「近寄らないでっ!」と叫んで泣き出してしまった。その言葉に、フローラは傷ついた。胸の痛みよりも、心の方が痛かった。
フローラは人形になったように動けなかった。
相手はそれに気付いていない様子だった。
「まぁいいや」
そう言ってフローラに触れようとする。
が、手を出す直前に扉が大きく動いた。見ればルドルフが体を使って開けたらしい。呼吸が荒い。走ってきたようだ。ルドルフを見た瞬間、フローラは目を見開く。
「なんだお前っ……。がはっ!」
中に大股で入って来るのを見たダニエルは焦るが、何か言う前にルドルフの手が出ていた。容赦なく顔を殴り、床に沈めている。フローラは反射で後退りしてしまう。慌てて胸元は腕で隠した。
その間にルドルフはダニエルを警備の者に渡していた。そしておもむろに上着を脱ぎ、そのままフローラにかけてあげる。目が合うが、彼は何も言わなかった。そのまま部屋から出ようとする。
「ま、待って、」
手を伸ばすと腕が掴めた。
彼は一瞬動きを止める。
「ご両親を呼んでくる。あと、フローラの友人も」
「待って」
「大丈夫だ。安心できる人を連れてくるから」
安心できる人、と言われて、フローラは言葉を詰まらせた。彼がそのまま行ってしまいそうだったので、反射で「待ってっ!」って声を絞り出す。
ルドルフが振り返ってぎょっとした。
すぐに膝をつき、目線を合わせてくれる。
「大丈夫か。どこか怪我したのか」
なぜそんなに慌てているのだろうと思えば、フローラは自分の目元が濡れていることに気付く。涙が溢れ出ていた。空気を欲するように、必死に呼吸してしまう。先程までの出来事を思い出し、震え出した。そのまま、とめどなく涙が流れる。
「フローラ、」
ルドルフが何か言いたそうにしていたが、フローラは何も言えなかった。そのままずっと泣き続けることしかできなかった。
「俺が女性だったら、」
急にそんなことを言う。
「抱きしめてやるのにな」
苦笑交じりで言われる。
少しでも笑わせようとしてくれたのか、それとも少しでも泣き止んでほしいと思ったのか。フローラはそれを聞いて、何も言えなかった。だがあんな男に触れられるくらいなら、ルドルフの方が良かった。だがそれを口にできるわけもなく。ただ泣いていた。
「俺、ここにいていいか?」
何度もルドルフに聞かれる。
涙が止まらないからだろう。フローラは必死に何度も頷く。「人を呼んでこようか」とも聞かれたが、左右に首を振った。今他の人に会う方が気まずい。
涙が止まらなかったが、しばらくすると落ち着いてくる。随分泣いた。こんなにも人前で泣いたのは初めてかもしれない。
「落ち着いたか?」
「……ええ」
その間にも水の入ったコップやタオルを渡してくれ、傍にいてくれた。フローラは段々恥ずかしくなってきた。あの場面を見られただけでなく、泣き顔も見られてしまった。引き留めたのは自分だが。
「何かしてほしいことはあるか?」
優しく問いかけてくれる。
まず何があったか聞かれると思ったのに。何よりもフローラの心を大切にしてくれる。その優しさにまた泣きそうになった。誤魔化すために茶化して聞く。
「なんでもしてくれるんですの?」
「今ならなんでも叶えられるぞ」
ルドルフは乗ってくれる。
思わずフローラは小さく笑った。
「本当に?」
「ああ。本当だ」
「じゃあ抱きしめてくださる?」
もちろん冗談だ。
最初にそう言ったのは相手なのだから。
きっと「何言ってんだ」と笑われるに決まっている。意外にもルドルフは真面目な顔になって「嫌じゃないか?」と聞いてくる。
(え)
「……嫌、なら言いませんわ」
正直に伝えるとルドルフは何か考えるような素振りをする。
そしてそっと近付いてきた。
「怖くないか?」
「……いいえ。あなただもの」
すると相手は両手を広げた。まるで自分から動かないから好きにしろ、とでも言うように。冗談で言ったのに。冗談だと気付いてくれると思っていたのに。これも彼なりの気遣いなのだろうか。
フローラは、吸い込まれるようにルドルフに近付く。ドレスに亀裂が入ってしまったので、ルドルフの上着を前にしたまま、彼に触れた。
すると、ゆっくり抱きしめられる。
弱い力で。近くなりすぎない距離で。
でも、人に触れていると分かる感触で。
(……大きいわね)
すっぽり包まれていた。近くで見てもルドルフは背が高く大きいが、抱きしめてもらうとさらにその大きさを理解する。しばらくそのままでいた。二人共、何も言わなかった。
フローラは目を閉じる。
彼の胸は、想像より心地よかった。
自然と口を開く。
「……私の、過去を聞いてくださる?」
「聞いていいのか」
「ルドルフ様……ルドルフならいいですわ」
「え。名前、」
「いいから聞いて」
流れで呼んでみたら嬉しそうな声色で、なんだかむず痒くなってくる。だから話を進めようとすると「はい」と彼は大人しく聞いてくれた。
ニナを庇ったこと。体に傷があること。周りに色々と言われ過ぎて、心が枯れていたこと。
ルドルフは相槌を打ちながら聞いてくれた。
しばらくしてから、ゆっくり問いかける。
「傷があること、今も嫌か?」
「……分かりませんわ。でも、体に傷があることで、嫌がる人はいると思って」
「嫌がる?」
「……女性の、魅力が下がるような気がして」
誤魔化してそんな話をする。するとルドルフは何か考え、ゆっくり離した。そして「そこで待ってくれ」と言われ、どんどん距離を取る。
そんなに離れてどうしたのだろうと思えば、急に彼はシャツを脱ぎだす。慌ててフローラが顔を背けると「もういいぞ」と声をかけてくる。ちらっと目を動かすと、息を呑んだ。
ルドルフは鍛え抜かれた筋肉を持っていた。だが注目するのはそこではない。体に無数の傷があった。小さいものから、赤黒い痛々しい大きな傷さえある。前にも背中にも、たくさん存在していた。
「……怖いか?」
すぐに首を振る。
ルドルフは小さく笑う。
「木に登って落ちた傷とかもあるけど、ほとんどは魔獣にやられたんだ」
「え……」
「俺の両親は子供の頃に魔獣に殺された。だから今は村のじいさんが俺の親代わりで……。昔から魔獣を退治したい気持ちが強かった。両親がいた頃の記憶はないが、大切な人を奪われたから。もう何も奪われたくなくて」
村にいた間も魔獣がいれば退治するような日々だったという。自作の武器を使いながら、どうすれば村の人達を、大事な人達を救えるか、考えていたという。彼の過去を聞き、フローラは静かに彼を見つめる。だが相手は、思ったより晴れやかな顔をしている。
「王都に来て騎士になって、魔獣を倒す術を教えてもらえて、俺の夢は叶いつつある。体に傷があることを気にしてた頃はあるけど、でもこれは全部、俺の過去の功績で、努力で、決して恥ではないと思っているんだ」
フローラは頷く。
そうだ。傷があることは恥ではない。
それは人を守った証だ。
「女性と男性じゃ考え方は違うかもしれないが、俺はフローラに傷があってもなくても、何も変わらない。その傷は誰かを守ったものだろう。なら俺は誇らしい。人を守って助けたんだ。フローラはすごいよ」
(ああ、また)
泣きそうになる。
彼にそう言ってもらえたら、過去の自分は無駄ではなかったかもしれないと思える。女性として傷があることが不利になってしまうと思っていた。でもそれを気にしたくなかった。でも周りの言葉で気にしてしまった。自分以上に傷を持ち、尊敬する人がすごいと言ってくれる。これ以上のありがたさがあるだろうか。
「……あの、ルドルフ」
「うん」
「私の傷も、見てもらえませんか」
「うん?」
「あなたから見て本当に大丈夫かどうか、少し不安で」
言いながらフローラは上着を外そうとする。
すると相手は慌てて近付く。
「待て待て待て。やめろ」
「え。でも、」
「それは、駄目だ。絶対駄目だ」
「あなたに見てもらいたいんです」
大丈夫だと言われたら、安心できるような気がして。
だが相手は何度も首を振る。
「待て。本当に。駄目だから」
「でも、」
「――ねぇちょっと。いつまで待たせて……は?」
しびれを切らしたのか、ニナが部屋に入ってくる。
こちらを見て叫んだ。
「こ、この変態っ! フローラに何してんのよ!!!」
「「え!?」」
二人は改めて互いの姿を見る。
フローラは上着を前にして隠し、ルドルフは上半身裸。今見た人からしたら、確かに何事かという話になる。ニナはずかずかと中に入り、ルドルフを押しのける。
「信じらんない。フローラに近付かないでっ!」
「あ、あの。あなたは……」
「私よフローラ。ニナ」
「ニナ……!?」
「それよりあんた、さっさと服を着なさいよ!」
彼女がぎゃあぎゃあ叫んだおかげで、フローラの両親や他の人も部屋に集まって来る。いつの間にか人が増えていた。フローラとルドルフは、顔を見合わせて少し笑ってしまった。




