第2話 結界の向こうの青春
入り口の通路を抜けたところで、セレナは足を止めた。
「こちらが、神舞戦の練習場です」
目の前に、広い競技面が開けていた。
その周囲を観客席が囲んでいる。
今はほとんど空いているが、段になった座席の上まで人が埋まれば、相当なにぎわいになるだろう。
競技面の端には、長い黒髪をゆったりとハーフアップにした女子生徒が立っていた。
すらりとした長身に、背筋の伸びた立ち姿。
横顔は涼やかで、仲間へ向ける微笑みには落ち着きがあった。
その右手に、雷光が剣の形を結んでいる。左腕には、同じ光を帯びた盾。
盾の縁で細い稲妻がはじけたが、彼女は気にする様子もなく、前を見据えていた。
その少し後ろに、明るいオレンジ色の短髪。こちらも長身で、黒髪の生徒より、さらに背が高い。
引き締まった腕で木杖を持ち、前に立つ仲間の向こうへ視線を通している。
「なるほど」
レオンがうなずいた。
「何がですか?」
「いえ。遠くからでも、どちらにいるか分かりやすそうですね」
「あの二人が、ツインタワーズと呼ばれる理由です」
セレナが言い終えたところで、オレンジ色の髪の生徒が杖を振った。
炎の弾が走る。
向かい側で、壁が立ち上がった。
ぶつかった炎が散り、低い音が観客席まで届いた。
先ほど庭園で聞こえたのは、これだったらしい。
「あちらは通称、結界ズですね」
レオンは、壁の向こうへ目を向けた。
眼鏡をかけた、ふくよかな男子生徒が立っている。その左右にも、後ろにも生徒がいた。
「今日は合同練習のようです。ここから見ましょうか」
セレナは、競技面に近い席へ案内した。
座席の手前で、レオンが足元を見た。
競技面との境に沿って、腰ほどの高さの石柱が並んでいた。
柱には魔導具が組み込まれ、その表面を細かな術式が走っている。
「こちらは、安全用の結界ですか」
「ええ。競技面の外へ攻撃が飛び出さないようにしています。練習でも使用前の確認が必要です」
「観客がいなくても、ですね」
「近くを職員が通ることもありますから。それに、隣で別の練習をしている場合もあります」
レオンは、競技面を囲む設備を目でたどった。
生徒が今張っている障壁とは別に、練習する場所そのものを守る仕組みがある。
「選手を守るのは競技用の防具。こちらは、その外にいる人を守るための設備なんですね」
「ええ。役目が違いますから、どちらも必要です」
セレナは、柱と柱の間を示した。
レオンはそこから観客席を眺め、うなずいた。
「こうして案内していただくと、よく分かります。試合を見るときにも、目が向きそうです」
「まだ、ご紹介したいところはありますよ」
セレナの声が、少し弾んだ。
「本番も、同じ場所で試合をするんですね」
「ええ。普段から競技面を使えますから、距離の感覚をつかむ練習にもなります。
玉宝を置く位置も確認できますし」
セレナは、競技面の奥を示した。
「設備の確認や整備をする日は使えませんけれど」
「使いっぱなしというわけには、いきませんね」
「もちろんです」
セレナは今度は、座席の下へ続く通路を指さした。
「あちらが選手の待機場所へ通じる道です。道具を出し入れする際も使います。
大会の日には、観客の動線と分ける必要がありますから」
「これだけの人が集まると、試合以外にも仕事が多そうです」
「始まる前も、終わった後も、ですね」
レオンは、空の観客席を見上げた。
庭を掃いていた男たちの姿が、ふと頭に浮かんだ。
「終わった後は、ずいぶんごみが出るでしょうねえ」
「生徒には、自分の分は持ち帰るように言っています」
「なるほど」
二人の間に、先ほどの低い声がよみがえった。
おい。落としたぞ。
セレナは、笑いをこらえて競技面へ向き直った。
「もう一本、お願いします」
黒髪の女子生徒が言った。
チェチーリアは雷の盾を前へ出し、剣を引いた。
長い黒髪が肩から背へ滑る。その向こうで、ブリジッタが半歩、横へ移った。
二人の視線が一度だけ合った。
向かい側では、小柄な女子生徒が位置についた。
さらに後ろで、結界ズの生徒たちが互いの立ち位置を確かめる。
「前にいるのは、主将のチェチーリアさんです。後ろの背の高い子が、ブリジッタさん」
セレナが、小声で説明した。
レオンはうなずいた。
合図とともに、チェチーリアが踏み込んだ。
小柄な相手の前に障壁が現れる。
雷の剣が振り下ろされた。
光が散った。
チェチーリアは剣を押しつけず、すぐに引いた。横へ回り込み、もう一歩。
足元近くへ返ってきた攻撃を雷の盾で受け、そのまま前へ出る。
盾の向こうから、琥珀色の瞳が次の隙を捉えていた。
正面の守りが、そちらへ動く。
その瞬間、ブリジッタの杖から炎の弾が走った。
チェチーリアの進路を外れ、守りの横手へ。
横から新たな障壁が差し込まれた。
炎がはじける。チェチーリアは止まらず、盾を構え直して剣を振るった。
また、壁が受けた。
雷光の向こうで、一枚が消え、その隣に別の一枚が立ち上がる。
レオンは、後方に立つ茶色の短髪の男子へ目を向けた。
彼自身は、ほとんど動いていない。
前の生徒が横へ抜ける、その先に防御板が現れた。
離れた位置から差し込まれた守りが、ブリジッタの次の一撃を受け止める。
前では、雷の剣と盾。後ろからは、間を置かずに砲撃。
その攻撃を受けている側に、まだ一人も倒れた者がいなかった。
「ここまでで」
声がかかり、生徒たちが構えを解く。
雷の剣と盾がほどけ、チェチーリアが息をついた。ブリジッタも杖を下ろし、前髪をかき上げる。
向かい側では、結界が消えた。
「今の、少し右が空いたな」
眼鏡の男子生徒が言った。
「うん。次は直す」
隣の男子が答えた。
「後ろは?」
「間に合ったよ」
茶髪の男子が、短く返す。
皆、息は弾んでいる。それでも声を張ることなく、今の攻防を振り返っていた。
チェチーリアが、その様子を見て笑った。
「今のも、通りませんでしたね」
ブリジッタは競技面を見つめ、杖を握り直した。
「もう少し、間を詰めてみましょう」
レオンは、口元を緩めた。
「よい練習相手ですねえ」
「ええ。なかなか崩れてくれませんから」
セレナも、笑っていた。
セレナが手を上げると、チェチーリアがこちらに気づいた。
「セレナ先生。おはようございます」
「おはようございます。今日は、レオン先生をご案内しているところです。少し見学してもいいかしら」
「もちろんです」
チェチーリアは隣のブリジッタとともに近づいてきた。
間近で見ると、二人ともすらりと背が高い。
「お邪魔しています。よい練習ですね」
レオンが言うと、チェチーリアは微笑んだ。
「結界ズの皆さんに、お付き合いいただいているんです」
「守るのは、得意ですから」
結界ズの側から、よく通る声がした。
眼鏡の男子生徒が、静かにうなずいている。
その隣で、茶髪の男子が付け加えた。
「次は攻守を交代するんです。攻める練習は、相手がいないとできないので。こちらも助かっています」
「それは、お互いによいですね」
レオンが答えたとき、競技面の端から声がした。
「先輩。さっきのところ、もう一度教えていただけますか?」
くすんだ金髪を三つ編みにした女子生徒だった。
結界ズの男子が、すっと背筋を伸ばした。
「ああ。もちろん」
その隣の男子も、一歩前へ出た。
「どのところ?」
「攻撃が来てから、防御板を出す位置を変えたところです」
「ああ、あれはね」
二人の声が重なった。
顔を見合わせる。
「……先、どうぞ」
「いや、君から」
レオンは、二人の服に目を留めた。
練習用なのだろうが、片方は襟元をきちんと整え、もう片方は妙に新しい上着を着ている。
袖口には、まだ折り目が残っていた。
セレナも気づいたらしい。
二人は何も言わず、少しだけ場所を空けた。
観客席のそばには、ほかにも生徒がいた。
淡い緑色のおかっぱ頭の少女と、その傍らに立つ大鹿。
少女は、説明を受けている先輩たちと、競技面とを交互に見ていた。
大鹿の長い角も、同じほうを向いている。
少し離れた場所では、男子生徒が防具を確かめていた。
「エミール」
結界ズの一人が声をかけた。
「そっちは、どうだ?」
「うん。慣れてきたよ」
「そうかそうか」
なぜか、肩をたたかれた。
「ところで、どうなんだ?」
「何が?」
男子はちらりと、女子たちのほうを見た。
エミールは、防具を置いた。
「僕は、チームの理念に惹かれて――」
「それは聞いた」
即答だった。
チェチーリアが、二人のほうを向いた。
「エミール。次は後ろをお願いできますか?」
「もちろん」
エミールは木杖を取り、競技面へ戻っていった。
結界ズの男子が、うらやましそうに見送る。
「以前は、同じチームだったんです」
セレナが、レオンにそっと教えた。
「移ってからも、こうして練習するんですね」
「ええ。結界ズは公認の部で、ツインタワーズは同好会ですから。練習場を使うときは、合同で」
レオンは、競技面へ戻っていく生徒たちを眺めた。
教える側は、まだ少し胸を張っている。
教わっていた女子生徒は、防御板を出す位置を指で確かめていた。
「場所を一緒に使うと、こういうこともあるんですね」
レオンが言った。
セレナは、うなずいた。
次の練習が始まる前に、二人は見学を切り上げることにした。
「ありがとうございました。お邪魔しました」
レオンが会釈すると、眼鏡の男子生徒が、観客席の境に目を向けた。
「先生。そちらの設備にも、ご興味が?」
「ええ。懐かしいので、少し拝見していました」
男子生徒の目が輝いた。
「でしたら、安全用の結界と、我々が使う結界との違いについて――」
「エド」
茶髪の男子が呼んだ。
「先生方、案内の途中だから」
「手短にする」
「どのくらい?」
エドは少し考えた。
「基礎からでよければ」
「長いやつだ」
セレナは、レオンへ向き直った。
「続きは、また今度にしましょうね」
「ええ。ぜひ」
レオンは、心から楽しみにしている顔だった。
セレナは先に通路へ出た。
後ろから、少し残念そうな声が聞こえる。
「基礎を省けば、短くできるんだが」
「もっと分からなくなるだろ」
レオンの笑う声が続いた。
今度は足音も、きちんとついてきている。
「次は、どちらですか?」
「図書館です」
「おや。それは、時間がかかりそうですねえ」
セレナは歩きながら、今日の予定を頭の中で組み直した。




