060-150 恋心
「恋、やね!!」
花菜子の大声で目を覚ました。
日は既に高めなのか、尋常ではなく強力な日差しが障子をも貫通して私に降り注いでいる。
「ま、まぶしっ」
「全く。お隣はんの寝言が煩くて早くに起きてしもうたわ」
「……? ……??」
「ずぅっと『あまつぅ、あまつぅ』っちゅうて言うてたんよ。気色悪いったらありゃしない」
やっと花菜子の姿が見えて来たものの、その一言には流石に赤面していたと思う。
思わず、布団を顔まで引っ張り上げた。
「まぁ、ええわ。はよ支度しぃな。今日は来客があるで」
花菜子はそう言って部屋を去って行った。
来客は確かにあった。
だが、どの顔も見たことが無かったので章二と花菜子に任せ、私は1人、離れの建物でゆったりと過ごした。
空はまだ晴天を保っているものの、何れ全てが船に覆われることになる。
そして船は魔力暴走し、黒い結界に包まれる。
解っているのに、何をしたらいいのか解らない。
そんなことばかり、流れる雲を見ながら呆然と悩んでいた。
結局答えは出ないまま日が暮れ始める。
何度目かの時計を確認してから、展覧会の終了時刻と道中を逆算して重い腰を上げた。
連日の街を見ていて、駅前とそれ以外の暴徒の人口密度の差には薄々気付いていた。
だから、若干遠回りでも、予測した少ないだろう街を経由して進んだ。
実際、私の予測は的中。
恐らく今までの中で最短で到着していた。
だが、遊園地の上空には既に船が滞在していた。
それだけではなく、既に魔力暴走しているらしく船によって黒い結界まで生み出されている。
これでは、流石の私でもすぐに助けに行く、なんてことは安易に言えなかった。
自分を落ち着かせる為にも、私はコンビニで安価のコーヒーを購入し、裏門傍の公園のベンチに座った。なお、遊園地の黒い結界は尚も強化し続けている。
しばらく経って、その黒い結界に左側から細い線が現れた。ヒビみたいな感じだろうか。
すかさず公園を出て左側に進むとそこそこ大き目の穴が空いていた。
穴の近くには争った痕跡と欠けた黒い面が残されている。
それと、懐かしい2つの気配。
「(天津と……遠音?)」
どうして遠音が居るのか、という疑問から穴に入ろうとしたものの、その穴に向かってくる気配があったのでその場を離れた。
幸い、道路を挟んで向かい側は生活する気配の多い住宅地。
電柱の裏に隠れた私は覗き見る。
穴から出て来たのは紗穂里だった。
そして、香穂里、純、千尋と続く。
明らかに天津と遠音が4人を逃がしたのだと確信した。
疲れているのか、私の視線までは誰も気付かなかったらしい。4人は何かしらを話し合った末に2人ずつに分かれて解散していた。
中でも千尋は自力で歩けない程、何もかもを消耗しきっていた。
その直後、今度は遠音と少年が出て来る。
ただ、少年は既に隠遁でもしていたのか気配が薄かった。どこかでその少年を見かけた気がする。
しかし、そう考えている間にも少年が私に気付いた様だったので視線を逸らした。
少年は私に警戒しつつも、遠音と共に4人とは全く異なる道へと進み始める。
6人の気配が無くなったことを確認してから、穴を覗き込み、警戒しつつも侵入する。
外側から黒い面の気配が2つある。
でも、まだ私には気付いていない様子。
なのでしっかりと気配を消して、足元の音をさせないようにしてサーカス団のテントへと急いだ。
暗いテントの中、唯一の明るい舞台上に天津は立っていた。
まるで涙を堪えているかの姿に、私は迷わず高めの客席から飛び込むように天津に抱き着いていた。
「……何も、こんな時に現れなくても」
「何で泣いてるの?」
もっとも、聞かなくても雰囲気から理解できる。
客席には、封印したはずの家族の気配が全く残っていなかった。
多分、結界の強化、ないし避難が間に合わずに船に吸収されてしまったのだろう。同時に黒い面や鬼の面も回収されてしまったらしい。
「属性神を逃がしたから?」
私の一言に天津がビクリと体を震わせた。
属性神を逃がす穴を空けた、ということは天津自身が穴の場所まで動いたということ。その間にテントが奇襲された。
天津のことだから、遠音達が出ていくのも確認しに行っていたかもしれない。
「本当に……貴方は、変わらない」
天津が私を強く抱きしめた。
泣いているのだと解ったので、そのままにしてあげた。
しばらく経って、天津は私のことをやっと解放してくれた。
その天津の顔には、もう涙何て残っていなかった。
そこには力強い、意を決した目があるだけで。
「拉致された者が里の主の糧になるくらいなら ―― いっそのこと、ここで眠らせてあげた方が良いと思いません?」
船の中では、確かにまだ生きている可能性が高いと思う。しかし、それは生き地獄と変わらない。
何故ならば、結局は黒い面を着けられて暴徒となるか、化物となった者の餌となるか、の違いで死ぬことに変わりはないのだから。
「船を壊すの?」
「はい。手伝って頂けますか?」
「……見返りは?」
「先にお支払いしますよ」
そう言った天津の顔が近付いてきた。
そして、接吻される。
一瞬、何をされたのか理解できなかった。
しかし、同時に脳内をチクチクとした痛みが走る。
そして天津の顔が離された時に、その新しい記憶を理解して目を丸くした。
双子の天使として誕生し、母親の理不尽さに呆れて幼少で家出し、恋仲になった人間を殺めた際の返り血で堕転し、里の主に唆されて人間の死体を研究していたものの章一に先を越され、処分される前に逃亡して白雲運河の真似事をしていたら本物からスカウトされ、白雲運河の1人として里で私を見張っていた。
恐らくは、それが天津という人物の全ての情報。
「……だから」
私は天津を睨む。
「私が危険になったらすぐに駆け付けてくれた。あれは、外でも私を見張っていたから……」
「いや、白雲運河 の姿の時は、里の外では学園の大会の時と、私の部屋に来た時しか会っていないですよ」
恐らくは正直に答えてくれたらしい。天津も目を丸くしていた。
「むしろ、それ以外で貴方が(白雲運河と)出会っていたことに驚いています。私の任務は、あくまでも里の中に居る貴方が、実際には分割された貴方がたが、どのような任務を与えられているか、どのような処分を里の民に下しているか、観察していただけですから」
「じゃぁ……」
「えぇ。気付かれておられるように、私は全ての緑色の鬼の面を観察対象にしていただけで、貴方個人を特定できていた訳ではありませんよ」
天津の答えに私は大きな溜め息をついていた。
同時に、気付く。
「じゃぁ、大会の時。あれはどっちが天津だったの?」
「最初に声をかけた方が私ですよ。もっとも、もう1人にはしてやられましたがね。まさか結界の2ヶ所に穴を空けて中央校舎側と女子校舎側、両方に瘴気を放出するなんて。お陰で、今まで黙秘を続けていた学園の守護神を巻き込む好機になりましたが、その分凄く怒っておられましたからね」
そこまで知っているのは白雲運河くらいだろうか。
もっとも、信用していなかった訳ではないので、理解して失笑を返していた。
天津と共にテントを飛び出した私達は、そのまま上空の船へと空を駆けた。
道中、黒い面に襲われる。が、生まれたての黒い面は大した脅威も殺意も無い。
その軟弱な面を割って墜落を促すだけで大概は目の前から排除できる。
船には何人いるか解らない。
その罪のない全てを処分することになる。
流石に里の民とは違い、躊躇いが無いとは言えなかった。
だが、暗示で操られても心根までは操られる訳ではない。だから内部で辛い思いをすることになる。
擦り切れて自分が解らなくなる前に殺してあげることが、今の私に出来る精一杯の償いだと思い込んだ。
襲い掛かる黒い面を全て撃退し、残された船はもはや私の知る原型を留めていなかった。今にもはち切れそうな、水死した豚を連想させられる。
船が破裂したら黒い結界は消えても沢山の人形を排出してしまうだろう。
『これだけ大きいと……封印は難しいですね』
船をぐるっと一周していた天津が船に触れていた。
私にも硬めの鉄を叩くような音が聴こえてくる。
『かといって船を破壊するだけでは、墜落して人間の死体が転がってしまいますね。一気に全てを壊す方法……でもアレだと魔法陣を必要とするし……』
『結界に閉じ込めて結界を消滅させたら良い』
―― 里の主が行ったように。
内心で呟いた私は天津を見た。
しかし、天津の表情は強張っていた。
『確かに、それだと死体は出ないです。ですが、同時に内部の人間の未来を奪うことになります』
首を傾げた私に天津は続けてくれた。
『通常の結界の中で死んだ者の魂は運命の輪から離脱してしまうんですよ。つまり、その魂は一生、生まれ変わることはありません。その魂がどこに行き着くのか。それこそ、魔法石と呼ばれている魔物の心臓の正体ですよ』
『でも、魔物は悪魔が……』
『それは底辺の悪魔の話しで、術で召喚された場合のみ適用されます。現在存命する大半の魔物は、魔界と呼ばれる夢の世界から魔法石という形で盗難され、悪魔と同様に術で器となるモノに拘束されて人型になれた存在です。それが、人間が夢を見ている間に、無意識に召喚したモノだと勘違いされているんですよ』
天津の説明に納得しつつも、同時に困惑もしていた。
『じゃぁ、どうしたら……』
『……あまり好きではないのですが』
真面目な表情で答えた天津が掌を上に向けて炎を出す。
確かに、炎ならば全てを焼き尽くしてくれるかもしれない。
『火責めか、水責めか ―― どちらも惨い結末になりますが、考える時間が無さそうですね』
『水責めで、凍らせる?』
『その案で行きましょうか』
天津が水の方の術を唱え始めたので、私は凍らせる為の冷気の元になる、空気を集める術式を船の表面に描く。
花と蔦のような術式なので簡単ではあるものの、バランスが悪いと発動しないことがある。だから慎重に描いていたので時間がかかる。
なお、描き終えた所に天津が細かな文字を描き加えていた。器用にも、詠唱しながら。
私にはその文字の意味は解らない。
しかし、天津を信じて描き続けた。
術式が完成した直後、私から魔力が注がれ、術式が一斉に発動したことは理解した。
しかし、同時発動の影響で船が魔力暴走を起こしたかのような黒い光に包まれてしまった上に、直前に天津が私の手を握ってきた影響で急激に魔力が奪われてしまった為に、まるで軽い脳震盪を起こした状態になっていたらしい。
ハタと気付いた時には、既に船は遊園地に墜落した後だった。
凍ったままの船は、もう原型を留めておけないほど魔力を消失し、そこには船の形に凍結された人間の塊が残っているだけだった。
その全ての人間が黒い蔦に浸食されているのか、頭だけが髪の毛に覆われてしまったかのように見える。
その悍ましい人数から吐気を催した。
「私も貴方も、人間とは違います」
天津は私を慰めようとして言ったらしい。
でも、それが逆に辛かった。
「これから私は、堕天使ではなく白雲運河として活動するつもりです。貴方はどうするおつもりですか?」
急に問われても、解らなかった。
しかし、凍った人間の塊を見て、辛さで涙が込み上がって来ることは解った。
それは、私の記憶ではなく違う記憶が蘇ったから。
どこの光景かは解らない。
ただ、何もない青い空間で、横に光の一線が引かれただけで、全ての生物が一瞬にして気配を消失した。人型の生物は力を失ってポトポトと青い空間の中に吸い込まれていく。
【 貴方は過去に囚われずに生きればいい 】
私は、羽生 紫。得体の知れない生物。
例え誰かのクローンだったとしても、かの有名な占い師と同類であったとしても、今の私は異なる生物で、きっと異なる思考をしていると思う。
でも、今のこの状況から逃れたら、私が生き続ける未来はない。いや、あったとしても私だけが孤独に生き続けるなんていう世界は、結局、死んでいることとそう変わりない。
何故ならば、私1人には創造という奇跡の能力は無いから。
今の世界に必要なモノは、願いと奇跡の元となる神々。
四大神は今どうしているのか解らないが、あの5人の属性神には時間が必要だと思う。
だとすれば、里の主を足止めする存在が必要になる。それはきっと白雲運河が担うだろう。
でも、動き始めてしまった里の主の幻影は誰にも止められない。
「私は……」
人間の塊を見ていた天津が振り返る。
「本来の、平穏だったはずの今日を取り戻したい」
「……それは、貴方の能力では不可能ですよ?」
「解ってる。だから、世界の加護や呪いの根本を、私の原点の謎を探りたい」
私の答えに天津が黙った。しかし、どこか懐かしそうな表情をする。
「あの方と同じことを言う」
「あの方?」
「いえ、独り言です。気にしないで下さい」
すると、天津は私の足元に跪く。
驚いて立ち竦む私に天津が術式を展開していた。
【 私のことなど、気にしなくていいのに 】




