054-000 結界道
そんな花菜子への手土産の為にも私は廃病院へと急いだ。
しかし、廃病院は私の侵入を拒んだ。
瘴気の渦が治まったのは到着してから半日ほど経ってからで、時間をロスしたことを悔やんだ。
もっとも、調査には時間がかかるもの。
仕方ないとは思いながらも9階から侵入する。
しかし、院長室には既に侵入された形跡があった。それもかなり大昔だったらしく気配は全く残っていない。
諦めて1階の受付に行こうと廊下へ出る。
だが、そこには黒くなった人間の骸骨が残されていた。
「……ん?」
私は骸骨から放たれる、懐かしい気配に気づく。
そっと骸骨の手に触れて、それが紗穂里のオーラだと知った。
そして、壁に不自然に空いている立方体の穴。
初代の院長は自宅をからくり屋敷にしたくらいの物好きだったことを思い出す。
紗穂里に先手を打たれたならば、資料が里の主に奪われる可能性は高い。
私は急ぎ踵を返した。
廃病院から紗穂里の自宅まではかなりの距離がある。
だが、廃病院まで繋がっていた路線は地下鉄に直結していたことと、今は一部の地下鉄しか動いていないという情報から、黒い面を引き付けるためにも路線上に進むことにした。
予想通り、道中には黒い面を幾人も見かけた。襲い掛かって来る者もいた。
だが、危険な色付きの鬼の面ではない。
だから襲撃を避けて、ひたすら走り続けた。
紗穂里の自宅は、過去に何度か訪ねたことがある。
そして、その周囲の路線図は何となく頭に入っていたので、最寄り駅まで行くよりも、違う路線の近場の駅で地上へと出る。
その近場の公園で迫りくる黒い面を排除してから紗穂里の自宅へと向かった。
紗穂里の母親は占い師だが、今日は自宅を留守にしていたらしい。
自宅には結界も気配も無く、更には2階の窓は鍵が閉まっていなかったので、あっさりと紗穂里の部屋へと侵入できた。しかも、綺麗に並んだ本棚の中に、例の穴と同じサイズの箱が違和感たっぷりに納まっている。
ただ、恐らく箱は自宅にあったもの。
お菓子の銘柄が書かれてある蓋を外せば、やはり中身は廃病院の資料だった。
帰宅されても困るので、お菓子の箱を元に戻してから、中身だけを近くに放置されていた紙袋に入れて持ち出した。
隠遁し、物陰に隠れながらも最寄り駅へと進む。
だが、そこは理性の残る黒い面ばかりで逆に居心地が悪かった。
『そっちに行った!! 早く殺せ!!』
『また消えたぞ?! どうなってやがる!!』
『こっちに居たぞー!!』
しかも、どうやらお取込み中な様子。
進むにしても、下手な動きをすればバレる可能性もある。
どうしたものかと悩んでいれば、それは目の前に突如として現れる。
「しまっ……」
黒い面をしていない者。
それも、動きからして風見の忍び。
慌てて壁に戻ろうとするその腕をしっかりと掴んだ。
だが、その者の力に負けて壁に引きずり込まれる。
私の足まですっぽりと結界に入った感じがした。
「なっ?!」
その者が私の手を振り落とす。
もう片方の手を地面に向けていたとはいえ、地面に落ちて全身に衝撃が走った。手がジンジンして痛い。
「何で黒い奴がこっちに入れたんだ??」
私がすぐに襲い掛かる体勢をとっていないことから、どうやら相手もかなり混乱しているらしい。
もっとも、私にも相手とは違う混乱があった。
今まで痛みを感じなかったはずなのに、と。
「チッ」
相手が逃げようと足に魔力を溜めているのが解った。
だから私はその足から魔力を借用して手に溜め、相手の足を掴む。
「待って」
声に出したことで相手は私を振り返ってくれた。
「私は黒い面とは違う」
そう言いながら、痺れる手で黒い面を外す。
「訳あって、黒い面に擬態しながら移動をしている。だから、今いる空間について教えて欲しい」
「そんなの、信じられるもんか。実際、アンタは今、俺の足を掴んでいる訳で……」
「じゃぁ、放せば良いの?」
私はその手を放した。
相手は訝しげに距離をとる。だが、逃げようとはしていなかった。
1メートルくらい離れた所で振り返る。
「……ここは、結界道」
相手はそう答えてくれた。
「結界道、なんて言い方はするけど、実際には境界という地界の裏側の異空間だったらしい。だが、何かしらの理由があって異空間が崩壊し、今は道のように繋がっているだけなんだと。で、地界と交差している箇所が何十ヶ所とあって、アンタを引きずり込んだ地点もその内の1つ」
何となくは理解した。
強めの守護神が居る範囲ならば境界も守られている。だから場所によっては黒い面は弾かれる。
「で?」
相手は腕組をして続ける。
「今の、全部聞き取れた?」
「あぁ。理解もできたよ」
「そう。で、アンタはどこに行きたいワケ?」
「栗原病院」
途端、相手は表情を引き攣らせた。
もっとも、あそこには黒い面どころか昆虫でさえも近付かない場所。用事がある方が可笑しい。
「……来い」
相手は静かに背を向けた。そして振り返って私の様子を伺う。
でも、私も驚いて立ち上がることを忘れていた。
「結界道は入り組んでいて迷いやすい。近くまで案内してやる代わりに、アンタが持ってるその黒い面、こっちに渡せ。条件が呑めないなら……」
「いや、呑もう」
私は黒い面を相手に向かって投げた。
相手は黒い革の手袋越しに黒い面を受け取る。
「まだ案内も終わってないのに投げる奴がいるか??」
「廃病院に入る前に処分するつもりだったから問題ない。それよりも、それをどうするつもり?」
「アンタと同じだよ」
相手は黒い面を装着した。
他人のモノであっても、黒い面には暗示の効果がある。
一瞬焦ったものの、それは次第に驚愕へと変わった。
黒い面に顔が引き寄せられることもなく、相手は私に手でピースサインをして見せてきたのだから。
相手は黒い面をすぐに外し、走り出す。
お互いに名乗ることもなく、私は相手を信じて付いて行った。
途中で結界道から地界に抜けることもあった。
だが、黒い面が待ち受けていても、すぐに結界道へと入れた。
このことから、一部の守護神は未だに生きていることを知った。
結界道は灰色の空間と似ていた。
そして、薄い色は地面か天井を表していて、更に白に近い色の壁が出入口だと理解した。
相手の言う通り、これは道に迷う可能性が高かった。
だが、安全面を考えれば明らかにこっちの方が良かったし、その対価が黒い面では少し安くも感じる。
「ここを出れば(廃病院と)同じ区内のはずだ」
立ち止まった相手の向こう側には白い出口があった。
きっと他の対価を求められるかもしれない。
覚悟しながらも相手の脇をわざとゆっくりと通る。
だが、相手は何も求めてはこなかった。
だとすれば、出口は罠の可能性もある。
ただ、出る前にお礼ぐらいは述べておくべきだろう。
「ありがとう」
私は振り返って言った。
だが、その相手の表情はどこか複雑で。
もしかしたら、この人は良い人で誰かに雇われているだけなのかもしれない。
「言いたいことがあるなら――」
「アンタ、クローン人間だろ?」
ほとんど同時だった。
私はただただ目を丸くし、相手は真面目な表情で続ける。
「栗原病院で密かに行われていたクローン人間の実験……それの被害者なら『美島の超人』に話しを聞いた方が早い」
「……どういうこと?」
私の記憶の中には無かった。だから訊ね返した。
相手は意を決したように頷く。
「又聞きだから詳しいことは俺も解らない。が、彼女も被害者だからか、頻繁にあの廃病院に通っていたらしい」
「でも、私が知りたいこととは違うかもしれない」
「『原点に辿り着いた』――彼女はそう言っていたよ」
その一言に、私は難しい表情をしていたと思う。
美島の超人の仇名を持つのは『如月 咲九』しかいない。
その如月が辿り着いた原点。即ち、クローンの大元になった存在ということだろうか。
もっとも、如月も被害者という点は驚いたが。
しかし、それなら納得できる点も多かった。




