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第3話 図書館では、お静かに

 図書館の扉を開ける前に、セレナはレオンを振り返った。


「今日は、ご案内ですからね」


「ええ。承知しています」


 穏やかな返事だった。


 セレナは扉に手をかけた。


 中へ入ると、靴音の響きが変わった。


 高い天井の下に、長い机が並んでいる。


 窓から差す光が机の端を照らし、その先では生徒が一人、頬杖をついて本を読んでいた。


 壁際には書棚。その上にも回廊があり、さらに書棚が続いている。


 レオンは、上を見た。


 それから、奥を見た。


「相変わらず、立派ですねえ」


「今回は、維持費の話ではありませんね?」


「ええ。今回は」


 セレナは、少し笑った。


 紙をめくる音が、近くの席から聞こえた。


 二人も声を落とし、受付へ向かった。


     


「こちらが閲覧室です。貸し出せる本は借りられますが、持ち出しのできない資料もあります」


 セレナは、入り口近くの案内を示した。


「貴重書や傷みやすい原本をご覧になるときは、先に司書の方へ。


 そうした資料の書庫には、勝手に入れません」


「傷みやすいものもあるでしょうからね」


「ええ。それに、探すだけでも大変ですから」


 受付の向こうで、司書が顔を上げた。


 セレナが挨拶すると、向こうも会釈を返す。


「今日はレオン先生に、館内をご案内しているんです」


「それは、ごゆっくり」


 司書は、レオンへ目を向けた。


「先日ご覧になっていた本は、見つかりましたか?」


「ええ。教えていただいた棚に。助かりました」


 セレナは、隣を見た。


「こちらには、もう慣れていらっしゃるんですね」


「まだ、よく使う棚だけですが」


「……学園も、そればかりでしたね」


 レオンは、否定しなかった。


 司書が小さく笑い、机の上の本へ目を戻した。


「分からないことがあれば、お声がけください」


   


 閲覧室の奥へ進むにつれ、机よりも書棚のほうが目立つようになった。


 魔術の理論書。歴史。地理。動植物。


 背表紙に並ぶ文字を追っているだけでも、歩く速さが落ちていく。


「外国から来た本も、ずいぶんありますね」


「ええ。授業や研究のために集めたもののほかに、寄贈された本も多いんですよ」


「長い間に、集まってきたんですねえ」


 レオンは、棚の前で足を止めた。


 セレナも止まった。


 隣の本へ視線が移る。


 もう少し待った。


「レオン先生」


「はい」


「まだ、一つ目の棚です」


「ええ。分かっています」


 返事の間にも、視線は背表紙を追っていた。


 セレナは、先ほど練習場で聞いた会話を思い出した。


 基礎からでよければ。


 あの場でレオンとエドの話が始まっていたら、まだ図書館にも着いていなかったかもしれない。


「こちらの棚へも、どうぞ」


 そう促すと、レオンはようやく顔を上げた。


「失礼しました」


「気になる本がありましたら、後で借りましょう」


「それは、ありがたいですね」


 セレナは、貸し出しの冊数制限も案内しておこうと思った。


    


 次の区画には、大きさの不揃いな本が並んでいた。


 薄いものもあれば、両手で抱えるほど厚いものもある。


「こちらには、学園に関する記録もあります」


 セレナが言うと、レオンの目が止まった。


「学園の?」


「ええ。先ほどご覧になった建物の、昔の姿も分かるかもしれません」


 レオンは、一冊の背表紙へ手を伸ばした。


 棚から抜いて表紙を開くと、古い学園案内を写した、閲覧用の本だった。


 二人は近くの閲覧机へ移った。


「これも、案内のうちですね」


 レオンが言った。


「ええ。これでしたら」


 セレナは隣の椅子を引いた。


 本を開くと、学園を描いた図が現れた。


 細い線で描かれた校舎。その間を通る道。庭園。


 レオンは、正門を見つけてから、指先を紙に触れない高さで動かした。


「こちらから入って……今は、この辺りでしょうか」


「そうですね。この棟が図書館です」


「すると、練習場から通った道は――」


「この図では、まだつながっていませんね」


 二人は顔を寄せた。


 セレナは、知っている建物を順に探した。


 毎日歩く道なのに、図の中では行き止まりになっている。


 反対に、今は建物があるところを、昔の道が通っていた。


「ここ、昔は庭だったんですね」


「増築したんでしょうね。先ほど見た壁の継ぎ目も、この辺りでしょうか」


「ええ。位置は合っています」


 セレナは次の頁をめくった。


 そこにも挿絵があった。


 回廊の柱が、今より少ない。


「あら。こちらの端も、後から延ばしたものだったんですね」


「そのようですねえ」


「私、ずっと同じ時期に建てたものだと思っていました」


 もう一度、図と挿絵を見比べる。


 今度、通るときには外側からも見てみよう。


 そう考えたところで、レオンが別の場所を示した。


「あの木も、ありますね」


 庭園の奥。


 校舎の脇に、大きな木が描かれていた。


「本当ですね。昔から目印でしたよ」


「この図でも、大きいですねえ」


 二人は、そろって窓のほうを見た。


 窓枠の上のほうを、緑の枝葉が横切っている。


 セレナは本へ顔を戻した。


「後ほど、実物の下までご案内しますから」


「それは楽しみです」


 レオンはそう答えてから、頁の下へ目を移した。


「おや」


「どうしました?」


「ここに、練習場の図もあります」


 セレナは、また本をのぞき込んだ。


 観客席の描き方は簡略だったが、競技面を囲む形は分かる。


 その一角を見て、レオンが眼鏡を押し上げた。


「こちらが、先ほどの選手用通路でしょうか」


「いえ。あちらは反対側です。ここは今なら――あ、そうか。向きが違うんですね」


「ええ。正門がこちらですから」


「でしたら、私たちが座ったのは、ここです!」


「なるほど。すると、あの結界の設備は――」


「先生方」


 二人は、同時に顔を上げた。


 司書が、机のそばに立っていた。


「お声を、少し」


 セレナの口が閉じた。


 レオンも、背筋を伸ばす。


「失礼しました」


「すみません」


 声をそろえてから、互いを見た。


 司書は会釈をして、受付へ戻っていった。


 セレナは、開いたままの頁へ目を落とした。


 レオンの指先は、まだ練習場の図のそばにあった。


 どちらからともなく笑いそうになり、二人とも一度、口元を押さえた。


    


 しばらくして、閲覧席を立つ生徒が増え始めた。


 レオンが顔を上げる。


 セレナは、窓から差す光の位置を見た。


「そろそろ、お昼ですね」


「もう、そんな時間ですか」


 レオンは、名残惜しそうに本を見た。


 セレナも、頁の端へ目を向けた。


 次の見出しが、少しだけ見えている。


「……続きは、後で読みましょう」


「そうですね」


 レオンは、すぐには閉じなかった。


 セレナも、立たなかった。


 紙が、一枚めくられた。


 今度は二人とも、黙って読んだ。


    


 受付で手続きを済ませたレオンは、借りた学園案内を脇に抱えた。


「お世話になりました」


「また、どうぞ」


 司書は、穏やかに言った。


「次は、お茶でも飲みながらどうぞ。続きのお話は」


「ええ。そうします」


 セレナが、先に答えた。


 レオンが顔を向けると、セレナは借りた本を見ていた。


「まだ、確かめたいところもありますから」


「そうですねえ」


 レオンもうなずき、二人は司書に会釈をして扉へ向かった。


 外へ出ると、木々を渡る風の音がした。


 セレナは、ようやく息をついた。


「私まで注意されてしまいました」


「申し訳ありません。つい、面白くて」


「……私もです」


 セレナは、レオンの抱える本を見た。


「後で、先ほどの回廊を確かめてみましょうか」


「ええ。ぜひ」


 レオンはうれしそうにうなずいた。


 その向こうに、大樹の枝葉が見える。


 セレナは木を見上げ、それから食堂の方角へ顔を向けた。


「まずは、お昼にしましょう」


 レオンも異存はなかった。


 二人は、木の下へ向かう道を通り過ぎた。

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