蓼科高原編 ~ 紅葉狩りの行きはよいよい、帰りは? ~
紅葉の便りが、各地で聞かれるようになった。そこで、例年訪れている蓼科高原に紅葉狩りに行くことにした。しかし、先日から風邪を引いたらしく、特に喉が痛かった。そこで薬を2日ほど飲むと、喉の痛みは治まった。体調もすっかり回復したように思えたので、もう薬を飲まずに出かけた。
中央道を諏訪南ICで降り、エコーラインを西進し、原村を通って、まずは蓼科湖を訪れた。駐車場は紅葉めあてのクルマで満車状態であったが、なんとか駐車することができた。蓼科湖の標高は1250m。10月中旬なので、ここはまだ紅葉には少々早いようで、色付いている木々はわずかしかなかった。すぐにその場をあとにして、もっと標高の高い女神湖を目指した。道中、数台の古いフランス車を見かけた。きっと女神湖の音楽堂でフランス車ミーティングでも行われているのだろうと思いながら山岳道を上がっていった。
女神湖と白樺湖との分岐点を過ぎ、峠の「夕陽の丘」という駐車場に寄った。ここは、いつも立ち寄る紅葉スポットである。眼前の左手から稜線に合わせて紅葉した木々が錦を織りなし、眼下には落葉松林の黄葉が敷き詰められていた。まさに、唱歌「もみじ」の歌詞そのままのような景色が眼下に広がっていた。写真を撮った後、錦秋の風に吹かれるまま、しばらくそこに佇んでいた。
女神湖に着いた。標高1800m。私たちの訪れを待っていたかのように、木々が紅や黄に山々を染め上げていた。湖岸をクルマで巡りながら湖沿いに紅葉した木々や湖面、蓼科山などを背景にして何枚か写真を撮った。
その後、蓼科山のロープウェイで、御泉水自然公園まで登った。そこには、ここ数年来流行りの「見晴らしテラス」があった。順番を待って空いたテラスのハンモックに寝そべり、そこから足元に広がる車山やビーナスライン、女神湖などを眺めながら、すべてのものは移り変わる儚いものだという「無常観」に、しみじみと感じ入った私は、時の移るまで涙を落としていたのであった。(本当は、あくびをして涙が出たのだが……)
いつまでもこのままずっとこの場所でこの景色を眺めていたかった。だが、テラスを占拠できる制限時間20分を示す砂時計の砂が落ち切ってしまった。絶景をよそに、隣で舟を漕いていた家人を起こし、その場をあとにした。そして、再びロープウェイに乗って下界に降りた。耳に少々の違和感を覚えたが、その時は特に気にも留めなかった。
蓼科山からの帰路の途中、家人の願いで、茅野市スーパーマーケット「つるや」に寄った。ここは、地元スーパーでありながら、観光客も立ち寄るスーパーである。そのため、駐車場は県外のクルマで一杯。店内も買い物客でごった返していた。
スーパーで 潜水服を 着る私
実は、その時の私には、その喧騒がほとんど聞こえなかったのだ。たぶん、標高1800mの蓼科山から800mの「つるや」までクルマで一気に下ったため、気圧で耳が詰まり、耳栓をしているように聞こえが悪くなってしまったのだ。こんなにひどい症状は初めてであった。にわか難聴になった私には、潜水服を着て深海の静寂な空間に放り込まれたかのような、周囲から隔絶されたかのような不思議な感覚だった。普段ではすぐに解消される気圧の変化による耳のつまりは、風邪で鼻が詰まっているせいなのか、その日はなかなか抜けなかった。
そのにわか難聴は、帰宅後も続き、大河ドラマの音量をいつもの倍にしても聞こえは十分とは言えないほどであった。その日は、早々に布団に入ったが、耳だけでなく鼻も頭もボワボワして快眠できなかった。
旅に病んで 夢は沼地で ズブズブズブ
次の日の朝、テレビをつけるとその大音量にびっくりした。昨夜はこんな音響でドラマを観ていたのか、とあきれるほどだった。どうやら睡眠中に、耳のつまりが解消されたようだった。やはりにわか難聴の原因は風邪であろう、と止めておいた薬を再び飲むことにした。




