084---- お父さん
私とお父さんを繋ぐ線は真っ直ぐ空に伸びていた。
だけど、私からも逃げ続けるお父さんはそう簡単には捕まらなかった。
ある時は結界道に逃げてしまって線が消え、
ある時は東都ではない地方に行って、
ある時は薄い雲の上まで行って、
ある時は底知れぬ崩壊した穴の、吸い込まれるギリギリの所に居て。
――でも、必ず数回に一度は東都に戻って来ていた。
しかし、その間にも崩壊はどんどん加速する。
太陽は昇って1時間で沈む。
暗くなったら満天の星が輝きだすも、見惚れている程の時間は無い。
廃屋や廃ビルは、突如として地面ごと無限の穴に落とされる。
そこには、"神社だから" とか "結界があるから" などという定義は存在しない。
このまま追いかけても、無駄だ。考えろ。
お父さんだって時間稼ぎをして崩壊を待っている訳じゃないはず。
だとしたら、単に私に会いたくないから逃げているだけ。
ならば、それは東都のどこに行きたいのか。
新東都タワーも旧東都タワーも、どちらも強力なパワースポットとして有名ではある。
だけど、お父さんは魔力を欲している訳ではないと思う。
――じゃぁ、一体どこに?
私は一度、空高く上がってみた。
そして東都を見つめ直し、過去と照らし合わせてみる。
本当のお父さんが死んだのは美島市だから多分違う。
憑依された、その後に向かったのは、
——病院。
そこで私達が生まれ、輪廻が始まった。
未だに多くの謎が残る、手付かずの場所。
私は方向を定め、そこから真っ直ぐ、空を行くことにした。
廃病院はそのまま残っていた。
周囲はかなり崩壊が進んでいるというのに、そこだけは綺麗に孤立してあった。
こんな偶然は起こり得ない。
だとすれば、ここは必然的に残っているのだろう。
病院に足を踏み入れて、すぐに。
『こっち』
幼い彼女の幻影がそこに居た。
彼女の後を早足で追う。
だけど、どんなに急いでも彼女には追い付けなかった。
その彼女が消えたのは、地下の研究室の、更に奥に続く廊下の手前だった。
研究室自体は既にボロボロで使える状態ではない。
だが、未だに手入れされているらしい綺麗な廊下は真っ直ぐ、どこかへと続いていた。
通常、こういう廊下には罠が仕掛けられている気がする。
だけど、警戒心とは裏腹に何事もなく進み続けた。
辿り着いたのは、見覚えのある部屋だった。
「あの時と変わらない」
私は呟き、赤く血濡れたベッドを挟んで向かい側に居る人を見た。
「私の体を切り刻んで遊んだ時から、貴方は私のお父さんではなくなっていた」
お父さんが、否、向かいに居る章一がガタガタと震え出す。
「違う……! お前は、俺の娘じゃない!!」
「そうね。貴方の娘は既に死んだ。ここに居る私の父親は貴方ではないもの」
その言葉は悲しかった。
里の中でも、章一は私を研究対象としてしか見ていなかった。
勉強が出来て、忍者としての素質も高い、純のことを本当の娘だと思い込んでいた。
――それが里の主による記憶の改ざんと疑わずに。
「なら、どうしてここに来れた?! ここには俺の娘しか入れないようにしてあったはずだ!!」
「貴方の娘の亡霊が案内してくれたのよ」
「クソッ!! 俺の娘は死んでも従わない奴ばっかりだな!!」
怒鳴った章一は、しかし、右手を震わせていた。
その手が私に伸ばされる。
透明化して、触手のように伸びて、私の体内を弄り始めた。
だけど、ここにはもう、輪廻を引き起こす神器も、そのはめ込まれた核も存在しない。
「無い……、無い……? おい、神器をどこにやった?!」
「ここに」
私は時空の鍵を出した。
章一は疑いもせず時空の鍵を奪い取る。
「ははっ! これでまた過去に戻れば完璧な娘は蘇る……!!」
そして、章一は鍵を揮った。
時空の鍵は真っ白の鎌に変化した。
その鎌が章一を縦に切り裂く。
そこには悲鳴も何も無かった。
ただただ、瘴気を帯びて紫色になった章一の血液が床を染め上げていく。
鎌はベッドの縁に突き刺さった。
「無限の瘴気で生き続ける肉体はこれで消えた。
——残るは、貴方だけ」
章一の肉体から抜け出ている悪神に宣戦布告をした。
悪神は動揺しつつも、部屋の低い天井をすり抜けて地上に出て行こうとするのが見えた。
だから、私は小次郎を構えてその天井に突き刺した。
応えた小次郎が天井を粉砕し、私の周囲には破片の山が生み出されたものの、頭上には綺麗な道を作り上げてくれる。
悪神が先に地上に出たのが見えた。
鎌になった時空の鍵を回収し、鍵の状態に戻しながらもその後を追って地上に出る。
そこは小さな庭園になっていた。
四方を結界に囲われてしまっているものの、結界道にしては広過ぎるし、境界にしては狭過ぎる、そんな空間。
だけど、庭園に広がるミニチュアは、どれも馴染みのある東都の景色になっていた。
しかし、驚いている間にも悪神はどんどん上空へと逃げていく。
だからじっくりと見る余裕は無かった。
薄い雲を越えても、悪神は更に上へと行こうとしていた。
だが、ある地点からは横に移動を始める。
もっとも、悪神といえど空気が薄い場所では生存できないのかもしれない。
しかし、私はその好機を見逃さなかった。
悪神も危険を察知したのか、私の投じた魔弾を触手のような腕で弾いている。
だが、その魔弾はただの魔弾ではない。
『な、に……?』
腕に張り付いた魔弾は黒い蔦を伸ばし、そのまま悪神の瘴気を浸食し始めた。
魔弾に込めたのは、遠音から預かった歪な魔法石。
それは本来ならば魔力を放つ植物に寄生させて映像を対の魔法石に転送するだけのモノ。
ただ、悪神にとっては、その寄生すらも危険だったらしい。
本音は、そんな悪神に小次郎で止めを刺したかった。
だけど、私にも高度の上限は存在していたらしい。
それ以上、私自身も上に進むことが出来なかった。
そんな苦戦を強いられている間にも、悪神は懸命に魔法石を剥がそうとしていた。
だけど、そんな隙は与えない。
私は次々と魔弾を放つ。
いくつかが命中して、悪神の上限よりも少し上に押し出す。
――それを ひたすら、繰り返した。
『俺の研究は認められなかった』
優しかったお父さんは、寂しそうな表情で私を撫でてくれた。
『犯罪者として追われ身になるくらいなら、俺は死のうと思う。
でも、お前は生き続けろ。俺の寿命でも足りなかったら、実験に失敗したお前の姉たちから生命力を分けてもらえ。そして俺の分もこの世界を堪能しろ』
いつの間にか、悪神は瘴気を放つ1つの石ころになっていた。
もう、その声すらも聞き取れない。
私はその石ころを小次郎で粉砕した。
悪神の断末魔が薄らと聞き取れる。
一瞬過った光景は、あれは私の記憶では無かった。
私ではないならば、あれは彼女の記憶のはず。
だけど、いつの時代の記憶だったのだろう。
萱葺屋根の長屋に着物。
見たことのない土の道路に馬車。
そう考えている間にも、魔力を失った私の体は急速に落下しているようだった。
――嗚呼、でも。
私と彼女は違う。
だから、知らない過去があっても仕方ない。
それに、彼女はもう過去の人。
過去の人では未来を作れない。
未来を作るのは、今を生きる私にしか出来ない。
もはや、崩壊までの時間は僅か。
消えゆく、丸かったはずの地界。
それを貫通する太陽の光を全身に受けながらも、残り僅かとなった魔力で精一杯の輪廻の解放を図る。
所々、島のように地上は残ってはいる。
だけど、下に広がるのは無限の黒い穴。
私が辿り着く前に、地上は全て崩壊という最悪な結末を迎えるだろう。
――ここから、やるしかない。
――これが、最後の輪廻。
私の全身全力を輪廻の術式に投じる。
――まだ、まだまだ。
不足している分を時空の鍵で補う。
――でも、まだ、足りない。
「お願い! あと1回だけ奇跡を起こして!!」
一瞬、彼女が脳裏を過った。
途端、時空の鍵が腹部に突き刺さる。
螺旋状に描いてしまった輪廻の術式を登るように、目の前にまで迫っていた最後の地上が急速に吸い込まれてゆく。
私の真下には、巨大な黒い穴だけが残った。
太陽の光すらも吸収してしまう、底のない真っ暗な世界。
――輪廻という事象は不安定で。
私はその狭間に置いてけぼりにされたらしい。
もっとも、地界だってどこまで過去に戻れるか解らない。
いや、例え過去には戻れても、また1からやり直しになるかもしれない。
――結局、私のやっていたことは無駄だったのではないか。
「大丈夫」
彼女が私の手を握る。
そして、引っ張られる感覚がした。
その手の暖かさに安堵して、目を閉じる。
瞼の裏の彼女は、それはそれは、満面の笑みだった――。




