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14*確かな前進

 ルドルフに恋人ができたんじゃないかという噂は瞬く間に広がり、フローラの耳にも入ることになった。


 彼に一目惚れをしたマリーが話を広めているという。失恋した話を周りにするのかと困惑していると、なんとも信じがたい話が飛び込んでくる。ルドルフがとある女性に口付けしていたという話だ。


「女性の顔は見えなかったらしいですが、あれは絶対に美人だったと、マリー様はうっとりしていたらしいですわ」

「自分の恋が破れたのにそこまで言うなんて、よっぽど美しい光景だったのでしょうね。それで、ミカエラ様。その女性が誰かは分かったんですの?」

「それが……ルドルフ様に皆が問い詰めている姿は見かけるんですが、黙秘を続けているようです」


 エナとレベッカは「あらぁ!」と声を揃える。


「相手の女性をきっと庇っているんですわ。さすがルドルフ様……!」

「愛おしそうに彼女を見ていたそうですわよ。きゃあ! どんな顔なのかしら、見てみたいですわ~!」

「フローラ殿は、何か聞いていませんか?」

「えっ?」


 思わず声が裏返ってしまう。

 フローラは紅茶でさっと顔を隠す。


「さ、さぁ。そんな話、聞いたことないですから……」


(本当に聞いてないですわよっ……!)


 顔がどんどん熱くなる。


 どういうことだ。

 そんなことはないはず。


 そう、あの時は少し近付いて終わりだったはずだ。だがその時フローラは、自分は目を閉じていたことを思い出す。つまり、何があったか知らない。







「ルドルフ。フローラに何したって?」


 急に呼び出されたと思ったら。


 ヨセフィーナが満面の笑みでいる。

 それが逆に怖く見えた。


「……誤解です」

「誤解ならなんでこんなに噂が広まっているのかなぁ。本当にしてないの? してないのにこんなに噂広がるの? フローラは許可したの? それともあの子の良心を利用したの?」

「待ってください全部説明します、しますから……!」


 語尾がどんどん強くなるのでルドルフは根負けする。あの場面を見られて事情を知っているが故に、誤魔化すことなどできなかった。マリーが噂を広めなかったら、一生闇のままであったのに。


 全部一から説明すると、納得してくれた。


「なるほどね」

「すみませんでした……」


 反射で謝る。

 思いのほか噂が立ったせいもある。


「まぁただのフリであるし、そんなに距離が近くなかったんでしょう? だって近かったらフローラも気付いているもんね」

「はい。距離感には気を付けましたし、顔が重なって見えるようしただけです」

「だよねぇ。でもフローラはこの事を知らないんだよね?」

「……はい」

「そう。じゃあフローラ。出ておいで」

「!?」


 そっとヨセフィーナの後ろの椅子からフローラがちらっと顔を見せる。やたら大きくて豪華な椅子に座っていると思っていたら。


 彼女は目を合わせてくれない。

 ついでに少ししか顔を見せてくれない。


(やばい)


 ルドルフは一気に顔が青ざめる。

 せっかく気を許してくれるようになったのに。


「……も、申し訳」

「ルドルフ様は、女たらしだったんですね」

「!? なんでそうなる」

「だって、女性の扱いが上手いから、こんなにも噂が広がっているんじゃありませんか」

「ちがっ。俺だって驚いてる。絵画みたいだとかそんなの、意識してできるわけないだろ」

「嘘ですわっ! きっと何人もの女性にも同じことをしてきたんですわ……! 人たらしなだけでなくて女たらしだったなんて……!」

「は!?」


 何の話だ一体。

 今何に対して怒られているんだ。


「んなわけねぇだろ! 大体あれは、フローラだったから上手くいったんだよ」

「!?」

「綺麗だったんだ、すごく。触れるのも怖いくらい、綺麗だった。だから……気を付けた。本当に口付けしないように」

「……ば、馬鹿!」

「え!?」


 フローラはまたヨセフィーナの椅子の後ろに完全に隠れてしまう。馬鹿呼ばわりされてしまい、ルドルフはショックを隠し切れない。だが、普通に考えたら、そう言われても仕方ないかもしれない。


 と思っていたが、ヨセフィーナはなぜか笑いを堪えていた。いや、正直耐えていない。笑いながらも一応真面目な顔をしている。


「ふ、ふふふ。で、フローラ。ルドルフのこと許す? それとも処す?」


(処す!?)


 これは手を出したことになるのか。

 遂に実行されるのだろうか。


 ルドルフは固唾を吞んで待つ。


「…………。処さなくていいです」


 思わず息を大きく吐いた。

 どうやら首の皮一枚つながったらしい。


「ですがっ……。しばらく顔を見たくありません」


(えっ)


 まさかそう言われると思わず、ルドルフは思いのほか動揺する。するとヨセフィーナは「まぁ妥当かな」と真面目に言い放った。


「というわけでルドルフ。しばらくフローラに話しかけるの禁止ね。あと噂はどんなことをしてもいい、相手がフローラであることは一生隠し通すように。フローラの名誉のためにも」

「……もとより隠すつもりではありました。……え。フローラ、」

「名前を呼ばないでください」


(うっ)


「もう戻っていいよ」

「……はい」


 主君にそう言われたらこの場に留まる理由がない。

 ルドルフはゆっくりと歩き出し、小声で「ごめん」とだけ言った。


 扉が閉まってから、ヨセフィーナは笑い始める。

 フローラはゆっくり椅子から姿を現す。


「……ヨセフィーナ様。笑い過ぎです」


 彼女はツボに入ったのか、ずっと笑っていた。


「だって、だって……あははっ! ルドルフが正直過ぎて。フローラに見惚れたって言ったようなものじゃない」

「ちがいますっ! そういうのじゃありませんわっ!」

「フローラもフローラで、口付けのフリをしたことを怒ってるのかと思いきや、女たらしって思うって。あははっ。二人共可愛いねぇ」


 一刻も早く笑うのを止めてほしいと思いつつ、生理現象なので止めるすべもなく。フローラにひたすらに不機嫌な顔になるだけだ。


 もちろんこんなことになって、隠されていたことは嫌な気持ちになった。だがあの場合はそうせざるを得なかったわけで、なるべく近付かないように配慮はしてくれた。だからそれに関してはいい。問題は別だ。


「フローラからしたら、恥ずかしかったんだよね」


 思いのほか誇張されている噂を聞くに堪えられなかった。物語の主人公達のような話が飛び交えば、誰だって頬に熱が集まってしまう。しかもそれを隠し通さないといけないのだから。余計に心苦しくなるだろう。


「……寝顔を見られるのと一緒ですわ」

「確かに。勝手に見られたくはないよね。それをルドルフに説明するのも恥ずかしいし。でもよかったよ」

「?」

「ルドルフなんてもう友人じゃない、とか言い出すんじゃないかと思ったから」

「…………そこまでではありません」

「いい人ではあるもんね。ちゃんと謝ってくれたし」


 ヨセフィーナは柔らかく微笑む。

 今度は優しく見守るような表情になっていた。


「で、でも。しばらくは顔を見たくありませんわ」

「思い出して恥ずかしくなるもんね」

「ヨセフィーナ様っ!」


 人の心情をそんなにはっきり口にしないでほしい。


「ごめんごめん、遊びすぎた。逆にしてやったらいいかもね」

「?」

「ルドルフに目を閉じてもらって、凝視したらいいんだよ。それならフローラの気持ちが分かってもらえるでしょ?」

「それは……」


 意外と、名案かもしれない。


 彼も同じ気持ちになれば、より反省してくれるかも。と思いながらも、やっぱり今は顔を見たくない。落ち着いた頃にやらせるのはいいかもしれないと考えた。







「最近、ルドルフ殿の元気がないんです」


 三日後。いつものランチで急にミカエラがそんな話をし始める。フローラは顔色が変わらないように耐えたが、エナとレベッカは心配そうな顔になった。


「あら……」

「どうされたのかしら」

「原因が分からなくて。からかっていた人達も心配するレベルです。一部ではフラれたんじゃないか、みたいな話にもなってきて」

「まさか、この前噂になっていた女性と?」

「あんなに熱烈に愛し合っていたのに?」


(愛し合っていませんわっ)


 フローラは心の中でツッコミをする。


「仕事中も上の空で、同室のケヴィン殿も心配してますね。今度大きな討伐の仕事があるので、支障がないといいんですが……」


(え)


「大きい仕事があるんですか?」

「はい。魔獣の数も通常より多い場所です。ルドルフ殿の隊は実力者揃いで問題ないと言われていますが、今のルドルフ殿が実力を発揮できるか……隊長も少し悩まれているようで」


(そんな)


 彼が悩んでいるのは、自惚でなければ、自分のことかもしれない。と、フローラは思うが、さすがにあれくらいで、とも思ってしまう。だが顔も見たくないなんて言ってしまったし、部屋から出るルドルフの顔は落ち込んでいる様子だった。もし本当に原因が自分なら申し訳ない。彼の仕事に影響が出てしまっている。


 なんとかしなければ、と思いながらも、本当に自分が原因なのか、やはり自惚れではないだろうかと、自信は持てない。でもこのままではよくないのは確かだろう。だからといって、まだ顔を合わせる気にはなれない。ヨセフィーナの言う通り、恥ずかしさが残っているからだ。


 三人がまだ何か話している間に、フローラは必死に考えた。会わない間でも、できることを。


(……そうだわ)


 離宮に戻ってからフローラは、急いであるものを作った。







「本日討伐する予定の魔獣は、体は大きいし力も強いと報告がある。皆、いつも以上に気を引き締めるように」


 ジェームスが部隊の面々にそう伝えると、すぐに皆、大きな返事を返す。気合いが入っていることを確認しつつも、隣にいる副隊長の様子に、眉を寄せた。


「おいルドルフ。この前から変だぞ。どうした」

「……別に」

「分かりやすすぎるだろう。フローラのことか?」


 名前は小声で言う。

 他の人に聞こえないように。


 騎士団でのルドルフは、人と上手くコミュニケーションが取れている。敵対視している者は多いが、彼自身あっさりしている性格で剣の実力もあるため、いつの間にか仲良くなっているケースが多い。そのため、人間関係であまり苦労している様子はないのだが。考えられるとすれば、フローラくらいしか浮かばなかった。


「どうした。喧嘩でもしたのか」

「……いえ」

「やる気は出してくれよ。頼りにしてるんだからな」

「……はぁ」


 ルドルフは溜息で返してしまう。


 こんなにも気持ちが引っ張られていることに、ルドルフ自身が実は驚いていた。彼女からすれば嫌だったことをしてしまっただけで、怒られるのは最もだ。友人関係を破棄すると言われたわけじゃないし、それは救いだったといえよう。


 だが彼女が目も合わせてくれなかったこと、顔も見たくないと言ったことに、思ったより衝撃を受けたのだ。まさかこんなに落ち込むと思わなかった。


 何を言っても上の空であるルドルフに、ジェームスはある物を渡す。


「これ。フローラからお前宛だ」

「……え?」


 渡されたのは真っ白なハンカチとメッセージカード。


 ハンカチには刺繍が施されていた。

 赤い鳥だ。


 まるで不死鳥のごとく力強い翼を持つ鳥が描かれていた。刺繍の腕前はあるようで、立派な鳥だ。見るだけで力をもらえるような気がした。メッセージカードには短く「怪我をしないように気を付けてください」だけ書かれていた。達筆な字で、フローラらしい。


「村ではどうだったか知らないが、王都では刺繍したものを贈ることがお守りとされている。彼女は手先が器用で刺繍も上手い。喜べよ。滅多に人に贈ったりしないんだから。俺だってもらったことがない」


 ジェームスが鼻を鳴らす。

 少しだけ羨ましいらしい。


 ルドルフはいつの間にか頬を緩ませていた。


 怒っていたであろうに。顔も合わせたくないだろうに。わざわざ自分のために用意してくれたのだ。ルドルフはメッセージカードとハンカチを胸に抱いた。さっきまで気持ちが下がっていたのが嘘のように、顔が晴れやかになる。


「やれやれ……」


 ジェームスが呟く。


 やっと本調子になったことで、安堵する。

 そしてやはりフローラ絡みかと、若干呆れていた。


 そしてその日。いつも以上に士気の上がったルドルフは、誰よりも魔獣を狩って功績を上げる。ジェームスとの一部始終を見ていた騎士が、少しだけざわついていたのはここだけの話だ。 







 一方そんなことは知らないフローラは。

 別のことに悩んでいた。


 聖職者であるシャントから言われたのだ。


『あなたは現在、人前に出ていらっしゃいませんね。できるだけ人目を避けていらっしゃる』

『……はい』

『もし聖力があると発覚し、聖歌隊に所属する場合、多くの人の目に触れる仕事を行うことになります。それは……大丈夫ですか?』


 今は第二王女の侍女であり、離宮で働いているから、多くの人から注目されることはない。だが聖歌隊に入れば、大勢人がいる場所に出向くことになる。


 祈りや歌は、ただ建物の中で行うわけじゃない。討伐部隊に同行し、その場で行うこともある。国民に組織のことを知ってもらうため、人前に出ることもある。それが可能なのか、問われた。


『それは……』


 すぐ返事ができなかったのは、自信がなかったからだ。過去の出来事により、人前に出ることに苦手意識があった。だが最近は、それが少し薄れている。周りの人達のおかげで。


 でも、全く知らない人の前でも可能なのか。自分を知っていて、悪意を持って近付いてくる人がいても大丈夫か。何を言われても、毅然とした態度でいられるか。それはまだ……分からない。


 それをヨセフィーナも心配していた。


 だが自分にできることがあるのなら、挑戦してみたい思いもある。ルドルフが討伐部隊で大きな仕事をすると聞いた時も、自分もサポートができるのではないかと、少しだけ考えたのだ。


 だが検査を受けるよりもまず、本当に人前に出られるのか。それを確認する方が先決で。丁度いい知らせが、今日届いた。


 父からの手紙だ。

 招待状もついていた。


 母が気を失ったと知って早急に謝罪の手紙を送れば、それに対してはいいと返事があった。それよりも久しぶりにドレスを着て立派に振舞う姿に感動した、とまで書いてくれた。


 いい知らせというのはこの続きの内容だ。


『ヨセフィーナ殿下の誕生パーティーで知人と会った。フローラの姿を見て、懐かしく感じてくれたようだ。よければ話をしたいと言ってくださったんだが、フローラとしてはどうだ。久しぶりに社交界に出てみるのは。無理にとは言わない。私もネリネも参加する予定だ』


 ヨセフィーナの大事な式典の場では、声をかけるのは控えてくれたそうだ。両親も参加するので一人ではない。だが、社交界自体久しぶりだ。見知った人はおそらくほとんどいない。守ってくれる人はいないようなものだ。見定めされる可能性もある。社交界だから誰でも参加はできる。会いたくない人に出会う可能性もある。


 それでも。


(……いつまでも。逃げているわけにはいかないもの)


 周りで前に進んでいる人達を見ると、立ち止まっている自分がなんだか恥ずかしくて。悔しくて。だから自分も、その横に並べる人になりたい。そう思ったのだ。


 フローラは招待状の出席に丸をつける。

 気合いを入れて、参加に向けて準備を進めた。

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