共同体への執着
タイトルのようなものを知人はもっているようだ。
その知人は高校の同期である。彼が母校の活躍をリツイートしているのを見たのがきっかけだった。リツイートの内容は、母校の部活動に関するものであった。僕が見た限り、その知人は自分がいた高校の活躍を周囲に広めたいと思っているようだ。また、母校の活躍を自分のことのようにうれしく思っているようだ。しかし、僕が知っているかぎり、取り上げられている部活動は、その知人と直接的な関係はないと思える。彼は、別の部活に参加していたからだ。
つまり、たんに母校の活躍をよろこんでいるのだ。僕には不思議な感覚だった。なぜなら、とっくに卒業した僕からすれば、母校の高校が良い成績を残していようがなかろうがどうでもいい。もっと言ってしまえば、廃校してしまっても、どうとも思わない。そのぐらい、母校愛というものを抱いていない。
大学で久しぶりに再開した高校の同級生は、会ったとたん、僕に同期生の活躍を報告し始めた。「あいつ、〜大学に合格したんだ。すごいよな」と。どうやら、その人と同じ予備校で勉強した仲らしい。他人の自慢話を出会ってすぐに始めた彼に、僕は不思議な感覚を抱いた。
高校であろうと、予備校であろうと、同じ共同体にいた人々に、人間は愛着をもつ。その思い入れのある共同体が活躍すれば、それに乗じて、そこのOBである自分も活躍した気持ちになるのだろうか。高校が有名になれば、自分もほんのちゃっぴり有名になった気分なのだろうか。同じ予備校生が、難関大学に合格すると、なぜだか自分も勉強できるように感じるのだろうか。不思議なものである。
ただ、僕自身の統計では、自分が過去に所属していたグループや共同体(学校、部活、サークル)に繋がろうとする人は、現状の自分に満足していないことが多い。もちろん、これは主観的な観測である。
いまの自分に不満を抱えているから、自分と関わりのある共同体をもちあげ、自分に対する自己評価を間接的にあげようと試みる。それで心が明るくなるなら、それでいいと思う。ただ、実際のところ、その人自身は何も向上していないことも忘れないほうがいい。




